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『相談課便り』第7号(表面)
『相談課便り』第7号のコンテンツ
「何とかなるさ」というお話 柴田みさえ
心を磨く 佐藤克己
「いじめ問題・悩みに関する調査」まとめ
分かってもらえることの幸せ 長屋智子
<平成18年12月発行>
 <表面>
『相談課便り』第7号(裏面)
 <裏面>

 
 「何とかなるさ」というお話  柴田みさえ
 先日、保育園に通う息子の生活発表会なるものを見に行った。「ありとキリギリス」の劇遊びにキリギリスで登場するということだった。20名を超えるクラスでもあるので、出番についてもあまり期待していなかったのだが、劇が始まってまず、ずらずらと出てきた何名ものキリギリスにびっくり。「キリギリスだから少しでも出番が多いかも」などと少しでも考えた親ばかぶりにまず苦笑。次に、息子のたった2つの台詞、「ありさん何してるの?」と「冬になったら何とかなるさ」にまた苦笑。たくさんあるキリギリスの台詞の中でどうして「何とかなるさ」が息子の台詞になったのか、息子もまた、私のように楽天的な生き方をするのかと少し心配になったりもした。
 思わず苦笑してしまったのは、そもそも私の生き方の基本が「何とかなるさ」だからだ。そんな楽天家である私のかつての辞書の中に「努力」という言葉はなかったと思う。が、やはり努力なしでは仕事を続けることはできず、「努力」という言葉はある意味、外来語のように定着してしまった気がするのだ。「努力」は生徒を好きであることから始まった。教員になって、どんなに頑張ってみても全ての生徒に好かれるわけではないとわかった時、なぜかショックを受けてしまった。自分のことを嫌っている人をまず好きになること、それが努力の始まりだったように思う。自分のことを嫌っている人を自分から遠ざけていれば、その方が楽なのだが、それではいつまでたっても対話ができない。自分から対話の糸口を探すために、好きになる努力をしようと思ったのだ。好きになるために、相手の良いところを探して認めて、時には少しごまかしたりして。ちょうどニンジンやピーマンが嫌いな子供にそれを食べさせるような努力である。初めから好きなものは全く努力をしなくてもいいかというとそうではない。ずっと好きであり続けるためにはまた大変な努力を要するのだ。どんなにカレーライスが好きでも、カレーだけを食べ続けることはできないのと同じだと思う。辛さを変えたり、付け合わせを変えたりして食べ続けることになる。その人について新しい発見をしたり、見方を少し変えたり、なかなか大変なのだ。もともと「外来語」であった「努力」はこのようにしっかり私の辞書の中で定義されるに至ったのだ。お陰でどうにも苦手で仕方がない人はほぼ三年に一度しかお目にかからないようになった。
 さて、努力するためにはそれなりの理由が必要なのだが、人を努力までして好きになる理由は何だろうか。「先生が生徒を嫌っていたら、教育者として失格だろう」と言われればそれもそうなのだが、教師に限らずどんな人にも好きになる努力は必要だと思っている。何かの本に、 「嫌いな人にあったら、自分の見たくない内面がその人に映し出されていると思いなさい。」という言葉があった。なるほどと思ったのを今でも覚えている。嫌いなのはその人自身ではなく、自分の中に隠しておきたい、自分でも見たくない、内面なのだ。自分の嫌な内面を見たり、認めたくないために「あの人は嫌いだ」と言って遠ざけてしまうのだろう。嫌いだといってその人を攻撃までしてしまえば、それは鏡の中に映っている自分をそれと知らずに傷つけてしまう事になるのだ。こう考えると好きになる努力、好きであり続ける努力はなかなかやって価値のあるものである。努力を続けることによって、自分自身の内面を見つめ、自分自身を好きになることができるのだ。自分の嫌な内面を常に見つめられるほど、心はいつも元気でないかもしれないが、その時は「何とかなるさ」とキリギリスになって、歌い、踊りながら過ごしてみるのも良いと思う。シナリオでは賢明で優しいありさんがあなたを助けてくれることになっているのだ。

 
 心を磨く  佐藤克己
 9月10日 朝日祭の最終日。 4〜5日前より天候が不順で、グランド状態が悪く、6日に行われる予定だった体育祭の予行(行進練習・開会式の要領などの確認)も出来ないまま、体育祭当日を迎えました。
 各ブロックの入場行進や開会式は、上手くいくだろうか。雨は降らないだろうか。そんな心配も、生徒の一糸乱れぬ堂々とした行進を目のあたりにして、吹き飛びました。
 流石、朝日高校生。体育祭での整然とした行進や凛とした開会式は、今までの式典と比べても、勝るとも劣らないものでした。天気予報通り、午前中の競技の途中、俄に雲行きが怪しくなり、2年生の応援合戦の頃には土砂降りになりました。バケツをひっくり返したような激しい雨により、瞬く間にグラウンドがぬかるみ状態になりました。それでも生徒は怯むことなく、何ヶ月も前から練習に励んできた成果を十二分に発揮しました。目の前で繰り広げられる熱気溢れる生徒たちの演技に、私も雨に濡れていることを忘れ釘付けになりました。見ている全ての人も、深い感動を覚えたのではないかと思います。
 生徒の中には、学生服や真新しい衣装を身にまとい、汚さないように注意を払いながら踊っている人もいましたが、一度泥が付くと、もう後はお構いなしで、演技が終わるやいなや退場門付近で、ダイビングする人もいました。その様子を見たときふっと、トイレ清掃を思い起こしました。一度汚してしまえば……。
 昨年夏8月24日校内美化活動の一環として、保健委員会が中心となって「岡山掃除に学ぶ会」の方にお願いして、学校のトイレの清掃をしました。ボランティアで1〜3年生30数名の生徒が参加しました。 単にトイレの清掃といっても、そのやり方は徹底していて、裸足でそのうえ素手でたわしや雑巾を持ち、トイレの壁や床は勿論、便器の中に手を入れ便器の奥や裏側まで磨くのです。この会は、トイレを清掃することが、ただトイレをきれいにする行為だけでなく、愛校心や奉仕の心を育て心を磨く事に通じると考えています。「トイレ磨きは心を磨く」。いざ清掃に取り掛かかろうとすると、大抵の人は躊躇するそうです。そこで思い切って片方の手で便器を掴み、もう一方の手に雑巾を持ち、磨くのです。一度馴れてしまえば別に苦にはなりません。
 米大リ−グニュ−ヨ−ク・ ヤンキ−スの松井秀喜選手も、星稜高校時代には、率先して、素手でトイレの清掃をしたそうです。監督の指導方針が、上級生しかもレギュラ−の選手からトイレの清掃をやらせるというもので、監督自ら便器を掴み、選手の目の前でやってみせるそうです。

 トイレ清掃体験活動における、あるアンケ−ト調査の結果から、体験の前後で大きく気持ちが変化していることが分かります。
清掃前 「嫌だ」60% / 「何とも思わない」20%
清掃後 「達成感がある」70% / 「すがすがしい気持ちになった」20%
資料には、その他 「清掃しているときの気持ち」や「清掃に対する考え方」など細かく分析しています。( http://www.mitsuke-ngt.ed.jp/~ imachu/toire/toireh12.htm 参照 )
 新しい校舎。今までの臭い、汚いイメ−ジの朝日のトイレから、清潔感漂う、気品に満ちた美しいトイレに変わります。朝日の生徒はすばらしい。その生徒が毎日使用するのにふさわしいきれいなトイレを、教室と同様にいつまでも維持管理してほしいと、応援の部の発表の途中でしたが、雨の中にたたずみながら思いました。
 さあ、待ちに待った新校舎への移動開始です!

 
 「いじめ問題・悩みに関する調査」まとめ
 教育相談課では毎年2学期に、2年生・1年生を対象とした「いじめ問題・悩みに関する調査」を行ってきました。今年度はそれを改訂し、数値化できる質問「問A」と、自由記述「問B・問C」の、大きく二つの内容としました。この結果はまず学年団会議で報告・検討され、共通理解をはかった上で、各クラス担任を中心に学年団で対応したり、継続的に注意を払ったりしています。また、教育相談課でも課会を開き、結果の報告・分析をし、今後の対応などについて検討しながら、よりよい方向性を模索しています。
「問A」質問項目 2年 1年
1 生活のリズムが整わず、体調をよく崩す。 2.0 2.1
2 友人関係で悩むことがよくある。 2.0 1.9
3 学校内に信頼して相談できる人がいない。 1.6 1.7
4 勉強の仕方がわからず、集中できない。 2.4 2.4
5 将来の見通しが立たず、気力がわかない。 2.2 2.2
6 学校に行きたくないとよく思う。 1.8 1.7
7 先生は私の話を聞いてくれない。 1.5 1.6
8 先生は成績で生徒を差別する。 1.9 1.9
9 先生は授業の進め方が悪く、説明がわからない。 2.0 2.1
10 私には友人がいない。付き合いがうまくいかない。 1.3 1.3
11 私はいじめられている。 1.2 1.1
12 からかわれたり,手を出されることがあり、いやだ。 1.3 1.4
13 言葉や態度で傷つけられることがある。 1.6 1.6
14 クラスの中に改めるべき問題がある。 1.8 2.2
15 いじめたりいじめられたりしている人がいる。 1.5 1.5
16 人が私をどう思っているのかとても気になる。 2.3 2.4
17 私のことをわかってくれる人は一人もいない。 1.4 1.5
18 家族は私に過剰に期待をかける。 1.8 1.8
19 家族には、悩みがあっても相談できない。 1.9 1.9
20 私の落ち着ける場所はない。 1.5 1.4
平  均 1.8 1.8
@【問A】について
 左の表は「4=あてはまる 3=ややあてはまる 2=あまりあてはまらない 1=あてはまらない」の4件法で回答してもらった「問A」について、各学年ごとの平均値を示したものです。
[質問14]については1年生が2年生を0.4ポイント上回っていますが、その他の項目についてはほとんど差がありません。このことから、学年にかかわりなく本校生徒の傾向を大きくとらえることができます。
 [質問11]について「4」と答えた人は2年生3人、1年生0人でしたが、[質問15]について「4」と答えた人は2年生5人、1年生6人で、本人の感じ方と周りの受け止め方の違いが若干出ています。
 ポイントの高い項目を見ると、まず、[4勉強][9授業][5将来の見通し]に関するものがあげられます。これらについては、本校生徒にとっての大きな関心事であり、それだけに不安や悩みが伴うのかもしれません。また、[16人が自分をどう思っているのか][2友人関係で悩む]についてもポイントが高い反面、[10友人がいない、付き合いがうまくいかない][17わかってくれる人がいない]については、ポイントが低くなっています。友人関係についてはさまざまな局面があり「悩むこともあれば、うまくいくこともある。人からどう見られているのかは、やはり気になる」ということでしょうか。
A【問B:朝日高校に「いじめ」はありますか。あるとすればどのようなことですか】について
 「ある」「ない」「よくわからない」「なにがいじめなのか、人によっても感じ方が違う」などの意見がありました。
 また、「あるとすれば」→「仲間はずれ」「悪口」「無視・シカト」「嫌がらせ」「言葉の暴力」「冷笑」「いじり」「からかい」「ネット上での悪口」「物を隠す」「あらぬ噂」「笑いのネタ」などがあがりました。
B【問C:もしも、「いじめ」にあったり、悩んでいる友人がいたら、あなたはどうしますか】について
 「話を聞いてあげる」「相談にのる」「励ます」「周囲(先生・親・友人)に相談する」「いじめられている人のそばにいる」「その人のしてほしいようにする」「一緒に解決する」「クラスにいじめが起こらない雰囲気をつくる」「いじめる側に理由を聞き、改善につなげる」「いじめる側にはっきり注意する」「できるだけ自分で解決する」「いじめには加わらない」「助けたいが、なにもできそうにない」「ほっておく」「どうしようもない」「傍観者を決め込む」「人による」「ながれにのる」などがあがりました。
 以上のような結果から「本校にもさまざまな課題があり、実際にそのような場面に出会ったときには、その対応が必ずしも容易ではない」ことがわかります。しかしながら、ほとんどの生徒が「いじめは悪い行為であると考え、可能であるならなんとかしたい」という誠実な思いをもっているようです。と同時に「現実には解決が難しいので、結局はなにもしない」と答える生徒もあり、この問題の難しさを改めて感じさせます。
 教育相談課は、いじめ問題に毅然とした態度でのぞみ、悩んだり迷ったりしている生徒の支援をします。いじめられている人、いじめている人、なにもできずにいる人、どんな生徒の話も、その人の立場で聴かせてもらいます。私たちはいつもあなたのそばにいること、そして、あなたにはかけがえのない未来があることを、忘れないでください。あなたは、決してひとりではないのです。

 
 分かってもらえることの幸せ  長屋智子
 私はパキラという一本の観葉植物を育てています。結婚祝いに貰った30pほどの小さい木です。今までサボテンさえもシオシオに枯らしたことがあるので、冬は越せるだろうかと心配でなりません。
 「植物に水を与えるなら午前中がよい」と知り、朝、水やりをするように心がけてはいますが、何しろ私も朝は時間との勝負、鏡を見る時間も惜しい私にとっては水を与えるだけでも困難です。それに毎日何かしら忙しい。言い訳かもしれません。すっかり水をやるのも忘れがちでした。けれど何とか8ヶ月。無事にパキラ君は葉っぱを保っています。
急に寒くなった11月。南国の植物だろうから寒いのは良くないはずと室内にパキラ君を入れることにしました。いつも出勤前と帰宅時そして晴れた休みの日に見るくらいだったパキラ君はご飯を食べるときも、テレビを見るときも目の前にある状態になりました。よくよく見ると緑色だと思っていた葉はほこりにまみれ、土は私の高い位置からの水やりですっかり減り、根っこが見えています。
 目の前にあるとよく分かるもので、土が乾いて水がほしいときは葉っぱが少し垂れているのに気づくことが出来るようになりました。木も自分のことを表現していました。
 自分の言いたいことが言えたり、気持ちが分かってもらえたりしたときどんなにうれしいことでしょう。けれど私は自分の思ったことや苦しいことなどを自分の中に閉じこめてしまうほうです。自分で決めなくては、乗り越えて行かなくては……と思っているうちに、もうどうにもならない。私の気持ちなんて誰も分かりはしない。ともっと深いところに行ってしまいます。
 私が高校時代に母とけんかをして、何日も口をきかなかったことがあります。悶々と暮らしていました。この気持ちから脱出できたのは、この悶々とした「気持ち」を愚痴って言葉に出したからでした。母と仲直りしたわけでも、けんかの原因が解決したからでもありません。「私は悲しい」と言葉に出して聞いて貰っただけです。 
 悩みや気になること、うれしかったこと、悲しかったこと、つらかったことなど自分が思ったことを誰かに伝えることは難しく、勇気がいることでもあります。けれど、少しずつであっても伝えることを毎日意識的にしたほうが良いと私は思っています。特別なことを言わなくてもいいのです。「教科書貸してくれてありがとう。とっても助かったよ!」「昨日食べたあのクッキーとってもおいしかったね」試しに今日からでも誰かに意識して言ってみてください。友達、家の人、先生、そしてもちろん保健室は大歓迎。さっそく今日おいしかった食べ物を誰かに言葉に出して言ってみてくださいね。
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