今年度縁あって茶道部の顧問になった。といっても実際の指導は嘱託の先生がしてくださるので、私は練習の様子を見たり先生との連絡調整をしたりといった役だ。学生時代は専ら体育会系のサークルに所属しており、茶道華道というものは何かしら敷居の高い文化というイメージしかなかった。しかしいわゆる“お年頃”になり、たしなみの一つもいるだろうとほんの短期間お稽古に通ったことがある。茶道とはその時以来の十数年ぶりの付き合いである。
先日、茶道の先生のお点前(おてまえ)を見る機会があった。やはりその道に精通された方の所作は凛として美しく、とても洗練されたものであった。ほどよい緊張感と何とも表現しがたい心地よさ、そのひとときに仕事も忘れ考え事もストップして、そのお点前に見入ってしまった。静寂に包まれた空間の中で、かすかに響くお湯の音、無駄のない美しい動作、お抹茶の香り、思わず目を閉じて深呼吸すると、心の中がすうっと楽になった。
茶道から出た言葉に「一期一会」という心得があるが、深い含蓄のある人生の教えでもある。茶道の世界では、たとえ亭主(もてなす側)とお客(もてなされる側)が何度顔を合わせたとしても、その時の季節や天気、お茶の道具、お庭の様子など何一つ同じであることはないし、この時間がふたたびかえることはないので、もてなす側はその一度の会合を楽しんでもらえるよう全身全霊相手を思いやる。たとえば朝日祭のお茶席でもそうだ。その日のテーマを決め、お軸、お茶花、お道具などを丁寧に選ぶ。「よくお出でくださいました。今日の出会いに感謝しこの時間をどうぞ楽しんでいってください。」という思いでお点前をする。お客に不愉快な思いをさせまいと全てのことに気を配り、礼儀を重んじる。先生の丁寧で折り目正しい、それでいて温かみのあるお点前を見て、私は「一期一会」という言葉を思い出していた。
「一期一会〜その出会いを大切にする」という意味では、保健室に来室する生徒との関わりも「一期一会」である。保健室には毎日大勢の生徒がやってくるが、どんな訴えで来ているのか、何を求めているのか、まずは相手の表情を目で見て、心で感じることにしている。そして相手のその時その時の気持ちをなるべく思いやりながら、この保健室での時間の共有が意味のあるものとなることを願っている。(たいていは気持ちに寄り添い温かく接しているが、時に口うるさい指導あり・・これも意味のある時間と思ってください。)
夜、子供を寝かせた後、久々にお抹茶を点ててみた。静かでとてもくつろげるひとときがひろがった。「一期一会〜その出会いを大切にする」……「今日のあの子、ちょっと気になるけど大丈夫かな。」ふうっと息をつきながら保健室での出会いを思い返していた。 |
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