日本の社会を考える時、気になる2つの数字があります。自殺者と幼児虐待の数です。
日本では1998年以来、毎年3万人を超える人間が自殺をしています。毎日100人近い人々が自ら命を絶っていることになります。驚くべき数です。中高年が多いが、若者にも拡がっているといいます。どのような人間関係のなかで自殺にいたったのか、暗澹たる気持ちになります。引き止めるべき人間関係をもち得なかったことは、不幸というしかありません。
「人間」という文字は、中国では本来人間(ジンカン)つまり社会を意味していましたが、日本ではいつのまにか人間(にんげん)つまり人そのものを表すようになりました。日本では、人の間すなわち人間関係を離れては、人は人たり得ないと考えられていたからでしょうか。日本は関係性を極めて重視する社会であり、人生の豊かさとは畢竟すれば関係性の豊かさに尽きると考える日本人は多いのではないかと思います。
最近、精神を病む人が増加していると聞きますが、それは関係性そのものを病んでいるのではないでしょうか。
増加の一途をたどっていた幼児虐待件数が、昨年度3万7千件に達したといいます。これは児童相談所が相談を受けた件数であり、実態はその数倍を超えているのではないかと思います。最も無力で他者に依存しなければ生きていけない時に、親からその存在を無視あるいは否定されるような体験をすることがどれほど大きな影響をあたえるかは、はかり知れないと思います。人間関係のなかではじめて人が人たり得るのならば、人が人を大切にするのは自分が他者から大切にされる体験を経なければなりません。人を愛し信頼するためには、人から愛し信頼されなければなりません。
日本社会は将来、強烈なしっぺ返しをうけると思います。もう現に、うけはじめているというべきかもしれません。
現在日本の社会では、自立とともに自由ななかでの競争と自己責任が、声高に求められています。勿論、自立を求めて努力し自己責任を果たそうと努めることは、大切で必要なことです。しかし、そもそも人間は自立して生きられるものなのでしょうか。本来、人間は自然や社会や他者に依存しなければ生きられない存在です。これはちょっと考えれば、自明のことです。人間が生きるということは、依存するということとほとんど同義のことと思われます。人間の自立とは、依存を前提にしてはじめて言いうることではないでしょうか。この事実を無視しようとするのは、人間の傲慢でなければ無知というべきではないかと思います。自立を求める前に、その前提としての依存すべき基盤がどんどん人間の手で崩されていっていることこそ、深刻な問題というべきでしょう。
現在必要なことは、人間が自然や社会や他者に依存しなければ生きられない存在であることを再確認し、それらとの失われつつある関係を再構築することではないかと思っています。 |
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