朝日高校には「自主自律」を育てる仕掛けがいろいろあります。朝の会も帰りの会もしない。授業の変更やその日の伝達事項は連絡黒板に書かれ,生徒たちはそれを見て行動する。新しい問題集を購入すれば,年間計画と共に配り,定期考査の前にはその出題範囲をいちいち念押ししたりしない。毎日の清掃時間を特別に設けない。購買のアイスクリームの無人販売(そしてその出納は正しく行われている)・。
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毎年5月の初めに行われている1日ホームルームは,生徒たちが行き先を決め,計画を立てて実行するという,まさに生徒中心の学校行事です。クラスでの話し合いや相手先との交渉のなかで,生徒たちはさまざまなことを学び,新しいクラスの仲間作りをしていきます。担任はほとんどそばで見ているだけで,できるだけ生徒たちの自主性に任せています。文化祭や体育祭がその準備や運営も含めて生徒たちによって立派に成し遂げられるのも,こういった日常の積み重ねがあってこそです。自主自律の精神が培われることと,それが発揮されることとは表裏一体のものだと思われます。 |
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教師主導で細かく指示を出せば,きっと滞りなくうまくできあがるであろうことを,あえて生徒に委ねることは,かえって勇気のいることかもしれません。また,少々時間がかかることかもしれません。そのことをもって「朝日高は冷たい」と非難する人があるかもしれません。しかし,高校時代に失敗しながらも考え,学び,身につけていったことは,生徒たちが将来社会に出ていったときの大きな財産になると考えています。このようなよき伝統は,ずっと継承してもらいたい。と同時に,必要に応じて他者にあたたかい支援の手を差し伸べられる人になってもらいたい,と考えていました。
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一方,「私事化(privatization)」という言葉が聞かれるようになって久しくなります。生活が豊かになり,個人の生活が自己完結しがちになり,自分に直接関係のないことには一切関与しないという人が増えています。少々お節介を焼こうものなら,かえって疎ましく思われてしまいますから,人と人とが遠慮し,助け合う場面が極端に少なくなっているようにも感じられます。そのような社会の中で,「朝日の自主自律」を履き違えてしまい,自分さえよければ,他者には関心を示さない,あるいは困っている人がいても見て見ぬふりをする生徒がいるのではないかと危惧の念を抱いていました。
教育相談課で毎年実施している「いじめ問題・悩みに関する調査」のなかに「もしも,いじめにあったり,悩んでいる友人がいたら,あなたはどうしますか」という質問項目があります。その答えとして「困っているなら助けてあげたい」「相談にのる」「話を聞くだけでも聞きたい」「大人に知らせる」といった回答が各クラスでかなり見受けられ,ほっと安堵します。また,「助けたいがどうしていいかわからない」「それとなく気は遣うが,目立ったことはしたくない」「結局見ているしかないと思う」「自分に関係ないことなら無視する」といった意見もあります。積極的に関わることで,かえって自分がいじめのターゲットになってしまうかもしれないと恐れるのは当然であり,そのことを考えると「いじめは悪い」とわかっていてもなかなか行動にまで移せないのかもしれません。 |
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そのなかに,「助けたいとは思うが,方法がよくわからないし,自分にその力が無いような気もする。助けるためには具体的になにをすればよいのか,それを学びたい」という明確な意志を示す記述がありました。「そうか・・・」と思わず唸りました。生徒たちはこういったことを知りたいと思っているのに,学校教育の中でどれだけのことを提供しているだろうか,そう思わずにいられませんでした。
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「自主自律」の精神を体現することと「思いやり」をもつことは決して矛盾するものではありません。それどころか,自分で考え自らを律して行動できる人こそが,真の思いやりをもち,相手を尊重することができると考えます。本校の教育目標に謳われている「自主自律」と「自重互敬」の精神はこういったことではないかと思われます。前述の通り,本校の教育活動のなかには前者を涵養するチャンスはあらゆるところに見受けられますが,後者については手薄であると感じていました。 |
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教育相談課で何かできないだろうか・・・。と考え,それを一つの形として試行してみようとしたのがピアサポートです。もちろん万能ではありませんが,なにかのきっかけになれば,と考えてのことです。ピア(Peer=仲間)サポート(Support=支援)は,生徒の中に仲間支援の力を育て,活用する取り組みです。カナダやアメリカ,イギリスなどの学校で発展し,今では多くの国々に広まっています。日本には1990年代に紹介され,小・中学校を中心に全国各地の学校で実践されるようになりましたが,高校での実践はあまり多くありません。岡山県における実践校は,全校種通じてもまだ少数です。
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このプログラムに参加した生徒は,トレーニングを受けることで,他者支援のための資質や能力を養います。また,サポートのためのスキルを身につけるだけでなく,他者と交流することで人間関係を学び,社会性を培うことも目標の一つです。そして,サポート活動をする過程で,自分が他者のために役立つ経験を積んだり,うまくいかなかった点を修正したりすることで,対人関係調整力を身につけ,「自分もだれかの役に立った」という実感から自己肯定感を高めることが期待されます。
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ピアサポートには,いじめや暴力などの問題行動が起こりにくくなる,予防的なはたらきがあることも,さまざまな実践から報告がなされています。本校においても,ピアサポート・プログラムを通じて,学校の中に一層の共感的であたたかい雰囲気をつくることができれば,と考えました。
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吉川武彦氏(講演当時,国立精神・神経センター精神保健研究所所長)は『子どものこころに迫る』と題する講演の中で,「人間関係の希薄な子どもたち」を「ビー玉人間」と呼び,「つるつるで,きれいで,見た目にはいいけれども,“球”ですから,接するときには1点でしか接することができないはずです。すなわち,支えることも支えてもらうこともできない人間をつくってしまったといえましょう。ビー玉を入れ物の中に入れて,入れ物を壊してしまえば,ビー玉はバラバラになって机の上に散ってしまいます。ところが入れ物の中に,拾ってきた石ころを入れて積み上げ,その入れ物を壊したならば,石ころは少し広がるかもしれませんが,お互いを支え合いバラバラにはなりません。ということは,私たちはビー玉人間ではなく,石ころ人間を育てなければいけないのではないかとも言えるでしょう。石ころはお互いがすれ合って熱も出る,つまり人でたとえればけんかもするでしょうが,支え合うこともできるのです。石の山が崩れないように,人の集団はバラバラにならないのです。」と述べています。
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「お互いを支え合うことのできる集団」はピアサポートの目指すイメージです。生徒たちの多くは孤独を抱えながら,それでもやはり人と触れ合うことを求めているように見えます。そして,お互いに本音で話し合い,支え合えるような人間関係をもつことができるとするならば,そうしたいと願っているのではないでしょうか。ただ,彼らは社会全体として希薄になってしまった人間関係や,忙しい毎日の中で,なかなかそういった学びの場をもつことができずに育ってしまい,どうやって人間関係をもてばいいのかわからなかったり,傷つくことを恐れて人と本音で接することに臆病になっているだけかもしれない。そして,傷つけ合ってしまったときに,その関係を修復する自信がないために,ますますお互いに深いかかわりを避けているのではないだろうか・・・長年教育相談に関わってきて実感していることです。
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昨年度は最終的に32人のピアサポーターたちが育ち,それぞれが自分にできる範囲のささやかなサポート活動をしました。私はこの活動のなかでサポーターたちが支える側になるばかりではなく,上手に支えてもらう側に回る体験を重視しました。「支え上手は支えられ上手」ということを何度となく生徒たちに伝え,また協力することで達成できる演習なども,トレーニングのなかで積極的に提供しました。「けんかもするが,支え合うこともできる石ころ人間」をイメージしながら,「大事なのは失敗しないことではなく,失敗したときに立て直せること」などと話すなかで,生徒たちも折りにふれ,その実感を深めてくれたことと思います。彼らがトレーニングやサポート活動を楽しみながら,大きく成長したことは言うまでもありません。
今年もまた,6月中旬からピアサポートを始めます。この活動のなかで大切にしたいことはたくさんありますが,「やっぱり友だちっていいな」と実感する場・・・それを提供することを一番に心がけたいと思っています。
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