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『相談課便り』第16号 コンテンツ
「19歳の地図」 鷹家 秀史
「春」を引き出す力 学校カウンセラー
森口 章
「あおぞら」と「あさひ」 大西 由美
「桜・さくら」咲く 直原 可菜


<平成21年3月発行>
 <表面>
 <裏面>

 「19歳の地図」  鷹家 秀史
 私が大学を選ぶときの条件の一つは、必ず下宿できるところ、であった。別に親と喧嘩していたわけではないし、それどころか、仲良く過ごした18年間だったような気がする。それでも、高校を卒業したら、親元を離れて生活すると堅く決心していた。親元から通学する方が何かと便利だろうし、経済的にも負担をかけなくて済むことぐらいは18歳の高校生にもちゃんと分かっていた。それでも、親元を離れたかった。一人で生活したかったのだ。
 大学の一回生の夏に、石川県の能登半島を旅した。一緒に旅する友人達がいなかったわけではないが、一人旅に意義を見いだしていたからだろう、誘いの言葉さえかけることはなかった。『天地人』の上杉謙信が攻略した七尾城を巡り、それから輪島まで行った。国鉄七尾線は、鈍行で早朝ひとりで電車に乗っていると朝日が登ってきたことを覚えている。輪島に宿泊した夜に御陣乗太鼓(ごじんじよだいこ)を見た。この地に攻め込んだ上杉謙信勢を、村人達が鬼面や海草を付け陣太鼓を鳴らして驚かせ追い払ったのが起源とされる太鼓だ。荒々しく、孤独なこころの中に土足で踏み込んでくるといったような太鼓であった。御陣乗太鼓は私の大好きな太鼓になった。
                                      
 二回生の夏には佐渡島に渡った。梅田発夜行の雷鳥だったと思うが、早朝に新潟に着いた。新潟港から両津港までの佐渡汽船に乗って佐渡を歩いた。佐渡には廃屋寺が少なくなく、巡る寺は全て廃屋寺だったように記憶がある。佐渡の金山を訪ねてみたが、江戸時代を彷彿させる佇まいは最早なかった。途中でレンタカーを借りて島のあちこちを訪ねていたとき、梅雨明けの豪雨に見舞われ、後続車と接触事故を起こした。土砂降りの中の現場検証。『冷たい雨』。その後に両津警察署に行った。初めてのパトカーだった。
 三回生の冬には、五條市から十津川を下り、瀞八丁(どろはっちよう)経由で新宮・熊野を旅した。雪深い十津川から早春の熊野を目指してバスで旅をした。『枯木灘』をどうしても見たかった、ただそれだけの理由だった。南方熊楠の神島を訪ねるつもりだったのに、訪ねることはできなかった。理由は思い出せない。
 昔はこうやって一人旅に出ていた。誰ともおしゃべりせず、何も考えず、ぼうっとしているうちに目的地に着くのがいい。自分のペースで生きていればよい。降りたい駅で降り、泊まりたい町で泊まればよい。誰にもペースを合わせる必要がない。そんなのんびりした一人旅、孤独を癒す一人旅をするために、親元を離れたのかもしれない。



 「春」を引き出す力  学校カウンセラー 森口 章(沢田の杖塾 主宰)
 まだ雪が舞う日、サンシュウの小枝が見事な花を咲かせた。妻が小さな花瓶に挿し台所の窓際に置いたものだ。それを見て、今は母になった教え子から数日前に届けられたフキノトウを思い出す。それは手折られた直後のものかと思うほど瑞々しかった。私は、春が目前にあることを知り、今、その気配が様々な生き物たちの力を引き出しつつあることを実感した。
                                   
 季節の移ろいが、生き物たちの変化や行動を引き出すのと同様に、自分の有り様が、日常接する人々から、良いものを引き出したり悪いものを引き出したりしていることを意識するようになったのはいつのことだろうか。
 牧師でカウンセラーの田中信生さんは「素晴らしい人に出会ったら自分をほめよう」という。どのように素晴らしい人に出会っても、傲慢な態度では、その人から怒りや憎しみなど否定的なものしか引き出せない。
 だから、素晴らしい人に出会えた手柄の一部は自分にある。しかし、この言葉は「世の中にロクな人間はいないと感じ、イバラの人生を生きている時には厳しい箴言でもある。… そういう時の自分は、素晴らしい人には出会えないような生き方を自ら選んでいるのであり、出会う人から、いつも、ネガティブなものを引き出しているということになる。

 子育て書に「子どもを苛立たせてはならない」という一文があったのを思い出す。どんなに悪いことをしても叱らない親や教師の態度には疑問があり、怠惰な子を前にした葛藤は、親(教師)ならだれもが体験ずみであろう。しかし、苛立たされて育った子が、人を苛立たせる大人になることも私たちは知っている。
 こう考えると子ども(生徒)に向き合う視点には、以下の2つがあることに気づく。すなわち、
@何をどのように教えるかという、自分の側からの「働きかけ方」という視点、
A子どもから良いものや悪いものを引き出している「自分のあり方」という視点である。
 たとえば「オレの気持ちが分からないのか」と教えるのは@視点であり、まず子どもの気持ちを分かろうとするのがAの視点である。
 この意味で、@での工夫に限界を感じる時は、いつまでもそれにこだわらず、Aの視点に切り替えることだ。人は、自分の苦労を分かってくれる人の話に耳を傾けるものだから。

 教師のかけ込み寺として開設した「沢田の杖塾」は5年目の春を迎える。操山の北の斜面にある杖塾の庭や、そこから続く山にはヤブ椿やサンシュウが咲いている。やがて桜やシャガ、サツキ、花菖蒲が次々と咲き続けるだろう。
 私はこの場所で、個人面接に加えて職業や年齢を越えた出会いグループを主宰し、良いものを引き出し合う人間関係づくりを楽しんでいる。
「ここに来るだけで、本当の自分に戻ることができる」と言ってもらえるのが私の心の糧である。また何よりも、この場が、私から良きものを引き出す場となっていることを喜んでいる。
                              

 「あおぞら」と「あさひ」  大西 由美
あおぞらは「あお」…
 明るく澄み渡る「あおぞら」は、無限の宇宙の広がりを思わせ、見上げる人の心に希望を与えてくれます。見上げる=顔をあげて空を見る=天を仰ぐ、その動作は前向きに勇気を持って生きようとする人の思いの自然な現れのように思います。
 空は、時には曇り、厚い雲に覆われ、時には雷に切り裂かれ、雨に雪にその明るさを阻まれることもあるけれど、そのたびに研ぎ澄まされ、清められて、優しさや深みを帯びた美しい「あおぞら」となって再び立ち現れてきます。空は「あおぞら」。
 「青空」「蒼空」「碧空」…よみがなはすべて「あおぞら」。私の知る或る先生に学級通信「あおぞら」を発行されていた方がおられます。1年生2年生3年生と学年が進むに従って「青」から「蒼」へそして「碧」へと題字の表記を変えることに、どんな思いを込めておられたのか、先生から直接お聞きすることはありませんでしたが、私はひとり、先生の教え子を思う愛情にしみじみと心打たれたのでした。

1年生は「青空」 
 青い空に白い雲…「青空」はさわやかな風が渡る明るくすがすがしいイメージです。「青春」という言葉もあるように、春の季節のみずみずしさ、はつらつとした芽生えのエネルギーも内に秘め、見上げると、前途が洋々と開けてくるようなわくわくした気分になれる、それが「青空」。新しい学校に希望を胸に入学した1年生たちが、新鮮な気持ちでのびのびと学び、部活動や課外活動にも精を出し、明るく元気に生活して欲しいという願いを込められたのだと思います。

2年生は「蒼空」
 「蒼天」とは春の空、「蒼海」は大海原。「蒼」の字には「繁る」という意味もあります。植物の葉がすくすくと成長し、たくましく生い茂ってゆくように、生徒たちが身体的にも精神的にも成長してゆく姿がイメージされます。知識を広げ経験を重ねて確実に力を伸ばし、社会のあり方や自分の生き方について何ほどか思索するようになる2年生として、嬉しいことにも苦しいことにも出会い磨かれる中で、ひとまわり大きくなってほしいという先生の願いが伝わってくる気がします。

3年生は「碧空」
 「碧」はみどり、エメラルドグリーンのような深みのある「あお」。どこまでも深く美しい海のように奥行きがあり、神秘的で重厚なイメージがあります。伸び茂った葉が雨風にさらされ、日に焼かれる中で深まりを増しそれぞれの場所で、それぞれの色合い、それぞれの深まりをもったしっかりとした個性ある存在になってゆくように、生徒に人間的な奥深い魅力を備えた自分らしい自分になって立派に卒業してほしいという願いが「碧」の字に静かに深く宿っているように感じます。
 生徒の成長と幸せを願わない教師はいません。「あおぞら」の先生はこのような実にさりげない形で、あたたかく細やかな思いを生徒に発信しておられました。思い出すたび私自身もあたたかい気持ちになります。

空には「あさひ」
 夜明け前のまだ真っ暗な東の空を見つめていると、次第に濃紺から群青へと山ぎわが色を変え、黒い山並みのシルエットが浮かび上がってきます。やがて空は、美しい紺や青のグラデーションを見せながら赤や黄色の微妙な色合いを含んでだんだん白く明るくなってゆき、キラリと閃光が眼を射たかと思うと、突然輝く光の矢束が空に放たれるように山の端から太陽が昇ってくる・・・この早暁の空と日の出の瞬間が私は好きです。
 ♪あたらしい朝がきた 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空仰げ♪ というのは、ラジオ体操の歌の歌詞ですが、希望の朝に輝く太陽の光「あさひ」は、見る人に一日を生きる力を与えてくれるように私は思います。

新しい春に
 生きていると悲しいことも苦しいこともたくさんあります。私はこの三年続けて悲しい別れを経験しました。恩師・友人・家族。みんな桜咲く春を待たずに天に召されて逝きました。   
悲しい知らせをきき、重たく暗い心を抱えていても、必ず時がたち、夜が明けて朝が来て、「あさひ」が昇ってきます。本当に辛いときは「あさひ」の明るさを恨めしく思うこともありました。しかし、どんな状況にあっても、どんな悲しい人のところにも、必ず朝は来て「あさひ」が昇るということのありがたさを、いまはあらためて感じています。
 「あおぞら」と「あさひ」。いま私は、これから3年生になる私の生徒たちに、自分の進路をしっかりと見定め、なすべきことに専念し、また友達と切磋琢磨して高めあうのはもちろん、個性的で深みのある魅力的な人間に成長してほしいと切に願っています。卒業までの過程で、辛くてどうしようもない状況に陥った時は、必ず夜が明けて「あさひ」が昇ることを信じて刻苦勉励、前進してほしいと思います。新たに2年生になる皆さんには、学校の中心になるのだという自覚を持って文武両道で活躍しながら、1年生の手本となる立派な上級生に成長してほしいと思います。
 どうか、頑張ってください。 

旅立つ人たちへ
 この春から新しいところで活躍するみなさん。あなたが生活してきたこの岡山朝日高校でのたくさんの仲間との出会い、さまざまな経験を深く胸に刻みながら、それぞれの場所であなたの素晴らしさを十分発揮して、明るく元気に活躍してください。厳しい状況の中で出口が見つからず、悩み苦しむときにも、あなたの心の中の輝く「あさひ」を見失わないでください。悩むのも苦しむのもあきらめていないからです。あきらめないで何とか頑張ろうとするから苦しいのです。その苦しさは、知らず知らずのうちにあなたを磨き鍛えて、やがてはあなたの心の中で、燦然と輝く「あさひ」が闇を照らすような、揺るぎない強さへと変わってゆくでしょう。夜が必ず明けるように、必ず開けてゆく希望があります。信じる力が運命を切り開いてくれます。いままでお世話になった人々、支えてくれた仲間たちに感謝しながら、しっかりと自分を信じて進んでいってください。ご多幸をお祈りしています。
 
 もうすぐ桜が咲きます。新しい春が来ます。さわやかな「あおぞら」と輝く「あさひ」の力をもらって、それぞれの深まりが自分自身に加わるような、実りある新年度を迎えたいものです。心新たに・・・。



 「桜・さくら」咲く  直原 可菜
 この季節になると頻繁に耳にするようになる言葉「桜・さくら」。この言葉を聞くと、春が来たなと改めて感じさせられ、心が明るくなります。春の訪れを知らせてくれる桜は、いつも私に新しい出会いと別れを運んできます。今年もまた桜の咲く季節を迎えようとしています。
 思い返すこと一年前、私は熊本の地で大学のキャンパスに咲いていた多くの桜に見送られながら卒業し、共に大学生活を過ごした大切な仲間たちと別れました。桜の木の下で、花吹雪に包まれながら記念撮影をしたことを思い出します。最後の学生生活を終え、社会人としての新たな一歩を踏み出す私を温かくも少し寂しそうに送り出してくれました。
 四月からは朝日高校の桜に優しく迎えられ、教師として一年目の春がやってきました。しかし、教育の道よりはるかに看護の道の方が長かった私は、はたして教師として上手くやっていけるのだろうかという不安な思いを抱きながら朝日高校に足を踏み入れました。さらには友人から「明らかに看護師の方が向いとるよ!!教師ってイメージ湧かんわぁ。」という言葉の洗礼も浴びながら。けれども、それらは日々朝日高校で過ごしていく中で自然と薄れていき、大変な思いはしながらも一日一日が楽しくて、教師として今この場にいられることに徐々に誇りを持てるようになっていきました。今思い返せば、桜は私に微笑みながら「頑張っておいで」と、そっと見守っていてくれたように思います。
 春が過ぎて桜の花も散り、夏〜秋〜冬と生徒と共に成長しながら過ごした一年間を終え、月日を重ねて、また桜の花が顔を覗かせる季節がやってこようとしています。
 これから迎える新たな桜の季節は私にどのような出会いをもたらしてくれるのでしょうか。この春、私は多くの別れを経て、朝日高校の桜に見送られながら熊本で再スタートを切ります。まだ教師一年目。まだまだヒヨコ教師の私だけれど、胸がワクワクする出会いがきっと待っていることでしょう。桜咲く季節、次はどんな桜が見られるのかな…。みなさんの上にきれいな桜が満開に咲きますように…。



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