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『相談課便り』第19号 コンテンツ
「仕上げる」ということ 大西 由美
昔のことかも 高祖 幸男
悩みをきく 松本 雅子
「いじめ問題・悩みに関する調査」の概要


<平成21年12月発行>
 <表面>
 <裏面>

 「仕上げる」ということ  大西 由美
 私は今年、3年生を担任しています。年末が近いこの時期、彼らは、家族の方々に支えられながら、あるいは、仲間の頑張りに励まされながら、来るべきセンター試験に向けて、最後の「仕上げ」をしています。どうか、体調を崩すことなく、みんな納得のいく状態で(心も体も学習到達度も)本番を迎えてほしいと、祈るばかりです。

気になる言葉
 私は本年度の初め頃からなぜか「仕上げる」という言葉が気にかかるようになりました。我が家には、高校3年生と中学3年生の子どもがいます。二人とも、それぞれの学校生活を仕上げる年。そして、私は3年生の担任として当該学年の生徒を仕上げて、送り出す年。そういう巡り合わせで、ことさら気になっているのかな…と思っていましたが、そうではないということが最近になって分かってきました。
 私は朝日高校に赴任して、今年で13年になります。その間に、多くの素晴らしい先生方や生徒たちと出会うことができました。赴任当時5歳と3歳だった子どもたちもすっかり大きくなり、それぞれが、彼らの人生の一つの節目、仕上げの年を迎えています。しかしながら、自分はこの13年間、いったい何をしてきたか、何を仕上げて来たのか、と考えたとき、「これ」と胸を張って言えるものが何もない。毎年毎年、与えられた立場で、誠実に精一杯働いては来たつもりですが、私には「これ」がある、と言えるものが何にもないまま、いたずらに13年を過ごしたように思えてなりません。「仕上げる」ことができていないからこそ「仕上げる」が気になっていたのです。

振り返って…
 13年前のことが思い浮かびます。
 私は、美作地区の南部にあった旧岡山県立福渡高等学校(現在は岡山御津高校に統合)から朝日高校に転勤してきました。福渡高校は、全校生徒300人ほどの小さな学校でした。生徒会が中心となってボランティアに取り組み、ネパールに小学校を二校建てた海外協力活動は、現代社会の資料集(全国版)に紹介されたほどでした。朝日高校とはタイプの違う学校でしたが、先生方は皆さん熱心で、生徒も素直で心の優しい子が多かったように思います。私は福渡高校が好きでしたし、そこで仕事をすることに生き甲斐や誇りを持っていました。できることならまだ勤めていたかったのですが、当時生徒の減少に伴う教職員の定数減の施策で、どうしても転勤することになりました。そして、母校朝日高校に赴任しました。両親は中学三年生だった私が朝日高校に合格したときと同じように、赤飯を炊いて転勤を祝ってくれました。
 朝日高校の先生になる。これは並大抵のことではありません。私は生徒だった頃にお世話になった先生方を思うと、自分なんていったい何ができるんだと不安になりました。賢い生徒たちに尊敬されるだけの力を自分は持っているか、自問しました。そして、かつて県北の進学校、津山高校に勤めていたときの授業のノートや自分でつくった資料をもう一度引っ張り出してみたりして、勘を取り戻そうと努力しました。もちろん、自信満々で赴任したわけではありません。どちらかというと戦々恐々として校門を入ったのです。
 予想通り、授業の準備等に追われて眠れない日々が続きました。実力考査の作問に対して、先輩教師から厳しい指導を受け、自分のふがいなさが悔しくて泣いたこともありました。福渡高校に帰りたいと何度か思いました。体調を崩して辛いときもありました。もう教壇に立てないのではないかと自信を失いかけた時もありました。
 
私を支えたもの
 転勤してきた当初、大学の先輩でもあった同僚の先生が「喜びも力も生徒がくれるから、苦しいけど頑張って」と声をかけてくれたことを思い出します。その言葉通り、文武両道に精一杯に青春のエネルギーを傾けて、ひたむきに毎日を生きている素晴らしい生徒たちのおかげで、私はずいぶん幸せな13年間を送ってきたと思います。体調を崩して自信を失いかけた時も、私を学校に引き戻してくれたのは、ある生徒の「先生、みんな待っているから、はやく元気になって授業してください」という一本の電話でした。これに象徴されるような心優しい生徒たちのおかげで、勇気も活力も与えてもらっています。しかし、それだけではありません。支えてくださったのは、多くのともに仕事をしてきた同僚の先生方です。
 朝の笑顔のあいさつ、困っているとき声をかけてくださること、お互いの立場やスケジュールを思いやり、さりげなく手助けしあうこと、時には子育てや趣味の話で盛り上がること…。そういう、ちょっとしたことが心の健康には大切です。「忙しくてあいさつをする余裕もない、周りを見る余裕がない」と、数年前の教職員のメンタルヘルスアンケートに書かれていました。朝日高校の先生方の仕事の忙しさは格別だと私自身思います。余裕がなくなる時が誰にでもあります。しかし、そのようなときに、肩に力を入れっぱなしで、緊張を続けていると、かつての私のように本当に体を壊してしまいます。厳しい日常の中に、同僚と励まし合ったり、時には弱音を吐いてみたりするちょっとした時間があるのとないのとでは、心と体の健康に大きな違いがあるのです。歯を食いしばって頑張ることだけが美徳なのではありません。助け合い励まし合える、支え合える仲間がいてこそ、よい仕事ができるのです。   

今になって
 13年経ちました。いま、私は福渡高校が好きだったのと同じように、朝日高校が好きです。自分の力を発揮でき、教え伝えたことを受け止めて年を追うごとに確実に成長してゆく生徒たちが、この13年間にたくさんの経験と感動を私にくれました。また、本当に優れた人格と高い指導能力を備えた尊敬すべき先生方にたくさんのことを教えていただいて、今の自分は自分の足で着実に毎日歩を進めているように思えています。 ですが、やはり何かを「仕上げる」ということは、できていない気がします。私のゴールはどこにあるのでしょうか…。
 そのような思いに後押しされ、今年私は総合教育センターの「同僚性形成のためのミドルリーダー養成講座」を受講しました。いま、朝日高校の中で自分が果たす役割を模索してのことだったと後になって思っています。講座は、話の効果的な聞き方、バーンアウト(燃え尽き)を防止する関わり、自己分析、問題を抱えた同僚へのアプローチ、同僚性形成のためのプログラム作りなど豊富な内容の意義深いものでした。管理職の先生や、小学校・中学校の先生方とも交流でき、それぞれのお立場で良い職場づくりに懸命に取り組んでおられるお話を伺うことができて、力を与えられたとも思います。(ちなみにこの研修講座における「同僚性」という言葉の定義をたてたのは本校の池本しおり教諭です。2004年)
 また、養護教諭の松本先生とともに「日本ピア・サポート学会」が主催する「ピア・トレーナー養成講座」も受講させていただきました。二日間みっちり、ピア・サポートの理論を学び、トレーニングの実践を体験しました。この学会は全国規模のものですが、昼休みには、岡山朝日高校のピア・サポートを取材したNHKの特集番組のVTRが流れ、優れた取り組みとして紹介されました。私は、全国に先駆けて高等学校にピア・サポート活動を取り入れて実践してきた本校のすばらしさを、あらためて感じました。ピア・サポート活動は、しなやかに進化する伝統校の心意気(良いものを守り続けるだけでなく、新しいものに挑戦し、よりよく発展していく)が十二分に発揮されている朝日高校ならではの活動だと思います。もっとたくさんの生徒たちに経験してほしいと思います。

成し遂げたいこと
 朝日高校の先生として、いま受験を前に努力を続けている彼らへの支援を、骨身を惜しまず続けること。まずそれが一番大事なことです。3年生の皆さん。厳しい冬を越えるからこそ、春咲く桜は美しいのです。美しい花が咲くよう、ともに頑張りましょうね。
 そして私も何か「仕上げる」ことができたと、自分が納得するような時間の過ごし方をしなければ…。私自身が朝日高校の先生として自分にしかできない何かを成し遂げたい…、おこがましいですが、そのような自己実現への意識が今年度の初めから特に強く私にあったがために、「仕上げる」が気になっていたのだと気づいたのです。
 「仕上げる」ということにはこれが最後だという緊張感が伴うものです。最後だからこそ心を尽くすのであるし、自分の納得がいくような仕上げにしたいと構えもするでしょう。今の私はおそらくそんな感じなのでしょう。(この発想は、東大の入試問題文を読んでいてふと浮かびました。興味のある方は、2009年前期試験国語の第一問をお読みください。)しかしながら、朝日高校で先生をするということには、これが最後だという時だけでなく、常にこの緊張感と構えがついて回るように経験上思えます。そのクラスのその授業は一回限り、その生徒にとっての高校生活も一回限りです。この取り返しがつかない事態に立ち向かうために、我々教師は日々自己研鑽し、失敗も引き受けながら勇気を持って生徒に対している。そういう真摯な姿勢であればこそ、卒業生を送り出す時の溢れる感動もあるのだと言えるのではないでしょうか。

日々挑戦する
 「研鑽を積み、一回きりの今日を勇気を持って生きる…」朝日高校の先生になって、いままで言葉でつかめなかった「望ましいあり方」というようなものが13年経ってやっと言語化されたように思います。弛みない自己研鑽を、国語教師として、人として、教育相談課の一員として続けること。ゴールはないのだということ。小さな「仕上げる」を積み重ねて、自信を持って新しいことに挑戦する。そうやって可能性を広げながら生きることこそが大切なことであり、その行き着く先の先に「仕上げる」という尊い何かが待っているようにいまは感じています。

 生徒たちにも負けないように、私は、まだまだ頑張らなければ…。二学期の終わりに覚悟を新たにしています。


 昔のことかも  高祖 幸男
 年のせいだろうか? 夜になると早い時間から眠くなってしまう。そのまま寝てしまうのはいいが、真夜中によく目が覚める。寂しいからといって熟睡している家族を起こすわけにもいかず、枕元に散らかった本を手に取ってみる。小さな蛍光灯スタンドの明かりの下、聞こえてくるのは下の水槽のエアポンプのかすかな音だけ。起きているのは自分ひとりだけ。これほど集中して読書ができる時間帯はほかにはないだろう。本なら何でも良い、ブルーバックス(科学関係)、歴史小説、化学に関する本、体や健康に関する本、週刊誌などなど(どちらかというと科学の本と歴史の本が好きである)。小さい字の本は読むのに苦労する。休日ごとに書店へ行って少しずつ買ってきた本が、枕元に山積みになっている(まさに積ん読である)。何の本を選ぶかは自由、1冊の本を集中して読んでいくのではなく、いろいろな本を同時に少しずつ読んでいくことが多い。自分にとってこれほどわがままな時間はあまりない・・・・。
 幼い頃から布団にもぐって寝る前に物語を聞いたり、本を読んだりするのはそんなに嫌いではなかった。思い出してみれば、どちらかというと無口な親父だったが布団に入ると、桃太郎、こぶとり爺さん、舌切り雀、花咲か爺さん・・・・といろいろ「日本むかし話」をよく話してくれた。そして、最近のことはちっとも覚えてないが、自分が若かった頃の経験は驚くほどよく覚えていた。特に戦争時の話が多かった、ナンキン雑炊、岡山空襲、三八式(さんぱちしき)歩兵銃(?)の話も出てきた。もういいかげんに寝てしまいたい親父に「それで、それで」と話の続きをせがんだこともたびたびあった。
 祖父のフトンにもぐり込めば、これをいってみろ「ニニンガシ・・・・」幼い自分には何のことだかさっぱり。小学校に入学して初めて九九のことだとわかった。祖父は何も知らない自分に九九を覚えさせようとしていたのだろうか。まだ、どこの家庭でもテレビがあるという時代ではなかった昔のことである(真空管のラジオは家にあった)。                
 小学校では放課後、図書室によく通った。本を借りるために使った貸し出しカードが、いつのまにか何枚もたまった。自分で本を読むことが好きになっていた。今でもそうなのは、幼い頃の経験が少なからず影響しているのかもしれない。かつて自分と同じ年頃になった息子たちに、「日本むかし話」などをしてみたことがある。なかなか「それで、それで」と子どもたちを引きつけられるような話ができたものではない。親父は話題が豊富で話がうまかったのだろうか?
 枕元に山積みになっている本をしばらく読んでいるとまた眠くなってくる。ときに小説などは、途中でやめるにやめられずついつい・・・・しかし、ふしぎと朝には決まった時間に目が覚める。起きて最初にするのは金魚にエサをやること。今では水槽に近づいて行けば寄ってきて口をパクパク。いつの間にか、よくなついたものである。これがいつもの一日の始まりである。


 悩みをきく  松本 雅子
 保健室に居ると生徒から悩みを打ち明けられることがよくある。誰にでも一つや二つ悩みはあるものだが、高校生ならなおのこと、勉強、友人関係、自分自身・・と悩みはつきない。真剣に悩んで気持ちの整理がつかない、授業に集中できないと言って来室する人もいる。「聞いて!聞いて!」とかけ込んで来る人も居れば、2人組で来て「この人の話を聞いてあげて下さい」という場合もある。既に大勢の人に悩みを話し、実は自分でも解決しているが一応先生にも聞いてもらっておく、というものまである。とりたてて根堀り葉堀り聞き出しているわけでも、何か悩みを聞くコツのようなものがあるわけでもない。何気ない会話の中でふと見せる不安げな表情や一瞬光る涙に気づき、「よかったら話を聞くよ」と声をかけると、我慢していた何かが溢れ出す。保健室という場所自体に生徒の胸中を開かせる安心感があるのだと思う。昨今では友人に悩みを相談することも難しいようだ。悩みの内容によっては相手を困らせるし、自分のことをどう思われるかが心配だからだ。といって親や兄弟も近すぎる存在だけに相談しにくい面もある。まずは自分でしっかり考え悩むのも大切なことだと思うが、悩みに自分が押しつぶされそうになったら、親身になって聞いてくれる少し距離のある大人に話してみるのもよいと思う。

 「いじめ問題・悩みに関する調査」の概要
 今年度も、3年生においては1学期、2・1年生は2学期に「いじめ問題・悩みに関する調査」を行いました。この取り組みは時代の推移とともに、質問項目や形態が変わってきてはいますが,教育相談課として長年継続的に実施しているものです。「問A」は4件法,「問B・問C」は自由記述で答えてもらいました。その結果、本校のいじめや悩みの実態としては数値的に見る限り大きな問題点は見られませんが、自由記述も含め詳細に分析すると生徒が日々どのような思いで学校生活を送っているかが見えてきます。

問A【いじめ・悩みについての質問】の結果 

 「問A」質問事項

3年

2年

1年

a  生活のリズムが整わず,体調をよく崩す。

2.1

2.0

2.2

b  友人関係で悩むことがよくある。

1.9

1.9

1.9

c  学校内に信頼して相談できる人がいない。

1.8

1.7

1.8

d  勉強の仕方がわからず,集中できない。

2.3

2.4

2.4

e  将来への見通しが立たず,気力が湧かない。

2.1

2.2

2.2

f  学校に行きたくないとよく思う。

1.9

1.9

1.9

g  私には友人がいない。付き合いがうまくいかない。

1.4

1.3

1.3

h  私はいじめられている。

1.2

1.1

1.2

i  からかわれたり,手を出されることがあり,いやだ。

1.4

1.3

1.3

j  言葉や態度で傷つけられることがある。

1.5

1.5

1.5

k  クラスの中に改めるべき問題がある。

1.5

1.7

1.8

l  いじめたりいじめられたりしている人がいる。

1.3

1.4

1.4

m  人が私をどう思っているのかとても気になる。

2.3

2.2

2.4

n  家族には,悩みがあっても相談できない。

1.9

1.8

1.9



○全体的な傾向
 全体的に見ると、各学年同じような数値であり、学年間の差はほとんどないと思われます。また過去の数値と比較しても差はほとんどありませんでした。数値がやや高い項目としては、「体調をよく崩す」「勉強・成績のこと」「将来の見通し」「他人からの評価」が挙げられ、生徒が学習面・生活面で少なからず悩みを抱えている現状が見えてきます。

○いじめの実態について
 質問h〜lまでがいじめに関連した項目であり、その数値は高くないものの皆無ではなく、いじめにつながるような「からかい」や「言葉の暴力」を含めると、本校にもいじめ問題は存在するということです。そしてその心ない言動に傷ついている生徒やその場面を見たり聞いたりした生徒が、本校にも改善すべき点があると答えていると思われます。

○友人関係・親子関係について
 高校生は交友関係もさらに広がり、友人といかに上手につきあっていくかは、大きな課題です。また「自分」が他人にどう思われているかなど、自意識が高まるのもこの年代では当然のことと言えます。親との関係も「理解してほしい」けれども「干渉されたくはない」といった思いが強くなり、徐々に親離れし、自己の確立をしていくものと思われます

問B【朝日高校に「いじめ」はありますか。あるとすればどのようなことですか】について

○「知っている限りではないと思う」「あまりない」「ない」「いじめは陰湿であり公になりにくい」「人によって感じ方・とらえ方も違う」などの意見がありました。

○「あるとすれば」→「からかい」「陰口」「無視」「冷笑」「いたずら」「ネット上での誹謗中傷」などがあがりました。

問C 【もしも「いじめ」にあったり悩んでいる友人がいたら,あなたはどうしますか】について

○「話を聞いてあげる」「解決の方法を一緒に考える」「できるだけ自分で解決する」「先生や親に相談する」「自分に可能な範囲で何かできることをしたい」という記述が昨年より増えました。

○「何もしない」「できるだけ関わらないようにする」といった記述は例年より減りましたが、依然として見られました。


 本校ではいじめ問題等の実態を把握した際には、学年団をはじめ教育相談課・各関係者等で対応策を協議し、その解決に努めています。教育相談課ではいじめ問題に毅然とした態度でのぞみ、悩んだり迷ったりしている人の支援をします。いじめられている人、いじめている人、何も出来ずにいる人、どんな生徒の話もその人の立場で聴かせてもらいます。
 私たちはいつもあなたのそばにいること、そして、あなたにはかけがえのない未来があること、忘れないでください。あなたは決してひとりではないのです。


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