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『相談課便り』第24号 コンテンツ
 今回の相談課便りはいつもと少し雰囲気を変え、若い先生方をお迎えして、フレッシュな視点からそれぞれの思いを書き綴って頂きました。生徒たちの気持ちに近いところから感じること、思うこと、伝えたいことをありのままにお届けします。
「どんなことにも喜びを」 高橋 元
「必然」 森年 雅子
「植物だって 人間だって」 南 洋明
「へぇそうなんだ〜」 竹谷 朝子
「たまには人生ゆっくりと」 小野 公生
「苦しさの向こう側」 小林 由佳
★相談室の窓から★


<平成23年3月発行>
 <表面>
 <裏面>

 「どんなことにも喜びを」  高橋 元(教職歴1年)
 私は超のつく昆虫好きで、虫屋と呼ばれる部類の人間である!そんな私が大学生の頃いた研究室は、チョウの昆虫生理学を専門に扱っている所だった。実験のための試料を常に500匹ほどキープしていため、年中無休でチョウの幼虫の飼育をしなければならず、研究室に配属された当初は夢の中でも幼虫と戯れていた。そんな苦しくも楽しい大学時代の恩師から学んだことは多かった。あまりにも多いので、その一部を紹介したい。
 昆虫が好きで、昆虫の研究がしたい!と当時の私は研究者を目指して研究室の戸をたたいた。昆虫大好き人間にとっては、昆虫に囲まれ、その生理的メカニズムを解明する研究室は非常にすばらしい空間だった。そんな研究室での生活にも慣れた頃、教授から『あなたは昆虫が趣味だから、研究を“楽しんで”いるね。それを“嬉しい”と思えれば研究者でもやっていけるかなぁ。』と言われたが、その時の私にはこの言葉を理解することはできなかった。
 大学での4年間の後、以前から興味のあった分類学(対象は昆虫)を専攻するために、別の大学院へ進学した。そこでも日夜、先輩や先生方と昆虫分類学について語り明かし、楽しく研究を続けることができたが、嬉しいと思うことはなかった。そして、就職をするか、博士課程に進学するかを考えたとき、果たして“楽しい”だけでこの先、研究を続けられるだろうか、と思った。あの時の教授の言葉は、楽しいことばかりではない中で、喜びを見出せなければ職業としてやっていけない、ということだったのだろう。もしくは、どんなことにも嬉しいと思えるように取り組みなさい、ということだったのだろう。
 教員になって1年が過ぎようとしている今日、嬉しいと思えることが多くなった。


 「必然」  森年 雅子(教職歴1年)
 高校時代、私の思い出の場所といえば、体育館。…と体育教官室。私が教師となって朝日高校でみなさんに出会えたのは、体育教官室という場所のおかげかもしれない。
 もともと体育教師になるつもりなんて全くなかった。人生の半分を費やしてきたバレーボールとも高校でお別れだと思っていたし、バイトもして、サークルにも入って華の女子大生になれることを夢見ていた。実は、体育の先生なんて仕事をしてなさそうだし、怖い人ばかりだし…と心の底では思っていた。
 志望校はまだぼんやりしていて、高校3年の6月頃やっと進路や成績と本気で向き合い始めた。しかし、徐々に焦りを感じ始め、誰にも打ち明けられない悩みを抱えるようになった私は、たまたま用事があって体育教官室へと足を運んだ。そのとき、母のような西原先生と父のような香取先生が思いつめた私の顔を見て「どうした?」と声をかけてくれた。たったその一言が、その時の私には嬉しくて、ありのままの胸中を打ち明けることができたのを今でも覚えている。夜遅くまで話を聞いてくださったり、進学先も一緒に考えてくださったり、自分のために一生懸命になってくださる先生の姿を見て、体育教師というよりも、その人間性に魅かれていった。背中を押してくれる人の存在がありがたく、今でもそれは変わっていない。私は先生と同じ土俵に立って恩返しをしていこうと決めた。
 まさか、一緒に働けるなんて…。こんなことは何%かの確率でしかない。進路が決まらなかったこと、たまたま教官室に足を運んだこと、悩んだこと、打ち明けたこと、全てが必然に思えてくる。みなさんが朝日高校に入学したこと、先生や仲間に出会ったこと、人間関係や文武両道に苦しんでいること、それはきっと偶然ではなく、必然だと私は思う。


 「植物だって 人間だって」  南 洋明(教職歴5年) 
 昨年の8月に,半田山植物園(岡山市)で半世紀に一度しか開花しないといわれているアオノリュウゼツランの花が咲いたというニュースがありましたが,知っていますか?何十年と時間をかけて成長し,8メートルもの高さから鮮やかに咲き誇る様子は,「大器晩成いとめでたし」という感情を思い起こさせるものでした。
 ゲノム解析では,植物にもヒトに匹敵するほどの遺伝子を含んでいるものがいることが分かっています。他の植物でもきっと素敵なドラマが生まれることでしょう。
ところで今の皆さんは何%ぐらい自分の花を咲かせているでしょうか。毎日絶好調!で毎日満開の人はとてもうらやましい限りです。でも「宿題が・・・」「人間関係に疲れて・・・」など今は心がしぼんでしまっている人も多いように感じます。
 あわてて結論を出す必要はありません。この学校生活で少しずつでも栄養を蓄えていきましょう。何年先か分からなくてもアオノリュウゼツランに優るほどのきれいな花を咲かせてください。
 ひょっとしたら,何十年も蕾のままでいるかもしれません。でも安心してください。蕾のままでも大切にしてくれる人が必ずどこかにいます。そんな心を持ち合わせているのが人間というものだから。


 「へぇそうなんだ〜」   竹谷 朝子(教職歴7年)
 皆さんは人に何か相談をすることがあるだろか。
 私は相談するのが苦手だ。正確に言うと、苦手だった。人に自分のことをさらけ出すのが恥ずかしいし、心のどこかで「話しても何も変わらない」と思っている自分もいたのかもしれない。
 でも、最近は少し違ってきた。誰かに話をすることで、自分では抱えきれないこと、考えるだけで心が苦しくなること、逃げたくなること、そんな心の重荷を少し軽くすることができると気付いた。ただ、「そうなんだね〜。それは大変だね・・・。」と、一緒に頷いてくれるだけで心が軽くなって、また頑張れそうな気がするのだ。構える必要はない。ちょっと自分の気持ちを誰かに話してみる。それが、自分を前進させる力になる。
 私は学生時代、「いつも聞いてもらってばかりだから、何かあったら、なんでも言ってね。」とよく言われた。いつも話を聞く方で、自分のことをあまり話さなかったように思う。人の力になってあげたいと思うけど、自分のことはどうしたらいいかわからなかった。そんな私に、「話をすれば楽になるんだよ」と思って、かけてくれていた言葉だったのかもしれない。振り返ると、つらいことも悩みもあったけど、気持ちにふたをして過ごしていたのだろう。でも今なら、「相談」することは、目の前の暗闇を払い、前に進むことにつながるとわかる。解決策や答えは導き出せないかもしれないけれど、自分は決して一人じゃない、と、勇気をもらえる。勉強に疲れたとき、友人関係に悩むとき、なんだか気持ちが晴れないとき、ちょっと話してみてはどうだろう。心にたちこめる雲の間から、太陽が顔を出してくれるかもしれない。きっと、私たちの周りには耳を傾けて、頷いてくれる人がいるはずだから。
 私の2歳になる甥っ子は「へぇ〜そうなんだ〜」が最近お気に入りの言葉だ。「話わかってないよね〜・・・」と思いながらも、なんだか癒されている。


 「たまには人生ゆっくりと」  小野 公生(教職歴10年)
 仕事に追われると,一日があっという間に過ぎてしまう。そう感じてしまうから,通勤中の車の中から見える風景はいつも同じに見える。生徒の皆さんはどうであろうか。電車・バス・自転車など車両の違いはあっても,慌しく登下校をしていると,ふとした環境の変化に気付かないこともあるだろう。
 ドラえもんの名言集の中に「のんびり行こうよ,人生は」という言葉がある。それが出来たらどんなにいいことか...と悲観的に思いながらも,どうにも気になってしようがない言葉である。
たまに寄り道をして新しい店を発見したり,いつも通っている道に抜け道を発見したりすると,少しうれ
しくて,次の日から新鮮な違う気持ちで通勤できる。特急だけの人生ではなくて各駅停車の人生もいいものだ。ぜひゴールにたどり着くまでの過程を楽しむ時間をとってみるのをお勧めしたい。
 ちなみに「人生」「各駅停車」でインターネット検索するとヒット数が10万件超。人生について考えている人が多い証拠だろうか。
 

 「苦しさの向こう側」  小林 由佳(教職歴2年)
 私は幼稚園の頃からピアノを習いに行っていたのですが、毎週ピアノのレッスンの日は朝から体調が優れませんでした。「頭が痛い気がする・・・」「お腹が痛い気がする・・・」(なんとなくどこかで聞いたことはないでしょうか?絵本『となりのせきのますだくん』に出てくる感銘深い台詞です。)練習嫌いの私はピアノの日になると必ずどこか調子が悪くなる・・・ような気がします。
 放課後に委員会がある日と重なった時は「お願いだから少しでも長引いて!レッスンが振替になりますように!」と必死で神頼みをしていましたが、そんな日に限って先生からの連絡のお話だけでたった5分で終わったりします。下を向きながらとぼとぼとゆっくり歩いて帰ってもレッスンには間に合ってしまう時間。こんなことならダッシュで早く帰って少しでも練習しておけばよかった・・・。そんなどうしようもない後悔を抱きながらレッスンに向かい、当然の如く先生に怒られていました。
 小学校低学年の頃は、音を間違えるとパチンと何度も手を叩かれたり、楽譜が目の前を左から右に飛んでいったり、レッスンの日に爪を切り忘れていくとピアノに触らせてもらえないこともありました。今思い返してみると厳しい指導だったようにも思いますが、とても熱意のある真っ直ぐな先生で、ピアノにかける情熱と子供への愛情は人一倍だったように思います。しかしその先生の熱意とはうらはらに、私はどうやったら休めるかばかり考えていました。前の日にお風呂で頭から水をかぶってみたこともありました。当然そんなことで急に熱が出るはずもなく、出たのは少しの鼻水と数日後の微熱とそれに伴う後悔の念だけでした。何度も「もう辞めたい・・・」と思う日もありましたが、母には「中学までは絶対続けなさい」と言われ続け、毎週泣きべそをかきながらなんとか中学まで通い続けました。
 中学に入ってからは部活とピアノとの両立がきつくなり、1年生の終わりには長く続けたピアノもあっさりと辞めてしまいました。しかし一旦ピアノから離れてみると、あれほど嫌だったレッスンも、顔を見るだけで目が潤んでしまうほど恐かった先生も、自分にとってかけがえのないものであり、自分というものを作り上げてくれた貴重な糧であったことに気づきました。辛くて苦しい練習の最中にはわからなかったことですが、今振り返ってみると、そんな苦痛や困難に耐えてこられたからこそ、これから先嫌なことがあっても、恐くてたまらない人が現れても、くじけずにやっていけるという自信と強い心を持つことができたように思います。誰しも生きていく中ではたくさんの困難や大きな壁にぶち当たることがあると思います。けれど、それは不幸なのではなく、自分が成長できるチャンスなのだと思うと、苦しいだけではなくなるような気がします。試練のあとには必ず何か残る、そう信じて私はどんなことにも立ち向かっていきたい、そしてみなさんも立ち向かって欲しい、と思っています。


 ★相談室の窓から★ 
 教室に行き辛く、保健室にいることが多かったある生徒と、先日話をする機会がありました。この生徒は、3学期になって、勇気をふるうようにして教室に足を運び、授業を受け試験も受け、自分の手でしっかり進級の切符を手にした子です。
 「がんばったね」と話しかけると、「みんなのおかげです」という返事。「みんなって?」「友達やいろいろ…」。いろいろ、の中にはご家族や先生方がたくさん入っているのだろうな… と思いながら、「友達って?」とあえて聞いてみると、「一緒に悩んでくれた友達です。」と笑顔で答えてくれました。勉強や部活動など、様々な場面で苦しさを抱えながら学校生活 を送る生徒にとって、同じ目線で、悩み、相談に乗ってくれる友達の存在は、本当に大きなものなのです。「悩んでいる友達の話を聞き、力になってあげたい。」という思いから、 ピア・サポーターになって活動している生徒が、いま朝日高校には23名います。もっともっとこの輪を広げていくことは、やはり意義のあることだと、この生徒と話して再確認し ました。来年度もトレーニングを実施して新しいサポーターを育て、サポート活動をより 充実したものにしていきたいと思っています。たくさんの生徒の参加を期待しています。



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