テスト返却後のいつかのやりとり。
私 「よくがんばってたね」
生徒Aさん「いいえ、たまたまです」
私 「よくがんばってたね」
生徒Bくん「やった!今回は本気でやったんじゃ」
どちらの返答も「なるほど」です。Aさんの返答には誉められたことへの照れくささが感じられるし、Bくんの返答には誉められたことへの素直な喜びがあふれています。ちょっとしたやりとりではあるけれど、でも私はAさんの返答が少し気になってしまいました。まだ頑張れる、頑張ろう!という気持ちでいるからだとは思うのですが、今回の自分の頑張りに自分では納得がいってないのかな、と。
謙遜…これを私たちは一つの美徳と認識していると思います。もちろん、自分の行為を誇示することなく、「いえいえ」と言うことは美しいありようだと感じます。でも、もしかしていつでも「いえいえ、私なんて」と言ってしまっていることはないでしょうか。
他者との関係の中で、私たちは上手に謙遜することを学んでいきます。誉められて「そうでしょう。私もそう思っていたの」と言うと、人間関係がそれほど築かれてない相手だと、尊大だと思われかねません。ですから、誉められた時に「いえいえ、そんなことはありません」と言うことで、気持ちのすれ違いを避けようとするのかもしれません。
でも、自分が確かに頑張っていて、そのことを誰かが認めてくれたらやっぱりうれしいものです。自分の頑張りはなかなか自分から口にはしづらいものですし、ましてや自己満足のような、自分への甘やかしのような気がしてしまうもの。だからこそ、せっかく誰かが誉めてくれたなら、「いえいえ」と言うよりも、「ありがとう。うれしいです」と言える自分でありたいなと思っています。
謙虚…謙遜と似たような言葉ですが、私はこちらの言葉の方が好きです。どちらも自分を低く見なす立ち位置は同じですが、そこに立っている時のありようが違う気がするのです。少なくとも、誉め言葉で自分や自分の行為を認めてくれた他者をきちんと受け止めるありようだと感じるのです。
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相手からの誉め言葉を「ありがとう」と受け止めること。そうした、他者に対して開かれたありようが謙虚という姿勢なのではないでしょうか。
私たちはたくさんの他者と関わり合いながら生活しています。自分を取り巻く社会が広がっていくにつれて、他者もどんどん増えてきます。母親、父親、家族、クラスメイト、部活動の友達、先生、コミュニティー・・・。そうしてさまざまな他者と関わる中で、自分を客観的に見つめることができるようになり、自分さえもが一人の他者として自分を律することができるようになっていくのだと思います。他者は自分の世界を広げてくれる大切な存在であり、自分が一人でないことを感じさせてくれる存在です。
そしてまた、私たちは自分と他者という両者の間で折り合いをつけながら生きています。その中で、つい他者の気持ちや見方を思いやるあまり、自分の気持ちを後ろへ後ろへと追いやってしまい、自分がしんどくなってしまうことも少なくないでしょう。
思いやりは他者と関わっていく上でもちろん必要なことです。でも、思いをやる相手には、自分にとって一番身近な他者でもある自分自身も含まれているはずです。他者の声に耳を傾け、心の声を聞こうとするのと同様に、自分の想いに思いを寄せてみることも大切なのではないでしょうか。
相談室を訪ねてくる生徒の多くは、他者の思いに敏感なあまり自分の思いを後回しにしてしまって、気持ちがしぼんでしまっているように感じます。自分の思いに正直になることはわがままと同意ではありません。他者を思いやる、その優しい生徒のありようを認めつつ、自分の気持ちがわかることの大切さや正直になることの心地よさもあわせて伝えていきたいと思っています。
(2年D組甲担任・国語科・教育相談課長) |