今年の正月,初めて高校の同窓会に行きました。高校卒業以来38年ぶりでした。
会場に着いて、そこにいるのが見事におじさんとおばさんばかりであることに密かな衝撃を受けました。考えてみれば(いや考えるほどのこともなく)高校を卒業して38年になるのですから当たり前のことです。自分だって髪の毛が真っ白な紛れもないおじさんです。しかし、卒業後もつきあいのある何人かをのぞけば,私の記憶の中の同級生は,当時のままの18歳の可憐な少女であったり、生気あふれる精悍な若者であったりだったのです。感覚的に、このギャップはかなりのショックでした。みんな年取ったなあと,自分のことを棚に上げて感慨に浸りました。
サザエさんのお父さんの波平さんを見ると、ずっと昔から髪が薄くちょび髭のあの波平さんなのだという気がしますが、もとはカツオ君のような少年であり、マスオさんのような壮年であったわけです。(いやサザエさんのキャラクターについては実際、何十年も前から同じですが)
人生というのは,普段は目の前のことで精一杯で知らぬ間に過ぎてゆくものですが、このときはそれが長い物語であることを実感しました。
歓談の時間が来て,各自胸につけた名札(絶対の必需品)と、かすかな当時の面影をたよりに,おそるおそる「○○君?」と声をかけ、いったん話し始めると瞬時に高校時代の教室そのままの感覚で話が出来るものでもありました。渡してくれる名刺の肩書きは、会社の重役であったり,どこかの学校の校長であったりするのですが,そして年月を重ねた人間の厚みのようなものも感じるのですが、それでもそこにいるのは確かに高校時代と変わらぬ「○○君」たちなのでした。
次々に旧交を温めながら,当時(いまも自分のそういう面を恐れますが)自己中心的だった自分が、まあまあ無事に高校時代を過ごせたのは、周りの友人たちが皆思いやり深い紳士であったおかげだったと,当時から持っていた感謝と尊敬の念を改めて思い出しました。
同窓会で,皆のその後を聞きながらで、もう一つ感じたことがあります。出世している人が、学業成績が優秀だった人とは限らないということです。(出世だけが人生じゃないことも、もちろんですが。)
たとえば、Aさんという女性は、私立の短大の医療秘書科という当時新設されたところへ進学しました。進学先として、けっして難関とは言えなかったと思います。そのAさんは今、ある医科大学の付属病院の事務長になっていました。「学長とかにも『そんなのだめです。』とか普通にいってるよ。」と明るく言っていました。
また、3年間同じクラスだったB君は,建築を志していましたが、私大の建築学科に進みました。彼は今、中堅ゼネコンの支社長になっていました。
Aさんや、B君に共通していえるのが、人の気持ちを理解し、大切にする人だったということです。Aさんは、私は小学校から同級生だったのですが、仲間はずれになりそうな友達をかばったりする人でしたし、B君は野球部のキャプテンで当時から人望がありました。
学校の成績には直接表れないそういう人間としての優しさ・魅力を持った人が,長い人生の中で重要で責任ある役割を担うことになっていることに、大げさに言うと神さまの公正さのようなものを感じ幸せな気持ちになりました。
学校と社会での違いと言えば,以前の同僚のC先生という女性を思い出します。家事も含めて複数の仕事を、同時にしかもとても高いクオリティーでこなす大変優秀な方でした。そのC先生が、実は高校時代は不登校だったと聞いたときは、驚きました。「学校のトイレで、さぼって漫画とか読んでました。」というのです。C先生の場合,在籍していた高校が出来たばかりの学校で,なんとか実績を上げようと無理や行き過ぎがあったようにも思われました。
同窓会の最後に,医学・生理学の分野でノーベル賞級の仕事をしたD君のスピーチがありました。実際,週刊誌等でもノーベル賞の有力候補として取り上げられる常連です。彼は文理選択の時、担任から文系の選択を強く勧められたのだそうです。「理系に行ったって、ノーベル賞を取れるような人はほんの一握りだ。多くは企業で、研究開発をする。それらの人を使うのが、文系出身の経営者なのだ。是非文系に進みなさい。」と言われたのだそうです。彼は、強い信念を持った人で、理系を選びました。教師の側から言うと「言うことを聞かない生徒」だったわけです。が言うことを聞いていれば、今の彼の業績はありませんでした。
私は、高校教師として、生徒には適切な助言を心がけていて、それを聞く素直さを持っている生徒が伸びると思っています。D君は、当時英語や社会や国語の成績がきわめて優れ、それと比べると数学や物理はそこまでではなかったように思います。だとすると、私もきっと彼には文系を勧めたことでしょう。
学校の物差しは、絶対ではありません。もちろん,本当に貴重な助言をしてくださる先生方も多いのですが、中には私のように表面的な物差しを振り回してしまっているだけの場合もあるかもしれません。学校の都合で、無理を押しつけているケースも世の中一般ではあり得ます。
皆さんの中にいまもし順調といえない日々を送っている人がいるとすれば,今絶対的であるように見えるものが、実はそうとは限らないことを知ってほしいと思います。内側のかすかな心の声にこそ,耳を傾けるべき真実が含まれているかもしれません。神様はきっと公平で公正だと思います。わたしは、皆さんの38年後の同窓会に出られたらと夢見ています。(ちょっと厳しいか)
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