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『相談課便り』第42号 コンテンツ
「38年後の同窓会」 内田 康晴
「正のスパイラル」 依田 耕治
「コーヒーと料理長」 福田 遥
「同窓会資料を拾い読みして」 荒江 昌子
<平成27年7月発行>
 <表面>
 <裏面>

 「38年後の同窓会」   内田 康晴
 今年の正月,初めて高校の同窓会に行きました。高校卒業以来38年ぶりでした。
 会場に着いて、そこにいるのが見事におじさんとおばさんばかりであることに密かな衝撃を受けました。考えてみれば(いや考えるほどのこともなく)高校を卒業して38年になるのですから当たり前のことです。自分だって髪の毛が真っ白な紛れもないおじさんです。しかし、卒業後もつきあいのある何人かをのぞけば,私の記憶の中の同級生は,当時のままの18歳の可憐な少女であったり、生気あふれる精悍な若者であったりだったのです。感覚的に、このギャップはかなりのショックでした。みんな年取ったなあと,自分のことを棚に上げて感慨に浸りました。
 サザエさんのお父さんの波平さんを見ると、ずっと昔から髪が薄くちょび髭のあの波平さんなのだという気がしますが、もとはカツオ君のような少年であり、マスオさんのような壮年であったわけです。(いやサザエさんのキャラクターについては実際、何十年も前から同じですが)
 人生というのは,普段は目の前のことで精一杯で知らぬ間に過ぎてゆくものですが、このときはそれが長い物語であることを実感しました。
 歓談の時間が来て,各自胸につけた名札(絶対の必需品)と、かすかな当時の面影をたよりに,おそるおそる「○○君?」と声をかけ、いったん話し始めると瞬時に高校時代の教室そのままの感覚で話が出来るものでもありました。渡してくれる名刺の肩書きは、会社の重役であったり,どこかの学校の校長であったりするのですが,そして年月を重ねた人間の厚みのようなものも感じるのですが、それでもそこにいるのは確かに高校時代と変わらぬ「○○君」たちなのでした。
 次々に旧交を温めながら,当時(いまも自分のそういう面を恐れますが)自己中心的だった自分が、まあまあ無事に高校時代を過ごせたのは、周りの友人たちが皆思いやり深い紳士であったおかげだったと,当時から持っていた感謝と尊敬の念を改めて思い出しました。
 同窓会で,皆のその後を聞きながらで、もう一つ感じたことがあります。出世している人が、学業成績が優秀だった人とは限らないということです。(出世だけが人生じゃないことも、もちろんですが。)
 たとえば、Aさんという女性は、私立の短大の医療秘書科という当時新設されたところへ進学しました。進学先として、けっして難関とは言えなかったと思います。そのAさんは今、ある医科大学の付属病院の事務長になっていました。「学長とかにも『そんなのだめです。』とか普通にいってるよ。」と明るく言っていました。
 また、3年間同じクラスだったB君は,建築を志していましたが、私大の建築学科に進みました。彼は今、中堅ゼネコンの支社長になっていました。
 Aさんや、B君に共通していえるのが、人の気持ちを理解し、大切にする人だったということです。Aさんは、私は小学校から同級生だったのですが、仲間はずれになりそうな友達をかばったりする人でしたし、B君は野球部のキャプテンで当時から人望がありました。
 学校の成績には直接表れないそういう人間としての優しさ・魅力を持った人が,長い人生の中で重要で責任ある役割を担うことになっていることに、大げさに言うと神さまの公正さのようなものを感じ幸せな気持ちになりました。
 学校と社会での違いと言えば,以前の同僚のC先生という女性を思い出します。家事も含めて複数の仕事を、同時にしかもとても高いクオリティーでこなす大変優秀な方でした。そのC先生が、実は高校時代は不登校だったと聞いたときは、驚きました。「学校のトイレで、さぼって漫画とか読んでました。」というのです。C先生の場合,在籍していた高校が出来たばかりの学校で,なんとか実績を上げようと無理や行き過ぎがあったようにも思われました。
 同窓会の最後に,医学・生理学の分野でノーベル賞級の仕事をしたD君のスピーチがありました。実際,週刊誌等でもノーベル賞の有力候補として取り上げられる常連です。彼は文理選択の時、担任から文系の選択を強く勧められたのだそうです。「理系に行ったって、ノーベル賞を取れるような人はほんの一握りだ。多くは企業で、研究開発をする。それらの人を使うのが、文系出身の経営者なのだ。是非文系に進みなさい。」と言われたのだそうです。彼は、強い信念を持った人で、理系を選びました。教師の側から言うと「言うことを聞かない生徒」だったわけです。が言うことを聞いていれば、今の彼の業績はありませんでした。
 私は、高校教師として、生徒には適切な助言を心がけていて、それを聞く素直さを持っている生徒が伸びると思っています。D君は、当時英語や社会や国語の成績がきわめて優れ、それと比べると数学や物理はそこまでではなかったように思います。だとすると、私もきっと彼には文系を勧めたことでしょう。
 学校の物差しは、絶対ではありません。もちろん,本当に貴重な助言をしてくださる先生方も多いのですが、中には私のように表面的な物差しを振り回してしまっているだけの場合もあるかもしれません。学校の都合で、無理を押しつけているケースも世の中一般ではあり得ます。
 皆さんの中にいまもし順調といえない日々を送っている人がいるとすれば,今絶対的であるように見えるものが、実はそうとは限らないことを知ってほしいと思います。内側のかすかな心の声にこそ,耳を傾けるべき真実が含まれているかもしれません。神様はきっと公平で公正だと思います。わたしは、皆さんの38年後の同窓会に出られたらと夢見ています。(ちょっと厳しいか)
         

 「正のスパイラル」    依田 耕治
 一つのことばかりをしばらく考え続けることがしばしばある。よく言うとこうなるが、要するにくよくよすることが多いということである。このときの思考パターンは、①何かうまくいかなかったことがある→②自己嫌悪に陥る→③何とかしないといけないと焦る→④また次もうまくいかないのではないかと不安になる、といった負のスパイラルである。このスパイラルに入ると、小さな良いことは良いこととして考えられず、小さな悪いことは拡張され、大きな悪いこととして考えるようになる。最悪の場合、うつ病になってしまうだろう。こうならないように、常に心がけていることがある。それはまず.うまくいかなかったことを受け入れ、なぜそうなったかを分析すること。そして、どのようにあるべきかの本質を考え、他者が関係していれば他者の立場に立ち、論理的に対策を考え、実行することである。そうすれば、上記の③は、「とりあえずこうやってみようか」になり、④は「前よりは少しでも良くなるだろう」と考えるようになり、小さな良いことは拡張されて生きる喜びとなり、小さな悪いことはあまり気にしないようになる。つまり負のスパイラルに対して、正のスパイラルとでも言うのであろうか、こちら側に入り、前向きな姿勢で人生を生きていけるからである。      
 私が小さい頃は、遊びといえばもっぱら草野球であり、近所の仲間と日が暮れるまでボールを追いかけたものである。小学校中学年になると、少年野球団に入団できるようになり、待ってましたとばかりに勇んで入団した。しかし、入団後は勝つ野球の厳しさを学んだ。集団競技では一人が活躍しても勝つことはできない。勝利するために自分は何をしないといけないかを考え、実行しないといけなかった。高校に入学してからは、一念発起して柔道部に入部した。柔道は力の差がはっきり出る競技であり、相手が上の場合、数秒で畳にたたきつけられるか、寝技で絞め落とされる。そこにいいわけは一切ない。負けを受け入れるしかない。また、力が互角の場合、少しでも気が弱くなると、無意識に行動に表れ負けてしまう。大学では物理化学を主に学び、教師になる前の前職では分析化学を学んだ。ここでは、うまくいかない場合は本質は何かを考え、論理的に思考することが大切であることを学んだような気がする。
 皆さんには、高校生活という貴重な青春期をがむしゃらに生きてもらいたいと思う。部活動に本気で打ち込んでほしい。本気で努力したとき、もし試合に負けてもそれといいわけなしに向き合い、次に負けないように前向きに取り組むことができるだろう。授業では、「なぜ」を大切にしてほしい。物事の本質を考えるようになり、論理的な思考の基盤になると考えるからである。大学受験のための暗記ももちろん必要であるが、「なぜ」を探究する姿勢は、その後の人生を豊かにすると思うからである。また、人生を正のスパイラルで生きている人は、まわりの人も幸せにする力を持っていると信じるからである。四十過ぎのおじさん(朝日高校ではまだまだ若手だが)も日々がむしゃらであり、意外とそれが幸せである。

 「コーヒーと料理長」    福田 遥 
 珈琲をブラックで飲めるようになったのは、大学1年生の秋である。流行りの“カフェ”ではなく、いわゆる「喫茶店」でバイトを始めたのだ。カフェラウンジBROWN。シティホテルの2階にあり、朝はモーニングを食べにくるホテルの泊まり客や、近くのパチンコ店の開店待ちのお客さんが詰めかけ、お昼には人気の日替わり定食を目当てに、隣接するショッピングモールで働くパートさんや買い物客でにぎわう。地域の方々に愛され、半分以上が常連さんで埋まっているような店であった。
 辛かったのは朝6時半からのシフト。自転車片道25分。爽やかな夏はまだ良いが、冬の凍った道路は命がけ。雪道で滑り、膝を血まみれにしてなんとかたどり着き、バイト仲間をあきれさせたことは1度きりではない。しかしほかの常連さんと同じく、私もこの店の雰囲気が大好きになり、結局卒業までお世話になった。そのため、大学生活で一番印象に残っている風景は、大学構内でも下宿先でもなく、眠い目をこすりながら通った静かな朝の川沿いである。その空気の新しさや独特の切なさを今でもはっきりと思い出す。
 ボタン1つで出来上がるのではなく、細かく挽いた豆をエスプレッソマシーンのハンドル部分にセットして、一杯一杯ゆっくりと淹れるコーヒーには、お客さんから定評があった。ここで珈琲デビューしたバイト生は、すぐにブラックコーヒーが好きになる。ただ、マシーンの重いハンドルを扱うには注意が必要で、すぐには触れさせてもらえなかった。お皿洗いやカウンターの仕事を一通り覚えた後で、先輩から伝授される。コーヒーを淹れられるようになったら一人前、という暗黙のしきたりがあった。
 そんな伝統や風情を静かに守ってきた料理長は、厳しい人だった。寡黙で調理場からほとんど出てこない人であったが、私が今まで生きてきた中で私のことを最も叱ってくれたのはこの料理長で、料理長の長い人生で彼を一番怒らせたバイト生も私であろうと思う。
 もともと私は機敏な方ではない。というよりも、何をするにも、人の1.2倍の時間を要するタイプである。幼稚園の頃のビデオを見ると、ボールを追いかける集団から離れて、一人ぽつんとその集団を追いかけている自分が映っている。小学校に入っても、先生から指名されるという当たり前の光景に慣れず、先生の口から「ふ」と聞こえるたびにびくびくしていた。「藤原君」だったときは心底ほっとした。それからも、慣れるのに人より時間がかかるくせに、自分ではなかなかそれを認めず、人に気付かれないよう隠れて克服しようとした。素知らぬ顔で何とか周りと同じ土台に立ち、何とか大学生にまで成長していたのだ。
 大人になる前にその弱さを陽のあたるところまで引っ張り出し、指摘してくれたのが、このバイトであり、料理長であった。大学1年での初めての接客業。この常連さんにはミルク2つ。あの常連さんはブラックだからスプーンは付けない。見えないルールはあまりにもたくさんあり、自分が今までつけてきた力は、ほとんど役に立たなかった。次から次へとやってくるお客さんの波に、私はただただ焦るばかりで、たくさんのミスをした。目に余る私の働きぶりに、さすがの料理長も調理場から出てきて言う。―――目の前ばかり見とるからじゃ。10分後自分が何をしとるか考えろ。
 その場では怒られる辛さと悔しさでいっぱいだったが、今になってわかる。自分のことだけで自分をいっぱいにするな。自分に全く足りていなかった部分を、社会に出るぎりぎり一歩手前のところで、料理長は何度も私に示してくれた。面と向かって叱ってくれ、檄を飛ばしてくれる存在に出会えて、私は自分の弱さをきちんと知った。
 卒業する頃にはなんとか仕事にも慣れ、料理長からもたくさんの仕事を任されるようになったが、今思い出しても、自分の至らなさに申し訳なく思うばかりである。社会に出て7年目。少しは先を見据えて動けるようになっただろうか。カフェラウンジBROWN(漢字で書くと舞蘭)は、数年後、場所をショッピングモール内へ移し、中華料理店 幸蘭へと姿を変えた。中華にコーヒーは合わない、とエスプレッソマシーンも姿を消した。今なら、少し成長した姿で、ゆっくりコーヒーを飲みながらいろいろな話ができるのに、と残念に思った。そして昨夏、私の人生における大事な師匠がこの世を去った。私の中でまさに「ブラックコーヒー」の、ほろ苦くて深い、酒豪で辛党だった料理長。朝の1杯目に飲むコーヒーだけは、ミルク2つとシロップ1つを入れて作る激甘コーヒーだった。そのこだわりの理由を、いつか聞いてみたかった。



 「同窓会資料を拾い読みして」    荒江 昌子
 同窓会の校内理事という役を仰付っている。大して役に立っていないが、メンバーなので、これまでの同窓会の刊行物などにも目を通す努力をしている。前世紀に刊行されたものの中に、恩師や同級生の名前や作品を見たり、大学の後輩の写真、かつての職場の上司の名前、あるいは縁者の寄稿文を読んだりすると、こんな私でも懐かしいとセンチメンタルに思ったりする。
 とりたてて何もないように思っていた自分の高校時代も、いろいろな人の人生と繋がっている。今、前しか見ていないであろう生徒諸君も、将来ふと立ち止まった時、高校のアーカイブ(アルバムや文集)に来れば、きっと繋がりを実感できるだろう。
 山や峠はのぼっている時は苦しいだけだが、のぼらなければ決して見られない景色がそこにはある。どこにどうのぼるかは人それぞれだが、振り返って俯瞰したとき、この学校ですごした時間が懐かしい景色として見えてくることを願っている。

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