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『相談課便り』第54号 コンテンツ
ニーチェの言葉の切れ端 荒江 昌子
捨てられないもの 門間 紀子
物は考えよう 松北 高行
花を育てる 永田 宏子
   
<平成30年7月発行>
 <表面>
 <裏面>
 夏と言えば「向日葵」と「スイカ」。向日葵はその色といい、ギラギラとした太陽に顔を向けて精一杯咲くその様子といい、見ていてとても元気が出る。「スイカ」もその中に甘い水分をたっぷり含んでいて、小学生の頃は飼っていたカブトムシに餌としてやるのがとてもいやだった。ずいぶん前のことになるが、担任をしていたクラスの生徒に自分の大好きなものとして紹介したことがある。東南アジア出身の家族が、冬に高価なスイカを買って食べる話を英文で読んだ時だった。なかなか日本での生活が楽にならず、辛い毎日を送っているその家族が、つい故郷を懐かしんで冬のスイカを買ってしまうという内容だった。「ほらな、高くても買って食べてしまうほどおいしいってことやろ」「そら、先生だけの話やろ」といったたわいもないやりとりをした覚えがある。そんなことを生徒はよく覚えていてくれて、何ヶ月も経って、ちょうど出産休暇に入る最後のHRで、「先生の元気が出るやつ持ってきたで」と得意気に向日葵の花束と大きなスイカ丸ごと一玉持ってきた。6月の初旬だった。それはそれはうれしかった。しかし、生徒に気もお金もつかわせてしまったこと、当時電車通勤だったお腹の大きい私が、スイカを下げて歩くことも気になった。もちろん、職員室で切り分けて他の先生方と食べるという選択肢もあったが、向日葵と一緒にしばらく家で眺めていたいという気持ちが強く、結局主人に頼みこんで車で迎えに来てもらうことにした。「切ってみんなで食べれば良かったやろ」と主人にも言われ、「誰にもあげずに自分一人で食べよう」とその時決心した。最近スーパーでは切り分けて売られるスイカが主流で、丸ごと売られているのをあまり目にしなくなった。しかし、スイカを見る度に当時の生徒達のやさしい心遣いを思い出す。「これをしたら、あの人は喜ぶかな」「こう言ったらうれしいかな」そんな日々の小さな思いやりが、元気の出ない人には必要な栄養となる。補習は続いているが、夏期休業に入った。今まで懸命に頑張ってきた人ほど、生活スタイルが大きく変化すると心のバランスを崩してしまうことがある。休業中は体調面と共にメンタル面にも注意していただいて、「どうかな」と気になる場合は、担任、相談課まで連絡をお願いしたい。
                                                          (柴田みさえ)
※次回スクールカウンセラーの森口先生が来られるのは、8月28日(火)です。

教育相談課関連行事

6月23日 ピアサポート集中トレーニング第1回実施(13:30~16:40)
 CYBERDYNE社で臨床心理士をされている池本しおり先生と岡山大安寺高校でスクールカウンセラーをされている大西由美先生を講師にお迎えし、1、2年生保健委員プラス希望者が研修をしました。第1回目ということで、内容は次の通りで実施しました。
・自己紹介ゲーム→緊張感をほぐしてあたたかな雰囲気づくりをする。
・ピアサポート概論→朝日高校で11年目となるピアサポートの活動を振り返りながらその 活動の意味を理 解し、これからの活動を考える。
・グループワーク→グループの構成員それぞれが大切な役割をもっていることを体験する。
・自己分析→エゴグラムを用いて自分自身を知り、対人関係における特徴を確認する。
 特に印象的だったのが、ピアサポート概論の中で池本先生に教えていただいた、リフレクティングという方法を用いた活動でした。目の前で行われている対話を聞き、それを聞くことで感じること・思うことを大切にしながら、自分の思いを他の人とシェアリングをし、自分で大切な何かを見つけるというものです。おそらくどの高校でもやったことのない活動で、朝日高校で初めてのチャレンジになりました。
6月26日 スクールカウンセラー来校(生徒・保護者) 相談件数 4件
6月28日 心の健康相談 精神科校医の中野善行先生来校 (生徒・保護者)相談件数 5件
7月9日 いじめ問題対策委員会・特別支援教育委員会・アレルギー対応委員会(教員)

生徒の出席状況、体調面で配慮が必要な生徒、メンタル面で配慮が必要な生徒などについて管理職を含め、課の代表者、学年の代表者で情報共有をしました。
7月10日 一年生でhyper-QU(心理テスト)を実施。
生徒ひとりひとりの状態、及び学級の状態を理解するための客観的で多面的な資料となります。
7月24日 ピアサポート集中トレーニング第2回実施(9:30~16:30)
トレーニングから実際の活動への第一歩。オープンスクールに来てくれた中学生を対象に「お悩み解決相談所」を開設しました。
7月25日 スクールカウンセラー来校(生徒・保護者) 相談件数 3件 
   

 ニーチェのことばの切れ端          荒江 昌子
 高校生の時、担任からどんな本を読んでいるのか聞かれ、(生意気だったので)『ツァラトゥストラはかく語りき』と答えたところ、「わかるんか?」と言われたことを覚えている。たしかに、その当時全く理解できていなかっただろうが、面白いと思って読んだ。ごく最近、4年前のベストセラーだという『超訳ニーチェの言葉』を読んで、そういえば、こんな断片のことばに励まされていたのかもしれないと気付いた。例えば「高みに向かって努力を続けることは、決して無駄ではない」とか「死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう」とか。たとえわからなくても、面白いと思えることにはそれなりに意味があるのだろう
         

 捨てられないもの     門間 紀子
 楽しかった思い出の詰まったものは捨てられないというのはよくある話である。私もお気に入りのアイドルのコンサートで使ったペンライトが、もう使うこともないのに何本も部屋に置いてある。
 でも私には違う理由で捨てられないものがある。それは留学していた時に学校へ提出したレポートのファイルである。特にannotated bibliography(日本語では文献解題)という課題の文献ファイルは分厚く重たいのに、そして見返すこともないのに、今でも保管してある。なぜかというと、一番苦しくて辛い課題だったからである。課題の内容は、自分が決めたテーマに関する文献(本、研究雑誌や論文の記事など)を1か月で25種類読み、その要約と評価をそれぞれ100~300語で書くというものであった。提出したレポートはたったの7枚である。しかし文献を探すことに苦労し、手に入れて読み始めた本や記事がテーマに合わないことも多く、結果的に必要な数の倍は文献を読んだ。例えば20枚の英語の記事をたった6~7行の英語にまとめるという作業にも大変苦労した。さらに書き込み用にコピーした文献が膨大な量になり、精神的にも金銭的にも苦しめられた。
 今でもそのファイルを見る度に当時の苦しかったことを思い出してしまうのだが、同時に「この課題ができたんだから多少苦しいことがあっても頑張れる」と、今の自分を鼓舞することができるし、頑張った過去の自分を少し褒めたくもなる。
 そんな自分の心の支えになるものは、アイドルグッズであろうが、苦しかった勉強道具であろうが、私には捨てられないものなのだ。

 物は考えよう      松北 高行 
  最近靴を新調した。靴と言ってもスポーツシューズ、ランニングシューズだ。 
 元々体を動かすことが好きで、若い頃には運動を好んで行っていた。しかしある年代からは思ったように時間が作れなくなってしまい競技に参加しなくなってしまった。
 これではいけないと思い数年間子供と一緒に早朝ランニングをやっていたが、今度は子供が大きくなって忙しくなり、自動的に私自身もここ数年運動らしい運動は全くしていない。
 このまま年齢を重ねていくのも・・・と思い、先日久しぶりにジョギングをした。驚くべき事に30秒も走らないうちに膝が痛くなり、トレーナーの方に相談したら「 膝の筋肉が著しく落ちているので、まずは走れる体作りをしてから始めましょう。」とアドヴァイスをいただいた。自分としては、たかが昔運動前のアップに行っていた程度のジョギングもできない体になっていることを専門家に通知されて愕然とした。仕方が無いので言われるままに軽い筋トレから始めることにした。運動前の一連のストレッチで結構疲れてしまう。如何に体のケアを怠っていたかを思い知らされる。確かに「 昔は昔 」、体は正直だ。
「 これはあなたには無理です。」とはっきり教えてくれている。でもちょっと悔しい。
 しかし考えようによっては、ゼロからの出発ではないけれどありのままの自分を受け入れ、「 少しずつ体力がついてくるといいな。」と考え方を変えれば生活の中に自分を変える楽しみが出てくる。
 しばらくの間、朝夕のストレッチと軽い筋トレを続けた。もちろん笑顔で走っている自分をイメージしながら。
 がんばった自分へのご褒美としてランニング・シューズを買いにスポーツ店に出向いた。
今までランニングに特化したシューズを買ったことがないので、その種類の多さに驚いた。
運良く詳しい店員さんに担当していただきいろいろな靴を試させていただいた。各社趣向を凝らし、足入れ感の良さや着地したときのクッション性、軽さや通気性などどれもこれも素晴らしくまさに「 あなたの知らない世界 」であった。
 私の場合クッションがしっかりしていて、少し幅が広いものが良いということで最終的にa社のランニング・シューズを選んだ。さて大事なことはこれをどう使うかだ。まだ走るのが少し怖い(こんなことは今まで思ったことがない)のでウォーキングから取り組んでいる。毎日のわずかばかりの楽しみを大きな喜びに変えていきたい。
 

 花を育てる               永田 宏子
 3年ほど前のある朝、「サンポサンポサンポ」とまとわりつく犬にせかされて家を出た。西川沿いを歩き、さて家に帰ろうとしたところ、雑居ビルの1階横につくられたゴミ置き場が目にとまった。岡山市が回収するゴミ置き場ではなく業者回収のゴミ置き場の片隅に、鉢植えが捨てられているのが見る。コチョウランの鉢だ。もう花はついておらず葉だけになっている。この雑居ビルは飲食店の集合ビルなので、開店祝などでコチョウランが贈られたのだろう。花が終わってしまって捨てられたようだ。私が気になったのは、その鉢の葉がつやつやとしていたからである。「まだこの株は生きている、でも花が終わればお店では用なしで捨てられたんだ。」横目で見ながら一度は通り過ぎたゴミ置き場に戻り、私はその鉢を抱えて家に戻った。
 持ち帰ったはいいが、コチョウランを育てたことはない。とりあえず寄せ植えてされていた株を分け、水苔で巻いて、素焼きの鉢に植え替えた。何をしたらよいのやらよくわからないまま水を与え続けて数ヶ月、なんということでしょう! 花芽がついた。窮屈な鉢から出してやったのがよかったのか。3月から4月にかけて6輪もの花をつけて楽しませてくれた。やっぱり、コチョウランは美しいなあ!
 しかし、難しいのはここからだった。2年目は、葉が育ち根を何本も伸ばしても結局花芽はつかなかった。ありゃ、水をやっているだけではやっぱりダメか。ネットで調べ本を買ってきて、あれこれ考え始めた。しまいには近所のコチョウランをたくさん扱っている花屋さんにも相談した。が、やっぱり花芽はでなかった。
 う~ん、難しいものだな。甘やかしすぎた? いや、水や肥料をやり過ぎたのかも……でも、咲かないからといって捨ててなるものか! 3年目は慎重に水をやり、薄い肥料を何度も与えていった。すると、年明けからすうっと花芽が伸び始めた。「やったー」と踊り出したい気分、でもここに落とし穴が……。せっかく膨らんだ蕾が変色しポロポロと落ちるではないか。「なぜ」「どうして」ガッカリである。そこでハッと気がついた。もしかして、暖房で乾燥しているからと思って葉に霧を吹いたが、その水滴が蕾について夜間の低温でやられたのかも。もはや花芽の先にほんの1ミリほど生き残っているだけの蕾にかからぬようそっと手をかざしながら霧を吹き、冬の間育てていった。
 6月、季節外れのコチョウランが2輪だけ花を咲かせた。長く伸びた花芽の先に、不格好に咲いている。でも、諦めなかったことでこの花を見ることができた。「水をやりゃいいんでしょう」「日に当てないとダメだ」「肥料をやっときゃ育つだろう」頭で思っていた花の育て方ではうまくいかなかった。花もいろいろ、それぞれの花にあったそれぞれの育て方がある。良かれと思ってやっても、やり過ぎは失敗の元。水をやりすぎれば根腐れし、直射日光に当てれば日焼けする。濃い肥料ではあっという間に枯れてしまう。その花にあった育て方をすれば、花は正直に応えて美しい花を咲かせてくれるのだ。子どもたちと同じかもしれない。
 さあ、この花が終わったら、来年の花のために新しい水苔で植え替えをしよう。次こそ、枝いっぱいに花をつけることを夢見ながら。


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