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『相談課便り』第58号 コンテンツ
みのむしおじさんのこと 荒江 昌子
違う自分 門間 紀子
「犬猫の里親」という選択 永田 宏子
初めての体験 内田 康晴
   
<令和元年7月発行>
 <表面>
 <裏面>
 教育相談課関連行事

6月22日 ピアサポート集中トレーニング第1回実施(13:00~16:00)
 
昨年に引き続き,医療用ロボットスーツHALで有名なCYBERDYNE社で臨床心理士をされている池本しおり先生と岡山大安寺高校でスクールカウンセラーをされている大西由美先生の二名を講師にお迎えし,1,2年生保健委員プラス希望者が研修をしました。土曜日の午後でしたが,35名の参加があり,学年を越えてピアサポートについての理解を深めました。内容は以下のとおりです。
・ピアサポート概論→講師の大西先生にピアサポート活動の目指すものと朝日高校での活動についてお話をしていただきました。本校のピサポート活動はいろいろな所で紹介されていることも教えていただきました。
・人間関係づくり→「ひたすらジャンケン」など運動を取り入れた活動で不安を抑制しながらお互いに肯定的にかかわり,安心感を得る活動をしました。
・自己理解・他者理解→自分の心を絵で表現し,その絵について説明したり,グループの人に質問やコメントをもらったりしながら,自分自身とグループの人への理解を深めました。
・一方通行のコミュニケーションと双方向のコミュニケーション→二人組で背中合わせにひたすら聞くだけのコミュニケーションや向かい合わせになって,質問ができたり,アドバイスもできるコミュニケーションの違いを体験しました。
・非言語コミュニケーション→感情表現は共通していることも多く,人それぞれ表現の仕方には違いがあるものの,言葉を使わなくても,積極的に人に関わることで理解が深まることを学びました。
 教育実習で本校に来られていた実習生の方も在学中ピアサポート活動をされていたということで,積極的に参加して下さいました。「高校で活動をしていた時も大切な活動だと思っていましたが,大学生になってから,活動の大切さをより強く感じました。」という言葉に実施する側も励まされました。第1回はソーシャルスキルを高めることを中心に行いました。第2回は7月23日に実施し,いよいよサポーターとしての力を身に付ける研修になります。
6月21日 スクールカウンセラー来校(生徒・保護者) 相談件数 4件
7月 5日 第2回いじめ問題対策委員会・特別支援教育委員会・アレルギー対応委員会(教員)
ソーシャルスクールワーカーの方にも参加していただき,生徒の出席状況,体調面・精神面で配慮が必要な生徒,アレルギーのある生徒などについて,学年を越えて情報を共有し,できるだけ多くの目で見守り,支えていくことを確認しました。
7月10日 一年生hyper-QU(心理テスト)を実施。
1学期を終えて,それぞれの生徒の心の状態や集団の状態を理解するための心理テストです。2学期に向けて,個人としてどのようなサポートが必要か,より良い集団になるためにどのような働きかけが良いのか等について,客観的で多面的な資料となります。
7月16日 スクールカウンセラー来校(生徒・保護者) 相談件数 3件
7月17日 心の健康相談 精神科医 千田真友子先生来校(生徒・保護者)相談件数 5件

夏休みに入り,生活のパターンが大きく変化したり,緊張しながらも一生懸命に頑張ってきた学校生活の疲れが出る生徒もいます。ご家庭でも見守りをお願いします。

 2学期の相談事業 

 思春期サポート事業 スクールカウンセラー 森口先生来校日

 8/27(火)9/10(火)9/24(火)10/23(水)10/29(火)11/19(火)12/17(火)

 こころの健康相談 精神科校医 千田真友子先生 来校日

 10月10日(木) 12月19日(木)

 
   

 みのむしおじさんのこと          荒江 昌子
  中学生の頃だったか,家にあった週刊誌の写真ページに,その「みのむしおじさん」の記事は載っていた。おじさんは東京の路上生活者(ホームレス)で,全ての持ちものを身につけて蓑虫のような外見になっていることからそう呼ばれていた。おじさんはそんな格好をしていたのだが,ある日,英和辞典を読んでいたところから記者が声を掛けたのだ。記者の疑問,どうして英語の辞典を読んでいるのか,におじさんは「外国人に道を聞かれるかもしれないから」と答えた。記者は,おじさんに道を聞く外国人がいるとは思えないと不審がった。もちろんおじさんも実際自分が外国人に道を尋ねられるとは考えていなかっただろう。おじさんにはやむにやまれぬ向学心があったのだろうか。それとも無為に思える日々を何かに集中することで紛らわしていたのか。取材の直後に亡くなってしまったので,記者は尋ねることができなかった。
 この記事は、ずっと私の心に残っていて,「人はパンのみにて生きるにあらず」の俗な意味,または「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。」(論語)のようなことだったかな,と思っている。
 試験の前でもないのに漫画やら小説やらを読んでいる生徒を見かけると,効率主義の風潮に立ち向かうかのように思え,立場を離れてつい応援したくなる。

         

 違う自分         門間 紀子
 毎年3月に実施されるイギリス研修の引率業務を経験したことがある。参加者はみなたった2週間ではあるが,現地の高校生やホストファミリーとの交流で,英語だけでなく,自分の意思表示をはっきり行うことを学んでいく。日本の家庭では子どもが何も言わなくても保護者が思いを汲み取ってあれこれ動いてくれることが多いため,自分の思いや要望を伝えることに苦労する生徒も多い。これは語学力があれば解決するという問題ではなく,自身の意識改革と少しの頑張りも必要になる。私もその点において,外国で苦労したことを思い出す。
 私はアメリカでの留学生活を終えて帰国する際,空港で尋問を受けたことがある。学生ビザを申請し指紋を登録した上で入国していたのだが,その指紋が現在のものと一致しないというのだ。マッチョな警備員2人に両脇を固められて,「ちょっとこちらへ」と言われ別室に連れて行かれた時は,さすがに冷や汗が出た。部屋に入ると「何の目的でアメリカに来ましたか?」と片言の日本語で尋ねられたが,日本語が通じるとは思えなかったので,「部屋を引き払う時に掃除をして洗剤で手が荒れています。二度とアメリカには来ないので,日本に帰らせてください!」という内容をかなり強い口調で伝えた。そうすると,係員も「じゃあ,もう行っていいよ。」と許してくれ,無事に帰国できた。
 はたして,日本で日本語で尋問された時,同じようにはっきり強く言えるだろうか。私は非常におとなしい性格ではないのだが,それでもおそらく言えないと思う。“アメリカで非常事態に外国語を使っている”という状況が,日本ではやらない“はっきりとした意思表示”を日本で使わない“かなり強い言い方”で,私にさせていたのだ。
 生徒もこれから勇気を出して自分の意識と言動を変えないといけない状況に出会うだろう。なかなか苦しい思いをすると思うが,私のように笑い話程度になれば,良い体験になるのでは,とも思う。あれから何年も経つが,私は律儀に約束を守り,アメリカに行く機会がない。次に行く機会があって,万一私の記録が残っており「アメリカには二度と来ないと言っていたじゃないか。」と入国審査官に止められたら、きっと私は頑張って「入国させてください!」と強い口調で主張するだろう。

 「犬猫の里親」という選択               永田 宏子
 みなさんの家にはペットがいるだろうか。私は子どものころからほとんどいつも犬や猫が身近にいる環境で育ち,いないと何か人生が物足らない気がする。もちろん,人よりも短い生涯を送る彼らを見送ったことも数多い。その時は涙が涸れ果てるほど泣き暮らすのだが,3ヶ月経ち,半年経ちすると近所の犬猫が気になってきて,次のペットを探し始めてしまう。
 今,わが家にいるペットは6歳のマルチーズの雌である。5月生まれなので名前はMay。前のトイプードルが虹の橋を渡って(「死ぬ」ことをこのように表現する)9ヶ月後にわが家に迎えた。このときMay は4歳だった。実は彼女は保護犬であり,正確に言えばブリーダーの飼育放棄犬である。「子出しが悪い(たくさん子犬を産まない)」「心雑音がするようになった」などさまざまな理由で,実はブリーダーは親犬・親猫をどんどん入れ替える。ペットショップで数十万円の値をつけられて売られる犬猫の背後には,商品としてブリーディングを繰り返される(時には劣悪な環境で)多くの犬猫がいるのだ。もちろん,生涯面倒をみる良心的なブリーダーもいるが,役目を終えると保健所に持ち込まれて殺処分される犬猫も多いと聞く。Mayはわずか4歳で飼育放棄されたが,里親募集されたことで幸運にも命をつないだ。しかしほぼ3年の間に何回も出産したせいで,歯はボロボロ。わが家に来て獣医へ健康診断に連れて行ったところ,9本も抜歯された。「もう出産させるものか」と避妊手術を受けさせ,今はわが家の子として“ヘソ天”で寝る毎日である。
 大学受験のころにわが家にいた犬は親戚から押しつけられた雑種犬で,雌犬なのになぜか「ワン助」と呼ばれていた。右側をブラッシングすれば「今度は左をやって」と左側を向くかわいい子だった。毎日の散歩は私の仕事で,よく黙って私の愚痴を聞いてくれたものだ。意見の違う親とケンカばかりし,イライラして不安定な精神状態だった私を支えてくれたのは,ワン助だったと断言できる。教師になって飼ったのは,生徒に「先生お願いだから」と懇願されたノラ猫あがりの白猫ジローだ。なかなか懐かず,抱っこもさせてくれなかったが,徐々に心を開き,やがてドヨ~ンと全身脱力してされるがままのニャンコになった。
 犬も猫もかわいい。血統書があろうとなかろうと,飼えば家族である。疑うことなく,全力で飼い主に愛情を注ぐ彼らは,本当にいとおしい存在だ。飼い主が何か辛いことがあって落ち込んでいれば側に寄り添い,そっと涙をなめてくれる。彼らを抱いて伝わってくる体温は,癒やし以外の何ものでもない。
 もしこれから犬や猫を飼ってみようと思っているご家庭があるなら,次は「保護犬」「保護猫」を飼ってみませんか? あなたが命を救ったその子たちは,みなさんのご家庭にきっと幸せをもたらしますよ。




 初めての体験      内田 康晴 
 定年退職の年の卒業生を送り出した日,自宅近くの駅から岡山駅へ向かう電車に乗り込んだ。土曜日の夕方だったが,席は埋まっていたものの,数人が立っているだけで,車内はどちらかというと閑散としていた。
 座席の端の取っ手を持って,通路に立つ場所を定めたところで,隣の4人掛けの席から少年がひとり立ち上がってきて,「どうぞ」と声をかけられた。一瞬,何が起こったのかわからなかった。全く予期しないことで,私は反応できなかった。一瞬間をおいて,「あっ,いや」と意味不明瞭な言葉を発しながら,私は,少年が私に席を譲ってくれようとしたのだというその場の状況をようよう理解しつつ,同時に,生まれて初めてのその状況に当惑し狼狽していた。まさか自分が席を譲ってもらう立場になるとは。まだそんな年じゃないとか,こういうときは人の好意を素直に受けるべきだとか,断片的な思考がまとまらずに頭の中をよぎっていた。私がもたついていると,次の瞬間,同じボックス席に座っていた残りの3人が一斉に立ち上がった。「僕たちは」そう言い残して4人みんなが一斉に場所を離れていく。私は,「あっありがとう」とかろうじて口走り,誰もいなくなった4人掛けの席に,ひとり腰を下ろした。
 少し前まで,どちらかというと若く見えると人に言ってもらえていたような気がする。しかし,髪は白いので,老人然としているのも事実かもしれない。卒業前の2次補習は非常にハードで心底こたえたので,すっかりふけこんだのかもしれない。などと,自分が席を譲られたショックとそれによる動揺がぐるぐると頭の中で渦巻いていた。しかし,同時に,胸の底に,暖かいうれしい気持ちが確かにあるのを感じていた。自分の老いへの落胆とは別に,そこにあったものは少年たちの自分への善意であり,それが心からうれしかった。そのうれしさは,その日一日,ずーっと残った。
 卒業生を送り出した感慨に加え,いっそう心を包んで幸せにしてくれた初めての体験であった。
 

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