みなさんは、下記のエスニックジョーク(民族性や国民性を端的にあらわすような話によって笑いを誘うジョークのこと)をご存じだろうか?
いろいろな国の人々が乗船した豪華客船が沈没しそうになる。躊躇する乗客にどのように声をかければ、海に飛び込んでくれるだろうか?
ロシア人に対して「むこうにウォッカが流れていますよ」
イタリア人に対して「海で美女が泳いでいます」
フランス人に対して「けっして海には飛び込まないでください」
イギリス人に対して「こういう時にこそ紳士は海に飛び込むものです」
ドイツ人に対して「規則ですから飛び込んでください」
アメリカ人に対して「今飛び込めばあなたはヒーローになれるでしょう」
中国人に対して「美味しい食材が泳いでいますよ」
日本人に対して「みなさん飛び込んでいますよ」
もちろん、これに表現されている国民性はステレオタイプなものであり、国民全員がこのとおりであるというわけではない。ただ、「なるほどね」とニンマリしてしまうところがあるのも頷ける。注目してもらいたいのは、日本人である。みんながしていることと同じことをしようとする、同じでないと不安だと感じる日本人の心理をうまくあらわしている、と日本人である私も思う。聖子ちゃんカットが流行れば(古いなあ)猫も杓子も聖子ちゃんカット、ツータックパンツが流行れば(これも古いわ)これまたそればっかり。大人の世界だけではない。高校生だって、腰パンやルーズソックス、ミニスカートも「みなさん飛び込んでいますよ」とどれほどの違いがあろうか。
日本はよく「同調圧力が強い国」だといわれる。同調圧力とは、簡単にいえば、“みんなと同じ”であることを求め、「空気を読め」と迫り「出る杭は打たれる」と明に暗に圧力をかけることである。みんなと同じ多数派の側にいることは、まるでそれが正義であるかのごとき仲間意識を生み、居心地のよい安心感がある。だが、あなたがもし少数派の側に立ったら?
人はいつも多数派の側にいるわけではない。中には自ら望んで少数派になることもある。実は私自身がそうなのだ。私は岡山県の公立高校に世界史で採用された教員だが、岡山県内には世界史だけでなく日本史、地理をあわせても高校の地理歴史科で女性の教員はたぶん10人いないであろう。圧倒的な男社会である。採用試験を受けているときに、同じように高校世界史を受けていた男性から「岡山県は女性を採用しないよ」などという言葉を投げつけられたものだ。まあこれは、私にとって発憤材料になっただけだが。私にとって現在の状況は承知の上での少数派である。やりにくさがまったくないわけではないが、他県に行けば女性の地理歴史科教員は大勢いるし、全国を見渡せば男性の家庭科教員だっていることは大きな励ましでもある。
一方、自分の意志にかかわらず少数派の側に立つこともある。たとえば、性的少数者の人々はどうだろう。性的少数者とは、性的興味・関心が同性に向いている同性愛者や、男女両性に向いている両性愛者、心の性が身体・戸籍上の性別と一致しないために性的違和感を抱えている人(性同一性障害のある人)、あるいは生物学的に男女両性の要素を持って生まれた人(インターセックス)を含む総称である。性的少数者は、国や民族、宗教などの違いかかわらずどんな社会にも人口の数パーセントは存在するといわれており、2012年の電通総研による調査では5.2%であった。これは40人に2人はいる、という確率であり、私たちのクラスの中にいても何の不思議もないということだ。しかし、こうした人々は日常的に差別や蔑視にさらされることが多く、いじめやさまざまな差別を受けやすいといわれている。それを恐れて、自分を隠し息を潜めるようにして生活している人もいる。研究によれば、性的少数者の男性の中には、そうではない男性の約6倍もの自殺未遂経験者がいることがわかっている。
昨年、アップルのCEOであるティム=クック氏がゲイであることをカミングアウトした。この3月には渋谷区が同性カップルを「結婚に相当する関係」と認め、証明書を発行する条例案を議会に提出する。世界では約20カ国が同性婚を認め、夫婦に準じる権利を認めるパートナーシップ制度を整備している国も25カ国以上に上る。国連の自由権規約委員会は昨夏、日本に対して性的少数者への差別や偏見をなくすよう勧告した。しかし、日本のマスコミに登場する性的少数者の人々はともすれば「笑い」をとるポジションで扱われ、逆に性的少数者への偏見を助長している傾向がある。その影響もあってか、学校や一般社会で生活している性的少数者の人々はからかいの対象になりやすい。そんなことを望んでいるわけでもないのに。
岡山県は性的少数者が直面している問題を人権課題の一つとし誤解・偏見や差別意識をなくすための教育を推進しようとしているが、なかなか学校でこの問題を正面から取り上げることができずにいる。しかしその躊躇のために、この問題で生きづらさに苦しんでいる少数派の人がすぐそばにいるかもしれないということに、私たちが気づきにくいのかもしれない。
性的少数者に限らず、私たちの周囲にはさまざまな少数派の人がいる。また私たち自身が時と場所そして立場が変われば少数派たり得る。自分が多数派、少数派どちらの側に立とうが、自分の意志でなすべき行動を判断し、自信をもち、胸を張って生きていきたいものだ。 |
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