Ⅰ期 「純粋」仮装行列の時代(昭和24~40年度) |
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複数の人間で持ったり、引っ張ったりするような「出し物」は出現しておらず、昭和30年代末まではデモンストレーションも行われていなかったので、「仮装」して運動場のトラックを「行列」するという文字通りの「仮装行列」であった。仮装そのものの善し悪しが勝負の時代であった。 |
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「タンクロ保育園卒園式」<昭和26年度> |
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「道徳教育ハ実施サレタガ」<昭和33年度> |
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「世紀の紳士淑女録」<昭和37年度> |
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「戦後20年のあゆみ」<昭和40年度> |
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Ⅱ期 「出し物」が練り歩いた時代(昭和41~56年度) |
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Ⅱ期-1 「出し物」の出現(昭和41~42年度) |
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「トロイの木馬」<昭和41年度> |
昭和41年度に3年G組が「トロイの木馬」を製作する。この作品が本校の「出し物」史上、第1号と言えるであろう。角材でフレームを組み、表面を麻袋などで覆って木馬としたもので、高さは4m程度あった。「出し物」製作は流行とはならなかったが、年度をこえて継続されていった。しかし、まだ「出し物」は仮装行列のための大道具であった。 |
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Ⅱ期-2 「出し物」づくりの本格化(昭和43~46年度) |
-「出し物」は仮装行列のシンボルへ- |
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昭和43年度からは「出し物」を製作するクラスが増え、数人の力では移動できないくらいの大きさを持ったものが登場するようになった。44年度はさらに巨大化、複雑化していく。「出し物」時代は43年に本格的に到来したと言えよう。仮装行列に新しいシンボルが登場したのである。 |
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3年E組が製作した天守閣<昭和44年度> |
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「自由の女神」(3年I組)<昭和45年度> |
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Ⅱ期-3 「出し物」が練り歩いた時代(昭和47~56年度) -仮装行列の主役は「出し物」- |
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昭和47年度の仮装行列は、車輪を備え、自重を車輪で支える形の「出し物」が多数出現した。これによって移動の手間が改善されたほか、大型化・精巧化に拍車がかかった。トラック内で演技を行うデモンストレーションも一般化した。「出し物」を製作することそのものが、仮装行列の目的と化し、「出し物」は仮装行列の主人公となった。とりわけ昭和53~56年度は、規模・質の上でも卓越しており、仮装行列「出し物」史上、まさしく黄金期であった。 |
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3年E組のデコレーショントラック<昭和51年度> |
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3年I組製作のMiG25<昭和51年度> |
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建造中の宇宙戦艦(3年I組)<昭和53年度> |
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「愛は地球を創る」(3年A組)<昭和54年度> |
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「Most アメリカン グラフィティ」(3年A組)
<昭和55年度> |
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「火の鳥2772」(3年H組)<昭和56年度>
「出し物」史上の最後を飾った作品 |
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Ⅲ期 「出し物」が消えた時代(昭和57~63年度)
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-車輪付き大型「出し物」は禁止された- |
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3年D組が製作した火の鳥<昭和56年度> |
昭和57年度から車輪を有する大型の「出し物」の製作は禁止された。明文化されなかったが、車輪はつけない、大きさは長さ3m、幅2m、高さ2mまでという規制が設けられた。規模の拡大による時間・労力・経費などの増大、勉学への支障、現役進学状況の不振などのさまざまな理由が教員室側を動かせた。この頃、3年生の仮装行列は仮装をして決められた時間内でデモンストレーションを行うものであったが、「出し物」がなくなったことで、仮装行列のシンボルが失われたばかりでなく、仕掛けを施してデモンストレーションの目玉とすることもできなくなった。そのため、踊りを中心に構成せざるをえなくなり、仮装行列はますます「行列」でなくなっていった。 |
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Ⅳ期 「仮装行列」の沈滞(平成元~5年度) -仮装行列は2年生の演目へ- |
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「ジャックとヤシの木」(2年F組)<平成3年度> |
昭和63年度は、2年生の仮装行列にも踊りや振り付けが認められ、3年生と同様な形式で仮装行列が行われることになった。しかし、その引き替えに、3年次での仮装行列は行われないことにもなった。これは平成元年度から始まる予定となっていた「大学入試センター試験」の実施日が1月ではなく、12月中になるのではないかという噂が出て、3年次での仮装行列の実施を教員室側が躊躇したからである。実際のところはこのような事態にはならなかったが、以後、仮装行列は3年生に戻されることはなく、2年生のみが演じるものとなった。結果、「出し物」と言えるようなものはほとんど作られなくなり、おそろいの衣装を着て音楽に合わせて踊るという形式が定着した。「仮装」というには中途半端であり、「行列」というわけでもないパフォーマンスが演じられることとなった。 |
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Ⅴ期 3年生による「仮装行列」復活(平成7年度~)、復活はしたが…… |
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運動会・文化祭を活性化するため、創立120周年にあたる平成6年度から新しい取り組みが始められた。体育祭にブロック制が導入され、学年縦割りのクラスで総合優勝を争う仕組みができた。「応援合戦」が登場し、2年生が中心となってこれを行った。7年度には3年生の仮装行列が復活、翌年度には全クラスが参加、名実ともに復活した。大きさについての規定は明文化されなかったが、車輪なしの、手で持てる程度の「出し物」は登場させることはできたから、再び製作が始まった。10年度には多数の「出し物」が製作された。しかし、ここ最近は仮装行列の背景、いわゆる「書き割り」を製作するクラスは増加したが、「出し物」はむしろ減少している。また、ミュージカル仕立てのものが増えたことも特徴で、これに伴って衣装に凝るものが増加している。
仮装行列に力を合わせて取り組んだことは、高校生活の最大の思い出であることに今も昔も変わりない。流した「汗」と「涙」は何ものにも代え難い朝日高生の青春の象徴である。 |
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3年H組が製作した怪獣<平成10年度> |
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3年H組の仮装行列<平成13年度> |
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3年I組の仮装行列<平成17年度> |
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「ライオンキング」(3年C組)<平成18年度> |
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