春よ来い、早く来い…
3年生のみなさんは、この春がどんなに待ち遠しかったことでしょう。望んだとおりに桜咲く春を迎えられたみなさんは、本当によかったですね。おめでとうございます。自分の努力が実を結んだのですから、どうぞしっかり頑張った自分をほめてください。それから、今、心に深く感じている、先生方のご恩に対する感謝の気持ちと、今日まで何物にも代え難い愛情で、みなさんを支え励まし、見守り続けてくださったご家族への言葉にならないありがとうの気持ちを、決して忘れないでくださいね。新しい世界でしっかり活躍すること…それが何よりのご恩返しです。どうぞ、お元気で、お幸せに。 |
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◆18歳の挫折◆ |
私は、昨春(平成19年)、補習科生120人の担任になりました。ご存知の通り、補習科生は、現役で大学に進学できなかった(しなかった)生徒たちです。望んだ春が来ない…その辛さ、悔しさ、情けなさは本当に二度と経験したくないほどの厳しいものだったようです。「自分の努力が足りなかったのだから、仕方ありません、当然の結果です…」と笑ってみせるのですが、その引きつった笑顔の底にある、暗く重い挫折感は私には伝わってきました。なかには面談している最中に「ごめんなさい、ごめんなさい」と涙を流す生徒もいました。家族や先生方の思いが身にしみているからこそ、流れた涙だったのでしょう。18歳で初めて味わった大きな挫折感。ひとりひとり高さは違うけれど彼らの心のなかに大きな壁がある…。それと向き合うことが補習科生との一年の始まりでした。 |
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◆黙々徹底◆ |
補習科には「捲土重来」という勇ましい言葉が掲げられています。一度敗れたものが巻き返しをはかるという意味です。しかし、私はこの言葉が個人的に好きではありません。原典ではあまりよい文脈で使われていないし、受験は勝ち負けではなく、彼らは敗北者でもないと思うからです。そこで私は、一緒に担任する先生方と相談して「黙々徹底」という合い言葉を設定しました。「黙ってやり抜く」ということ。自分の壁に正面から向き合い、何が足りなかったのか、どうするべきかを冷静に分析し、方針を設定し、黙ってやり抜く。そういう強さを身につけて欲しいと考えました。自分に向き合うことから逃げていては進歩はありません。受験勉強だけでなく、生きることにおいてもです。情けなく惨めな自分から、目をそらしたくなることは誰にもあります。そういうときは泣いたり、わめいたり…逆に粋がったりすることもあるでしょう。それも時には必要なことだと思います。でも、いつまでもそうしていては何も解決しません。自分の弱さに向き合いながら、自分はどうしたら良いかと懐疑し続けることの中から本当の強さが生まれてくるのではないでしょうか。私は以前からそう考えていました。何も言わず、なすべきことをなす、もちろん辛抱のいることです。しかし、この一年、補習科生たちは、同じ辛さを抱えながら、あせらず、あきらめず、あまえずに、黙ってやり抜こうとするたくさんの仲間の姿をお互いの支えとし、力を与えあいました。そして、しだいに心の壁を低くし壊していったと感じます。彼らはこの一年でまちがいなく精神的に強くなりました。
努力する人の存在は周囲の仲間に力を与える…彼らはそう教えてくれました。 |
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◆きっと届く!◆ |
壁を乗り越えようと努力するエネルギーを、より強くする為にはどうしたらよいでしょうか。精神論は嫌いな方もあると思いますが、やはり、信じることだと私は思います。補習科生には「きっと届く!」という言葉も、繰り返し伝えてきました。「それでも高く高く手を伸ばそう…きっと届く!」と。この「それでも」はそれぞれに解釈してください。国語が苦手でも…目標が高くても…つらく惨めでも…こんな自分でも…などと。高く手を伸ばし何かをつかみ取ろうとすると、まるまっていた背中がすうっと伸び、うつむいていた顔が上がり、自分がつかみたい何かをまっすぐ見つめるでしょう。そういう一つ上へ手を届かせようとする精神力を醸成したいと思いました。ある女の子が決意表明として「きっと届かせる!」と書いくれていたのを見つけたときは、大変嬉しく感じました。担任として投げかけた思いを受け止めてもらえているという喜びは、教師冥利です。
浪人生に限らず、学校生活を送る中でも、苦しいことやつらいことはあるでしょう。そんなときに「きっと…」と信じて顔を上げる勇気と強さを生徒のみなさんに持って欲しいと思います。うつむいて背中を丸めていては、自分の周りに本当はある人のやさしや人生の楽しさ、自然の美しさにも気がつきません。また、誰かに気持ちを伝えたくてもなかなかうまくいかないとき、そこであきらめたら、もう決して気持ちは届かないでしょう。しかし、「きっと…」と信じていれば、可能性は残されます。勉強だけでなく、部活動などにおいても、「きっと届く!」と信じる力はきっと生活を良い方向へと推進する力になるのではないでしょうか。人生はそんなに甘くない…でも信じる心があればこそ、切り開いて行ける道もあります。補習科生がこの春に咲かせたたくさんの合格桜が、そう語っているように私には思えます。 |
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◆祈り◆ |
生徒のみなさんは、それぞれの学年に応じて、来年の目標を持っていることでしょう。新しい年度の始まりに、心機一転、新しい目標を掲げて頑張ろうとすることは、大人になっても大事なことです。一年をよく締めくくって、また新たに4月からしっかり頑張りたいものですね。
先生方や家族の方は、みなさんのためにさまざまな支援をしてくださるでしょう。学習面のアドバイス、進路に関する相談。毎日お弁当をつくってくださる、制服にアイロンをかけてくださる、授業料を払ってくださる…いちど、特に家族の方から、自分はどれほどの援助をしてもらっているかを考えてみて欲しいと思います。そうすると、当たり前のことが当たり前ではなかったことに気づくはずです。
私は、補習科生たちと過ごす中で、自分の立場、つまり、教科の指導者、担任、そして人生の先輩として、彼らのために何ができるか、何をなすべきかということを、折に触れて考え続けました。真摯に目標に向かって努力を続ける彼らに、深い敬意を抱きながら、自分にいま何ができるのだろう、何が最善なのだろうといつも考えていました。授業や面接指導において、自分なりに工夫し、実践しました。彼らの熱意を精一杯の力で応援したいと思っていました。
しかし今振り返ってみると、自分にできたことは、ただ祈ることだけだったのではないかと思います。力がつきますように… 健康で過ごせますように… 目標に届きますように…。
教師は…いや私は本当に無力でした。最後にできることは、ただ祈ることだった。心の中の挫折感と向き合い、時には不合格のトラウマに苦しみながらも、日夜努力し続けたのは、ひとりひとりの生徒達自身です。
自分の道を切り開く…力強い言葉ですが、そこにはたくさんの挫折や困難もあります。それでも前進し、目標を手中にしようとするなら、どんなに苦しくてもやはり自分の力で進まなければならない。よき隣人や支援者に恵まれ、後押しされる幸運もあるでしょうが、やはり最後はしっかりと自分の足で立ち上がり、歩いて行くしかないのです。このことも、本当に分かり切ったことのようにも思えますが、補習科生達があらためて私に教えてくれたことでした。
みなさんも、自分を有形無形に支え包んでくれている大切な人たちの祈りを感じながら、しっかりと自分の力で前進していってください。 |
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◆感謝◆ |
苦しいことも悲しいことも、自分を磨く糧である。たとえ苦しい運命に直面しても、その苦しさを自分を磨くためのチャンスと捉えることができたら、そこからまた、新しい何かを学ぶことができ、自分を高めることができる。そのように前向きに人生を捉えて、明るく溌剌と生きたいものです。一年間の補習科生との関わりの中で、あらためてそう思うようになりました。補習科生を担任できた、自分の幸運に心から感謝しています。
さあ、新しい春が来ます。
みなさんは、何に向かって手を伸ばしますか?
うつむいている君は、顔を上げて空をみてください。爽やかな春風を感じてください。
きっと届く… |
−『相談課便り』第12号(平成20年3月発行)所収 |