朝日高校の沿革

本校の創立について

寛文6年(1666)池田光政が岡山城西ノ丸(現岡山市民会館のあたり)に仮学館をつくり、寛文9年(1669) これを西中山下(現岡山中央中学校、現在は岡山市北区蕃山町)に移し、「学校」(国学)とした。明治4年(1871)、廃藩置県で県庁の管理下におかれ、 明治5年(1872)年頭には教育内容を改めて「普通学校」と改称して、士族以外の入学も認めた。学制制定後は藩校等の旧来の学校は全面廃止の措置がとられたにもかかわらず、「第一番小学」の名称で一時は許可されたが、6年11月には廃校となり、教育目的と施設・校具は「私塾遺芳館」に継承された。翌7年(1874)6月、岡山城西ノ丸に教員養成の目的で「温知学校」が開設されたが、8月教員志望でない生徒も、その「予科」に「員外生」として入学が認められ、遺芳館の幼年生が数多く移籍した。この年を創立の年としている。

明治8年(1875)11月、温知学校とその予科は藩校跡(現岡山中央中学校)に移った。

岡中・一中・一高・朝日高の年譜

寛文6(1666)年10月7日

池田光政、泉仲愛・津田永忠に命じて、岡山城内松平政種の旧邸(岡山市民会館のある一郭)を修繕させ、仮の学館とした。

寛文6(1666)年10月7日
11月28日

開校式を行い、最初の掟を定めた。

11月28日
寛文8(1668)年12月24日

生徒の増加により仮学館が狭隘となったので、光政は泉仲愛・津田永忠を惣奉行として、学校の新築方を命じた。西中山下円乗院跡地及び藩士の邸宅を合わせて校地(現岡山中央中学校校地)とした。

寛文8(1668)年12月24日
寛文9(1669)年7月25日

開校式挙行。

寛文9(1669)年7月25日
閏10月20日

正月より着工された普請が終了した。

閏10月20日
明治3(1870)年11月4日

教則を改め、洋学をも採用し、皇漢洋の3学科とした。

明治3(1870)年11月4日
明治4(1871)年7月

廃藩置県により、県庁の管理下におかれた。

明治4(1871)年7月
明治5(1872)年1月

西毅一を学校督事に任命し、教則を改め、普通学校と改称し、英仏学を教授し、庶民の入学を許した。別に校内に皇学所をもうけ、校外に漢学塾をおき、普通学校が統轄した。洋学所を普通学校に合併した。

明治5(1872)年1月
明治6(1873)年4月

普通学校を岡山県第一中学区一番小学と校名のみ変更し、洋学授業を続けた。

明治6(1873)年4月
9月

教員仕立ノ処と校名変更を企て、校内に洋学教場を設ける、としたが、文部省が認めなかった。

9月
11月

私立に転換し、遺芳館に転換した。

11月
明治7(1874)年6月20日

小学校教員養成のための温知学校を、旧岡山城西ノ丸に開校する許可をえた。

明治7(1874)年6月20日
8月4日

温知学校予科に教員志望でない生徒を員外生として入学を認めるよう規則を改正して、遺芳館の幼年生を受け入れた。多くの者はこれを「本校の濫觴」と考えてきた。

8月4日
明治8(1875)年11月

温知学校と共に西中山下に移り、遺芳館と同居した。岡山県権中属設楽九皐を校長とし、「大に規模を釐革した」。

明治8(1875)年11月
明治9(1876)年2月25日

温知学校が岡山県師範学校に改組・改称され、岡山県師範学校予科となる(許可は3/5)。

明治9(1876)年2月25日
3月

設楽校長職を辞し、岡山県権大属加藤次郎が校長を兼務した。

3月
6月2日

諸規則の改正を願い出たが、ようやく9月14日に許可がでて、変則中学科となった。〔明治12年2月までの間に、岡山県師範学校変則中学校と改称されたはずだが、時期は不明〕

6月2日
明治10(1877)年8月2日

加藤校長の離任に伴い、岡山県一等属第五課長太田卓之が校長を兼務した。

明治10(1877)年8月2日
明治12(1879)年2月

岡山中学校となり、経費は地方税をもって支弁されることとなった。

明治12(1879)年2月
4月

教則をあらためて、甲乙の2種とし、甲は修業年限3か年、乙は4か年とした。

4月
明治13(1880)年6月23日

津山中学校を廃し、岡山中学校へ併合した。

明治13(1880)年6月23日
12月10日

太田校長、離任。

12月10日
明治14(1881)年9月7日

駒井重格、校長に就任。

明治14(1881)年9月7日
11月

修業年限を予科1年、本科4年としたという。

11月
明治15(1882)年12月14日

駒井校長大蔵省御用係に転出し、二等助教諭喜多見久通、校長心得を兼務。

明治15(1882)年12月14日
明治16(1883)年1月4日

岡田純夫、校長に就任。

明治16(1883)年1月4日
6月

教則を改め、初等中学科8級(4年)、高等中学科4級(2年)とした。

6月
明治17(1884)年

この年、申しあわせて円形の帽子を作り、ペン先を交叉した図柄の徽章を用いた。

明治17(1884)年
4月

西教場の改築工事に着手。

4月
9月15日

西教場、新築落成。
揃いの服と帽子を初めて着用
揃いの服と帽子を初めて着用。今に残る最も日付が古い写真。裏面に木畑竹三郎氏の手で、「明治十七年拾二月十五日於中学校教場南側撮影焉」と記されている。

9月15日
明治18(1885)年3月2日

師範学校と合併し、岡山学校中学科となった(県達甲18号)。

明治18(1885)年3月2日
8月6日

明治天皇臨御。

8月6日
10月

生徒数、初等中学科8級41名、7級34名、6級33名、5級21名、4級16名、3級18名、2級12名、高等中学科2級3名、計178名。

10月
明治19(1886)年6月30日

コレラ流行につき臨時休校。

明治19(1886)年6月30日
8月11日

学校令により、師範学校と分離し、岡山県尋常中学校(5年制)となる。

8月11日
9月6日

開校の予定のところ、コレラの流行が終息せず、延期された。

9月6日
11月22日

岡田校長の離任に伴い、教諭渡辺隆、校長を兼務。

11月22日
11月25日

生徒総集会を開き、尚志会の規則を議定、幹事を選出した。

11月25日
11月26日

中学校・師範学校教員別々に任命せられ、両校全く分立した。

11月26日
12月5日

尚志会主催の運動会を矢坂山に開く。以後運動会はたびたび開かれた。

12月5日
明治20(1887)年4月

尚志会が制服・制帽(角帽)及び帽章(桜花の中央に中の字を配した)を定めた。〔本校にとって2つ目の校章〕

明治20(1887)年4月
5月8日

岡山県尋常中学校規則を制定(岡山県令第29号)。

5月8日
8月3日

岡田純夫再び校長に就任。

8月3日
10月

生徒監督規則を設け、各級に級監(現在の担任)・組長を置く。競漕会を京橋下で開催、これが尚志会水上運動会として引き継がれた。

10月
明治21(1888)年2月

明治天皇・皇后両陛下の「御真影」が下賜された。

現存する最古の卒業写真。裏面に木畑竹三郎氏の署名のもとに、「明治廿一年七月十四日尋常中学校卒業證書受領之後於岡山区東中山下佐々木撮影焉于時午後四時也伝々」と書かれている。この制服は写真中の彼らが尚志会の中心にあって制定したもの。

明治21(1888)年2月
明治23(1890)年

この年、生徒の服制を改め、フック懸けのジャケットとした。

明治23(1890)年
5月30日

尚志会『尚志会雑誌』を創刊。

『尚志会雑誌』第壱号

5月30日
9月

コレラ流行のため臨時休校1か月に及んだ。

9月
10月7日

岡田校長は尋常師範学校の校長に任じられ、10日、岡山中学の校長を兼務することになった。

10月7日
明治24(1891)年1月17日

教育勅語の謄本が下賜され、「捧読式」を挙行した。

明治24(1891)年1月17日
明治25(1892)年4月

「本校卒業生に限り、優等の者は、第三高等中学校本科に編入するの特待を得たり」。

明治25(1892)年4月
6月

生徒数、1年級108名、2年級70名、3年級38名、4年級23名、5年級19名、計258名。

6月
明治26(1893)年10月14日

洪水の被害甚大で、5週間休校(~11/20)。

明治26(1893)年10月14日
明治27(1894)年11月8日

27号により、『尚志会雑誌』は発行停止の処分を受けた。

明治27(1894)年11月8日
明治28(1895)年2月28日

尚志会、『烏城』を創刊。

『烏城』第壱号

明治28(1895)年2月28日
4月1日

津山・高梁両中学校の設立を予定に、岡山県岡山尋常中学校と改称(県告示第42号)。

4月1日
4月5日

岡田校長、尋常師範学校の専任校長に転じ、須崎芳三郎が校長に就任。

4月5日
10月25日

岡山県立尋常中学校規則を制定(岡山県令第38号)。

10月25日
明治29(1896)年4月27日

文部大臣西園寺公望が来校し、授業を参観。

明治29(1896)年4月27日
6月

入学時期(9月)を6月に改めた(入試は5月11日~13日)。

6月
11月21日

1月より岡山市内山下3番地(烏城城郭内)に建設中の校舎、竣工(11/13)、新校舎の落成式を挙行(11/21)。のちにこの11月21日を創立記念日とする。

新築間もない頃の校舎と寄宿舎

11月21日
明治30(1897)年4月

新学期の開始を4月に改めた(入試は4/4~5)。

明治30(1897)年4月

夏、寄宿舎が落成し、10月1日より、生徒の入舎をうながした。

寄宿舎最初の舎生。校舎の烏城城郭内への移転に伴い、200名収容の寄宿舎が新築された。

明治31(1898)年3月23日

須崎校長に替わり、服部綾雄、校長に就任。

新築校舎を背景にした卒業写真。裏面には「明治三十一年三月岡山尋常中学校職員及卒業生徒一同本館前庭ニ於テ撮影ス」と記されている。

明治31(1898)年3月23日
明治32(1899)年4月1日

岡山県岡山中学校と改称し、修業年限1か年の補習科を設置。

明治32(1899)年4月1日
明治33(1900)年1月8日

生徒宿所に門標を掲げることを決定。〔門標の配付は平成28年度をもって終わった〕

明治33(1900)年1月8日
4月

徽章の意匠をほぼ現今と同じにかえた。〔本校にとって3つ目の校章〕
生徒数、1年級145名、2年級125名、3年級110名、4年級129名、5年級78名、計587名。

4月
明治34(1901)年5月2日

岡山県立岡山中学校と改称し(県告示137号)

明治34(1901)年5月2日
5月9日

学則を改正し、「本校紀念日」も定めた(県令65号)。〔戦後、この日が創立記念日となった〕

5月9日
11月21日

「本校紀念式」を挙行。

11月21日
明治35(1902)年4月18日

服部校長の辞任にともない、光岡金雄が校長に就任。

服部校長送別の際の記念撮影。裏面に「明治三十五年五月服部綾雄前会長及阿部幹事送別ノ為メ尚志会部長及幹事一同撮影」と記されている。

明治35(1902)年4月18日
明治36(1903)年4月4日

岡山中・津山中・高梁中・矢掛中の4校で協同選抜を実施。〔協同選抜は大正2年まで続いた〕

明治36(1903)年4月4日
4月

制服を改正し、「上衣はヂヤケツト形の長きものにて、金釦七つを付し、襟元に青条を纏」うものとした。

4月
10月19日

皇太子殿下岡山中学へ行啓。この日を東宮行啓記念日として、以後、ボートレース等を開催した。

10月19日
明治38(1905)年4月

ラシャ服地を小倉地に改め、上衣の丈を長くした

明治38(1905)年4月
明治42(1909)年11月21日

校長の寄贈による校旗の推戴式を行い、校訓を定めた。

校訓カード

明治42(1909)年11月21日
大正3(1914)年

この年、2階建教室等を建築した。

大正3(1914)年
11月21日

創立40周年記念式を挙行。

11月21日
大正4(1915)年10月26日

大正天皇の御真影を奉戴した。

大正4(1915)年10月26日
大正5(1916)年1月11日

「自彊会」発会式。

大正5(1916)年1月11日
10月

生徒数、1年169名、2年162名、3年163名、4年154名、5年105名、計753名。

10月
大正6(1917)年2月28日

光岡校長退任。

大正6(1917)年2月28日
3月14日

野村浩一、校長に就任。

3月14日
11月21日

新武道場の道場開きをした。

11月21日
大正7(1918)年10月7日

野村校長にかわり、柳井道民が校長に就任。

大正7(1918)年10月7日
大正9(1920)年4月

岡山県岡山中学校と改称。

大正9(1920)年4月
大正10(1921)年3月11日

岡山二中の設置に伴い、岡山県第一岡山中学校と改称(県告示153号)。

大正10(1921)年3月11日
8月

野球部、第7回全国中等学校野球優勝大会に出場し、準々決勝まで進出。〔夏の甲子園へ初出場〕

8月
大正13(1924)年11月21日

創立50周年記念式を挙行。賛助音楽会(11/20、深柢小学校)、記念講演会(11/22、校内・深柢小学校)、記念展覧会(11/22・23)を開催。賛助音楽会では山田耕作作曲の新校歌が披露された。

大正13(1924)年11月21日
大正14(1925)年4月

配属将校の制度がはじまり、高橋少佐が赴任した。

大正14(1925)年4月
11月9日

岡山県下中等学校聯合発火大演習に参加(~11/10)。

11月9日
 

五十周年記念館「憲章館」落成。

 
昭和2(1927)年6月

寄宿舎を廃した。〔建物は昭和5年に解体された〕

昭和2(1927)年6月
昭和3(1928)年3月

昭和天皇・皇后両陛下の御真影を奉戴した。

昭和3(1928)年3月
昭和4(1929)年7月1日

柳井校長、欧米出張(~11/16)。この間、視学青柳泰雄、校長事務取扱となる。

昭和4年のアルバムに掲載された全景

昭和4(1929)年7月1日
12月14日

柳井校長、離任。同日付で、裏川寅蔵が校長に就任。

12月14日
昭和5(1930)年5月1日

4年生修学旅行(~/6)。〔一中にとっての最後の修学旅行となった〕

昭和5(1930)年5月1日
昭和9(1934)年9月21日

室戸台風による被害甚だしく、授業不能、臨時休校。

昭和9(1934)年9月21日
10月1日

生徒数、1年262名、2年250名、3年260名、4年223名、5年170名、計1,165名。

10月1日
11月21日

創立60周年記念式を挙行。

11月21日
昭和10(1935)年10月

作業科教室など建築。

昭和12年のアルバムに掲載された校地全景。撮影は昭和11年。

昭和10(1935)年10月
昭和14(1939)年6月

軍人遺家族を援助する勤労奉仕始まる。

昭和14(1939)年6月
昭和16(1941)年1学期

尚志会を尚志報国団に改組。

昭和16(1941)年1学期
2学期

尚志報国隊を編成。

2学期
12月7日

「烏城第一号機」進航式を挙行(練兵場)。

12月7日
昭和17(1942)年4月14日

校内に岡山県立岡山夜間中学が設立された。〔同校はのちに岡山県立烏城高等学校となった〕

昭和17(1942)年4月14日
7月28日

阿部山の開墾に従事(~7/30)。〔阿部山は浅口市、笠岡市、矢掛町に跨がる丘陵〕

7月28日
12月28日

裏川校長退任し、同日付で、高畑浅次郎、校長に就任。

12月28日
昭和18(1943)年4月15日

補習科を卒業生指導講習会と改称して継続、入会考査を実施。

昭和18(1943)年4月15日
昭和19(1944)年3月21日

入学考査(~24)。〔この時の考査は学区制のもとでの岡山二中との綜合考査(20年も同じ)〕

昭和19(1944)年3月21日
5月16日

5年生、学徒動員(通年)の第一陣として、品川白煉瓦株式会社に出動。

5月16日
7月1日

4年生、倉敷工業株式会社万寿航空機製作所に出動。

7月1日
10月7日

3年生、倉敷工業株式会社万寿航空機製作所に入所。

10月7日
昭和20(1945)年3月30日

中等学校が4年制となったため、5年生と4年生が同時に卒業。卒業後も動員は継続。

昭和20(1945)年3月30日
6月29日

空襲により、烏城とともに校舎が焼失し、学籍簿等も灰燼に帰した。

「当宿直日誌」昭和20年6月29日の条と、この条に添えられた図。右肩に高畑校長の筆跡で「六月廿九日 空襲 校地ニ弾痕ヲ印タル図」とある。
この図に記録されているのは校舎外に落ちたものである(校舎の上に落ちたものは痕跡が残らない)。

6月29日
7月30日

3年生、倉敷工業株式会社万寿航空機製作所第三工場(早島)に出動。

7月30日
7月

生徒数、1年343名、2年336名、3年291名、4年287名、計1,257名。

7月
8月23日

倉敷工業株式会社万寿航空機製作所で退所式。

8月23日
9月

校舎焼跡、及び吉備津神社、倉紡の青年学校を借りて授業再開。

9月
10月23日

進駐軍到着につき休校(~24)。

10月23日
11月5日

伊島国民学校を借りて3・4年生の授業開始。

11月5日
11月

岡山市公会堂を借りて1・2・5年生を収容。

11月
12月

補習科を復活させた。

12月
  

鳥坂山の開墾に従事。〔鳥坂山は岡山市中区兼基と沢田に跨がる操山の一つの峰〕

  
昭和21(1946)年

再び5年制となる。

昭和21(1946)年
4月1日

戦後初の入学考査を実施(~3)。〔岡山一中にとって最後の入試となった〕

4月1日
6月29日

仮校舎起工式を行う。

6月29日
11月1日

仮校舎が竣工し、2~5年生が岡山城城郭内の校地で再び学ぶことができるようになる。〔1年生は翌年1月に収容された〕

11月1日
11月2日

戦後初の運動会を開催。〔仮装行列が復活した〕

11月2日
昭和22(1947)年4月

新制中学校の発足に伴い、入試は実施されなかった(本格的な高校入試は昭和25年から)。2年修了者は岡山県第一岡山中学校併設中学校3年生、1年修了者は2年生となる。

昭和22(1947)年4月
12月10日

天皇陛下を奉迎。

生徒に話しかけられる昭和天皇。後の校舎は旧岡山城本丸中段に戦後急造されたバラック校舎。

12月10日
12月

蹴球部、第26回全国中等学校蹴球選手権大会へ出場。

12月
昭和23(1948)年4月1日

新制高校となるにあたり、岡山県立岡山第一高等学校と改称した。旧制中学校5年修了者のうち卒業を希望しないものは新制高校3年生、併設中学校2年修了者は岡山県立岡山第一高等学校併設中学校の3年生となる。

昭和23(1948)年4月1日
7月13日

生徒数、併中3年361名、1年388年、2年272名、3年280名、計1,301名。

7月13日
昭和24(1949)年3月31日

高畑校長、教育長に転出し、高林基郎が校長事務取扱となる。

昭和24(1949)年3月31日
5月31日

尾野作次郎、校長に就任。

5月31日
8月31日

高校再編成が実施され、岡山第一高等学校は岡山第二女子高等学校と合併して、岡山朝日高等学校(普通課程・家庭課程)となる。原田親、校長に就任。〔旧一高を内山下校舎、旧二女高を中山下校舎と称したがこの年は実質的な統合は行われなかった〕

8月31日
8月

本丸下の段に、2階建校舎完成。

8月
10月1日

『岡山朝日高校新聞』第1号発刊。〔幾度にもわたる中断を挟みながらも刊行継続中〕

10月1日
10月8日

岡山朝日高等学校開校式を内山下校舎で挙行。

朝日高校開校式。内山下校舎で挙行。現在不明門(復興)が建っている場所から西を望んだ写真。

校長訓辞、PTA両校代表祝辞、両校の生徒代表挨拶があった後、双方向き合って「どうぞよろしく」。

10月8日
10月15日

中山下校舎(旧二女高)で運動会を開催。〔この年は運動会は校舎ごとに開催され、内山下校舎(旧一高)では11/19の開催。この年は卒業式も別々に開催された〕

10月15日
10月

中山下校舎、修学旅行を実施〔3年は東京方面、2年は京都・奈良方面〕

10月
11月21日

創立75周年記念式を挙行。

11月21日
12月

本丸中の段に、校長室完成。

12月
昭和25(1950)年2月

『朝日文学』創刊号発刊。〔刊行継続中〕

昭和25(1950)年2月
3月

戦後初の本格的な新制高校入試が始まる。操山高校との総合選抜制開始。〔総合選抜制による入試は平成10年をもって終了した〕

3月
4月1日

1年生の定員が普通課程400名、家庭課程50名となる。

4月1日
4月

実質的な統合が進み、1年生は中山下校舎、2・3年生は内山下校舎で学ぶようになる。

4月

この年度より、女子に新制服を導入。

7月

香川県本島での臨海学校再開。〔臨海学校は昭和47年をもって終了した〕

7月
9月1日

旧制第六高等学校跡(国富校舎)を借用可能となり、3年生を国富校舎に移転させる。

9月1日
10月7日

国富校舎で初めて運動会を開催。〔ファイヤーストームで盛り上がる〕

10月7日
昭和26(1951)年3月28日

国富校舎に家事教室が完成。〔のちに階段校舎建設に伴って曳家されて合併教室などに用途変更された。平成20年9月に取り壊された〕

昭和26(1951)年3月28日
4月1日

国富校舎に野球用バックネット新設。

4月1日
4月

中山下校舎を廃止して、新入生を内山下校舎に収容。

4月
7月20日

学校行事として1年生希望者が参加する富士登山を実施(~23)。〔有志による富士登山は前年に始まる。現在も実施されており、人気は極めて高い〕

昭和26年の富士登山(7.20~23)

7月20日
昭和27(1952)年1月2日

サッカー部、第30回全国高等学校サッカー選手権大会へ出場。〔同部は第31回大会にも連続出場を果たす〕

昭和27(1952)年1月2日
7月16日

『受験記』発刊。〔第4号まで刊行され、平成5年に再刊された〕

7月16日
9月1日

校舎(二階建校舎)が増築されたため(7/29)、2年生を国富校舎に移転させる。

9月1日
昭和28(1953)年3月

家庭課程の募集を停止。〔生徒の卒業をもって昭和30年3月、同課程は廃止された〕

昭和28(1953)年3月
4月1日

1年生の定員(普通課程)が430名となる。

4月1日
8月5日

校舎(二階建校舎)がさらに1棟完成したため(7/29)、内山下校舎を廃止して全学年を国富校舎に統合。

国富校舎への統合によって廃屋となった内山下校舎。テニスコートはすでに完成。

8月5日
昭和29(1954)年2月27日

講堂(大講堂)建設に先立って旧講堂が解体される。

昭和29(1954)年2月27日
6月5日

操山高校との親睦を目的に「朝日操山総合競技定期戦」(通称「操朝戦」)始まる。〔「三校戦」、「四校戦」、「五校戦」へと発展したが、平成10年をもって終了した〕

6月5日
11月21日

創立80周年記念式及講堂(大講堂)落成式を挙行。校内では記念書画展、朝日美術展、回顧展、家庭科展、写真展を開催。校歌制定。

11月21日
昭和30(1955)年3月20日

弓道場の改築完成。

昭和30(1955)年3月20日
3月

生徒の卒業に伴い、家庭課程廃止。

3月
4月28日

生徒会を組織することを職員会議が諒承。

4月28日
5月

合併教室(小講堂)、生物物理講義室完成。〔小講堂は平成16年3月、生物物理講義室は平成9年3月に取り壊された〕

5月
昭和32(1957)年4月

1年生の定員が450名となる。

昭和32(1957)年4月
5月20日

大蔵省より六高跡地(5,596,092㎡(本校敷地の大部分))を譲与。〔以後、旧六高の土地・建物の取得が進んだ〕

5月20日
10月18日

岸信介首相来校、講演。〔同氏は昭和9年3月にも来校〕

10月18日
昭和33(1958)年3月27日

普通教室2棟完成。〔これらは平成9年3月に取り壊された〕

昭和33年より38年までの卒業アルバムに載せられた本校の全景

昭和33(1958)年3月27日
昭和35(1960)年4月

生徒会長の選出方法を直接選挙制へ改正。〔従来は総務制であった〕

昭和35(1960)年4月
10月1日

運動会後のファイアーストームが復活した。

10月1日
11月4日

戦後初めての学年全員が参加する修学旅行を実施(~5)。〔広島・宮島を基本方面とする修学旅行は昭和48年まで続いた〕

11月4日
昭和36(1961)年4月1日

後藤亘、校長に就任。

昭和36(1961)年4月1日
5月1日

六高同窓会が国旗掲揚塔を建設。

5月1日
昭和37(1962)年9月~10月

岡山国体に協力。

昭和37(1962)年9月~10月
昭和38(1963)年4月1日

1年生の定員が520名となる。

昭和38(1963)年4月1日
4月23日

生徒に新校旗を披露。

4月23日
昭和39(1964)年4月

この年度より年次進行で女子制服を変更。

昭和39(1964)年4月
11月21日

創立90周年記念式並びに同窓会館落成式を挙行。記念音楽会を開催(11/20、岡山市民会館)。
 
創立九十周年記念式当日の校門(左)と新築当時の同窓会館(右)

11月21日
昭和40(1965)年1月

普通教室1棟完成。〔この校舎は平成9年3月に取り壊された〕

旧校舎の最後の姿を示す航空写真(昭和42年頃と推定)

昭和40(1965)年1月
昭和41(1966)年4月1日

1年生の定員が480名となり、全定員は1,520名となる。〔本校最多定員の年度〕

昭和41(1966)年4月1日
昭和42(1967)年4月1日

1年生の定員が460名となる。

昭和42(1967)年4月1日
昭和43(1968)年4月1日

1年生の定員が440名となる。

昭和43(1968)年4月1日
4月20日

校舎改築第Ⅰ期工事起工式を挙行。〔新校舎の設計は東京大学工学部吉武研究室〕

新校舎第一期工事・第二期工事(昭和43年秋)。間伐材とバン線で組まれた足場が当時を忍ばせる。

新校舎第一期・第二期工事竣工(昭和44年3月頃)。本館の特異な断面の形状がよく見てとれる。

4月20日
昭和44(1969)年3月31日

新校舎第Ⅰ期・第Ⅱ期工事完成。

昭和44(1969)年3月31日
4月1日

1年生の定員が435名となる。

4月1日
4月30日

旧本館取り壊し始まる。〔数次にわたって取り壊され、昭和47年3月にはすべて撤去された〕

4月30日
昭和45(1970)年3月31日

新校舎第Ⅲ期工事完成。

新校舎第Ⅲ期工事の完成(昭和45年)。管理棟に近い教室2クラス分はまだ建築されていない。

昭和45(1970)年3月31日
10月29日

修学旅行を2泊3日に延長して実施(~11/1)。〔以後、修学旅行は2泊3日となった〕

10月29日
昭和46(1971)年3月31日

特別教室棟完成。

特別教室棟建築工事

本館との渡り廊下には当初屋根はない

昭和46(1971)年3月31日
4月1日

1年生の定員が450名となる。

4月1日
昭和47(1972)年3月31日

管理棟(本館の西端部分)完成。

昭和47(1972)年3月31日
昭和48(1973)年3月31日

体育館完成。正門付近造園整備完了。

翌49年には体育館の東側には創立百周年記念館が建てられた。

昭和48(1973)年3月31日
4月1日

戸川大六、校長に就任。1年生の定員が465名となる。

4月1日
4月8日

『図書館報』第1号発刊。〔年2回発行、刊行継続中〕

4月8日
昭和49(1974)年3月

サーキットトレーニング施設完成。〔この施設は平成20年9月に取り壊された〕

昭和49(1974)年3月
4月1日

1年生の定員が450名となる。

4月1日
10月31日

修学旅行の行き先を箱根・伊豆方面に変更(~11/2)。〔昭和52年からは信州方面となる〕

10月31日
11月21日

創立百周年記念式典、校舎・体育館・記念館落成式挙行。記念音楽会(10月9日)、回顧展(11月20~22日)を開催。

11月21日
昭和50(1975)年4月1日

1年生の定員が445名となる。〔岡山県立岡山芳泉高等学校が開校、総合選抜は4校体制で実施されるようになった〕

昭和50(1975)年4月1日
7月29日

木曽路ハイキングを始める(~31)。〔木曽路ハイキングは昭和56年の第7回をもって終了〕

7月29日
昭和51(1976)年6月10日

『岡山県立岡山朝日高等学校 教育史資料』第1集発行。〔昭和57年までに第10集まで刊行された〕

昭和51(1976)年6月10日
昭和53(1978)年4月1日

河本泰輔、校長に就任。1年生の定員が470名となる。

昭和53(1978)年4月1日
9月12日

体育館に体育教官室、器具庫を増築。

9月12日
11月15日

運動場に常設のスタンド完成し、県に寄付される。〔この年の運動会から使用された〕

11月15日
昭和54(1979)年2月10日

体育の格技の総仕上げとして、柔道・剣道大会を開催。〔昭和57年度からは女子のダンスが加わり、柔道・剣道・ダンス大会となる、現在も毎年秋に開催〕

昭和54(1979)年2月10日
昭和55(1980)年3月31日

『岡山朝日研究紀要』第1号発行。〔刊行継続中〕

昭和55(1980)年3月31日
4月1日

1年生の定員が445名となる。〔岡山県立岡山一宮高等学校が開校、総合選抜は5校体制で実施されるようになった〕

4月1日
6月5日

集団宿泊指導(のちに集団宿泊研修)を始める(~6、弥勒の里)。〔翌年からは国立三瓶青年の家に変更して2泊3日で実施、平成10年をもって終了し、「1日ホームルーム」に引き継がれた〕

6月5日
昭和56(1981)年4月1日

1年生の定員が440名となる。

昭和56(1981)年4月1日
8月15日

合併教室棟(旧化学教室)を取り壊す。

8月15日
9月20日

この年の運動会をもって巨大な「山車」づくりは終わった。

巨大な山車が練り歩いた仮装行列最後の年に現れた山車の極致。内部にいた数人の力で疾走し、大喝采を浴びた。

9月20日
昭和57(1982)年3月17日

剣道場(研修ホール)完成。〔1階のダンス場は昭和61年9月になって整備された〕

完成した剣道場。当初は1階は未整備であった。

昭和57(1982)年3月17日
3月30日

六高記念館が県に寄付される。

3月30日
4月1日

1年生の定員が405名となる。

4月1日
8月1日

サッカー部、全国高等学校総合体育大会に出場(鹿児島)。

8月1日
昭和58(1983)年4月1日

阪本暁夫、校長に就任。1年生の定員が470名となる。

昭和58(1983)年4月1日
8月22日

六高記念館書庫が県に寄付される。

8月22日
昭和59(1984)年11月21日

創立110周年記念式典を挙行(岡山市民会館)。創立110周年記念同窓資料館落成式を挙行(同日)。記念演奏会(11/20、岡山市民会館)。記念回顧展(11/21~25、同窓資料館)。記念美術展(12/4~9、岡山県総合文化センター)も開催。

昭和59(1984)年11月21日
昭和60(1985)年4月1日

1年生の定員が475名となる。

昭和60(1985)年4月1日
11月21日

校歌・歌詞の碑建立。

校歌碑は校門を入って左側の体育館の脇に設置された。新校舎建設工事にともなってやや北に移設された。

11月21日
昭和61(1986)年3月

芸術教室棟完成(1階:美術教室、2階:書道教室、3階:音楽教室)。

昭和61(1986)年3月
9月

研修ホール(剣道場)1階にダンス場を整備。

9月
昭和62(1987)年4月1日

役重正憲、校長に就任

昭和62(1987)年4月1日
昭和63(1988)年3月

特別教室棟(理科棟)のLL教室の設備を更新。

昭和63(1988)年3月
4月1日

1年生の定員が505名となる。〔1年生は11学級となった〕

4月1日
平成元(1989)年4月1日

1生の定員が510名となる。〔全定員は1,510名〕

平成元(1989)年4月1日
平成2(1990)年4月1日

佃幸男、校長に就任。1年生の定員が495名となる。〔各学年とも11学級となった〕

平成2(1990)年4月1日
平成3(1991)年4月1日

1年生の定員が465名となる。

平成3(1991)年4月1日
5月9日

「第18回岡山市内普通科五校対校競技大会」(五校戦)で優勝。〔三校戦・四校戦・五校戦の時期の優勝はこの回のみ〕

5月9日
9月27日

台風19号の強風で樹木や校舎、校門門扉が大きな被害を受ける。〔門扉は翌年3月に新造して取り替えた〕

校地南西隅の自転車置場が折れた銀杏の枝で圧壊


強い西風で門扉の下半分が壊れた

9月27日
平成4(1992)年3月31日

本館(階段教室)に電算室を整備。

平成4(1992)年3月31日
3月

中庭(本館と特別教室棟の間)の整備が始まる。〔平成6年3月に完了〕

3月
4月1日

1年生の定員が450名となる。

4月1日
平成5(1993)年4月1日

1年生の定員が435名となる。

平成5(1993)年4月1日
4月

県主導で、「魅力ある学校づくり事業」開始。

4月
7月27日

『受験記』再刊。〔刊行継続中〕

7月27日
11月21日

校史作成委員会設置。

11月21日
平成6(1994)年3月

中庭の整備完了。
 
中庭整備直前(左)中庭整備後(右)

平成6(1994)年3月
4月1日

馬場克彦、校長に就任。1年生の定員が425名となる。

4月1日
4月

家庭科、ダンス・武道の男女共修開始。

4月
8月

カラー仕様の学校案内を初めて発行する。

8月
9月14日

「創立120周年記念朝日祭」を開催(~15)。〔初の文化祭・体育祭連続開催、現在もこの方式を踏襲〕

9月14日
11月21日

創立120周年記念式典を挙行(岡山市民会館)。記念演奏会(11/26、岡山シンフォニーホール)、記念回顧展(11/21~25)、記念美術展(11/15~20、岡山県総合文化センター)を開催。

創立120周年記念式典

創立120周年記念回顧展

創立120周年記念演奏会

創立120周年記念美術展

11月21日
平成7(1995)年4月

1年生の定員が410名となる。

平成7(1995)年4月
9月15日

体育祭において3年生による仮装行列が復活した。

9月15日
平成8(1996)年3月

新入生を対象にした生徒会執行部による『入学のしおり』刊行。〔刊行継続中〕

平成8(1996)年3月
4月1日

1年生の定員が400名となる。

4月1日
4月

県主導で、学区をもつ普通化を対象にした「普通科の特色づくり推進事業」開始。

4月
7月14日

初めて北海道への修学旅行が実施される(~16)。〔飛行機を使用した最初の修学旅行〕

7月14日
7月20日

『岡山朝日高等学校 校史資料』第1集発刊。〔刊行継続中〕

7月20日
11月21日

特別展の関連事業として「岡中・一中・朝日高校に学んだ先輩の文学作品の読書感想文および創作文学のコンクール」を開催。〔次年度から「岡山朝日文芸作品コンクール」と改称し、現在も毎年開催〕

11月21日
平成9(1997)年1月29日

大講堂で火災が発生し、ステージが焦げる。

平成9(1997)年1月29日
1月

岡山県立烏城高等学校、岡山県立短期大学跡地(現岡山市北区伊島町)に移転。烏城高校が使用していた校舎は、小講堂と野外トイレを除いて3月に撤去された。

1月
4月1日

平田賢治、校長に就任。

4月1日

この年度、ホームページが開設される。

平成10(1998)年5月7日

第18回岡山市内普通科五校対校競技大会(五校戦)開催。〔五校戦はこの年が最後となった〕

平成10(1998)年5月7日
8月27日

本校初のオープンスクールを開催。〔この年は2回実施〕

平成10年度2回目のオープンスクール(10/31)

8月27日
12月22日

岡山県高等学校通学区域に関する規則の一部が改正される(小学区制から中学区制へ、総合選抜制が廃止されて単独選抜制へ移行)。

12月22日
平成11(1999)年3月11日

単独選抜制に移行して最初の学力検査を実施。

単独選抜初の合格者発表(3/19)

平成11(1999)年3月11日
4月28日

集団宿泊研修の後継行事として1年生を対象に1日ホームルームを始める。〔平成17年度から2年生にも拡大された〕

4月28日
5月6日

補習科に「楠友館」との呼称を付ける。

5月6日
11月19日

創立125周年記念式典、記念演奏会を開催(岡山シンフォニーホール)。記念美術展も開催(12/14~19、岡山県総合文化センター)。

11月19日
平成12(2000)年4月1日

海本博允、校長に就任。

平成12(2000)年4月1日
10月6日

鳥取県西部地震で本館(階段校舎)の窓ガラスが多数割れるなど大きな被害を受ける。

10月6日

部活動表示塔を正門付近と校地北西隅の2個所に設置。

平成13(2001)年4月1日

1年生の定員が360名となる。

平成13(2001)年4月1日
11月1日

岡山県は「おかやま教育の日」を制定、本校は授業公開や学校説明会等を実施した。〔以後、学校行事として定着、近年は登録有形文化財の一般公開を併せて行っている〕

11月1日
平成14(2002)年4月

学校完全五日制開始。PTA主催による土曜活用事業開始。

平成14(2002)年4月
7月16日

初の海外への修学旅行実施(~18、韓国と沖縄の2方面で実施)。

7月16日
平成15(2003)年1月

各教室に石油ファンヒーターが導入された。

平成15(2003)年1月
3月30日

岡山県立岡山朝日高等学校管弦楽団第1回定期演奏会「春うららの音楽会」開催。〔三木記念ホールで開催、次年度以降は岡山シンフォニーホールに会場を移して毎年3月に開催〕

3月30日
4月1日

柴岡元、校長に就任。1年生の定員が320名となる。

4月1日
4月

教科「情報」、「総合的な学習の時間」(朝日髙では「ACT(アクト)」と呼称)が始まる。

4月
7月15日

東京方面への修学旅行を始める(~7/17)〔東京大学の研究室を多くの生徒が訪問するようになるのは平成17年度から〕

7月15日
平成16(2004)年3月11日

国語・数学・英語で自校作成問題による学力検査を始める。〔現在、自校作成問題を使用しているのは本校のみである〕

平成16(2004)年3月11日
4月1日

1年生の定員が320名となる。

4月1日
7月12日

PTAの費用負担で、普通教室へのエアコン設置完了。

7月12日
8月

合併教室(小講堂)撤去。

8月
11月16日

創立130周年記念式典を挙行(於:岡山市民会館)。
創立130周年記念演奏会(9/26、岡山シンフォニーホール)を開催。
本校初の校史『岡山朝日高等学校の生い立ち、戦前篇』刊行。

創立130年記念式典

11月16日
12月21日

岡山大学とタイアップして「総合的な学習の時間」を実施。〔以後、「岡山大学訪問」として1年生行事として定着した〕

12月21日
平成17(2005)年2月8日

自己推薦による入学者選抜実施。〔この方式による選抜は平成25年度で終了した〕

平成17(2005)年2月8日
9月30日

新校舎北棟(管理・教室棟)完成。

9月30日
平成18(2006)年8月31日

新校舎南棟(特別教室棟)、図書館棟完成。

新校舎を鳥瞰する(撮影:平成19年5月)

平成18(2006)年8月31日
平成19(2007)年1月9日

新校舎に移転。

使用する机や椅子を自ら新教室へ運んだ

平成19(2007)年1月9日
3月16日

キャリア教育講演会を始める。〔以後、同窓会の協力を得て毎年開催〕

3月16日
4月1日

板谷正夫、校長に就任。

4月1日
4月

岡山県教育センター、吉備中央町へ移転。

4月

この年度より、「ピアサポート」の取り組みを本格化させる

平成20(2008)年2月7日

旧本館(階段校舎)の管理棟部分を撤去。

平成20(2008)年2月7日
2月14日

地蔵川周辺等に六高菊桜を移植。

2月14日
6月21日

第1回「ALL ABOUT ASAHI」(授業公開日)開催。

6月21日
6月

特別教室へのエアコン設置完了。

6月
9月

合併教室(旧家事教室)、サーキットトレーニング施設を撤去。

9月
平成21(2009)年2月19日

旧本館(階段校舎)の教室棟部分の解体完了。

旧本館がなくなった校地・校舎(撮影:平成21年4月)

平成21(2009)年2月19日
4月1日

平井信雄、校長に就任。

4月1日
7月19日

難波博之さん、第40回国際物理オリンピック・メキシコ大会で銀メダルを獲得。

7月19日
9月1日

旧岡山県教育センターが岡山県教育庁指導課から本校に所属替えとなる。

9月1日
9月28日

弓道部井上泰夫さん、第64回トキめき新潟国民体育大会の弓道少年男子遠的で(岡山県選抜チーム)優勝。

9月28日
平成22(2010)年4月1日

1年生の定員が360名となる。

平成22(2010)年4月1日
8月10日

香川県立高松高等学校(旧高松一中)と鳥取県立鳥取西高等学校(旧鳥取一中)との野球部定期戦を開始(於岡山県営球場)。

8月10日
12月10日

特別教室棟(東半部分)大規模改造工事完成。

12月10日
平成23(2011)年1月26日

正門、校地を取り巻く石積み、東書庫・西書庫、柔道場が「登録有形文化財(建造物)」に登録される。
  
左から、正門、西書庫・東書庫、柔道場

平成23(2011)年1月26日
3月

同窓会の支援を受け、植栽を撤去するなど正門前面両脇を整備。

3月
7月1日

郵便局株式会社中国支社よりオリジナルフレーム切手「岡山朝日高等学校建造物登録有形文化財登録記念」が発売される。〔高校名を冠するオリジナルフレーム切手の発行は全国初。2度増刷されて計3,000部発行、完売した〕

7月1日
8月3日

兵庫県立神戸高等学校(旧神戸一中)とのサッカー部定期戦開始(於本校グラウンド)。

8月3日
8月6日

囲碁将棋部女子、「第47回全国高等学校将棋選手権大会」で団体優勝。〔朝日高初の団体による全国制覇〕

8月6日
9月

講堂(大講堂)を原則使用中止とする。

9月
12月6日

特別教室棟(西部分)大規模改造工事完成、特別教室棟の大規模改造工事が終了。

大規模改造が完了した特別教室棟(撮影:平成24年1月)

12月6日
平成24(2012)年2月5日

「第5回全国高等学校英語スピーチコンテスト」で、宮原綾さん(1年)が文部科学大臣賞を受賞し優勝。

平成24(2012)年2月5日
3月30日

特別教室棟の北西隅に庭園を整備。

3月30日
4月1日

杉本尚平、校長に就任。

4月1日
4月

グローバル人材育成プログラムが始める。〔以後、関連するさまざまな取組が現在も継続中〕

4月
12月

空手道部道場老朽化により使用中止。〔この建物は旧制六高の図書館の一部を移築したもの〕

12月
平成25(2013)年2月

特別教室棟2階に美術品展示・収蔵室を整備。

平成25(2013)年2月
3月10日

イギリス・サイエンスカレッジ授業体験プログラムを初めて実施(~22)。

3月10日
7月

研修ホール、創立百周年記念館の耐震補強工事完成。

7月
8月21日

体育館にスライディングステージを設置。

8月21日
12月

空手道部道場解体。

12月
平成26(2014)年2月

資源ゴミ置場(当初は購買)を解体。

平成26(2014)年2月
11月21日

創立140周年記念式典を岡山市民会館で挙行。
創立140周年記念演奏会を開催(12/1、岡山シンフォニーホール)。
創立140周年記念美術展を開催(12/16~21、岡山県天神山文化プラザ)。
『校史資料編』刊行開始。
同窓会の創立140周年記念事業として『岡山朝日高等学校所蔵作品集』出版。

創立140周年記念式典

創立140周年記念美術展

11月21日
12月

同窓会館(創立90周年記念館)の耐震補強工事完成。同窓会の創立140周年記念事業として同2階教室内装やエアコンも同時に整備される。

12月
12月26日

同窓会の創立140周年記念事業として正門門扉・門柱灯が更新される。〔正門門扉贈呈式を開催(翌年1/10)、この改修で正門廻りは大正後半期の旧制六高の趣を取り戻した〕

新しくなった正門門扉。大正後半期の旧六高時代の趣を取り戻した。

12月26日
平成27(2015)年1月

中庭(北棟と図書館棟との間)のインターロッキングブロック舗装完成。

平成27(2015)年1月
4月1日

田中広矛、校長に就任。

4月1日
4月7日

正門門柱の門標を新たに揮毫した。〔現校地で7枚目の門標〕

4月7日
平成28(2016)年1月31日

「第9回全国高等学校英語スピーチコンテスト」で、プラダン シュレヤスさん(1年)が文部科学大臣賞を受賞し優勝。

平成28(2016)年1月31日
9月30日

全普通教室にプロジェクターを設置。

9月30日
平成29(2017)年7月15日

守田脩究さん、第49回国際化学オリンピック・タイ大会で銀メダルを獲得。

平成29(2017)年7月15日
平成30(2018)年3月24日

ダンス部、アメリカンダンスドリルチーム インターナショナルチャンピオンシップ2018(国際大会、アメリカ・ラスベガス)でPOM部門および総合で第2位を獲得。

平成30(2018)年3月24日
7月29日

大倉拓真さん、第49回国際物理オリンピック・ポルトガル大会で金メダルを獲得。〔日本人で唯一、岡山県においても初の獲得〕

7月29日
平成31・令和元 (2019)年3月25日

ダンス部、アメリカンダンスドリルチーム インターナショナルチャンピオンシップ2019(国際大会、アメリカ・ラスベガス)でPOM部門で第1位、総合で第4位を獲得。

平成31・令和元 (2019)年3月25日
4月1日

竹田義宣、校長に就任。

4月1日
4月

岡山県立高等学校教育体制整備実施計画に基づき、高等学校魅力化推進事業のリーディングモデルの研究指定校となる。

4月
9~12月

旧岡山県教育センターの諸建物、第六高等学校が建設したプールを解体。

9~12月
令和2(2020)年3月2~21日

新型コロナウィルス感染症対策のため臨時休業。

令和2(2020)年3月2~21日
4月20日~5月31日

新型コロナウィルス感染症対策のため再度の臨時休業。
授業日数確保のため、第1学期終業式を8月7日に、第2学期始業式を8月17日に実施。

4月20日~5月31日
9月

岡山県教育センターおよびプール跡地をグラウンドとして使用開始。

9月
令和4(2022)年4月1日

平田善久、校長に就任。

令和4(2022)年4月1日
4月1日

令和4年度入学生から普通科の類型として「学術探究系」を導入。

4月1日

二女・二女高の年譜

昭和11(1936)年3月4日

岡山県第二岡山高等女学校、文部省告示第五九号を以て開校を許可せられ、岡山県女子師範学校校長菅原信治が校長事務取扱を命じられた。

昭和11(1936)年3月4日
3月7日

岡山県令第一〇号を以て学則制定。

3月7日
3月31日

菅原信治、校長を兼務。

3月31日
4月9日

入学式を挙行。

4月9日
5月18日

校旗推戴式。

5月18日
5月28日

開校式を挙行し、この日を開校記念日とした。

二女の校名を加えて二号に書かれた門標。南門の奥にははん(さんずいに半)池と正門が写っている。南門、正門、講堂はいずれも戦災で焼失。

5月28日
昭和14(1939)年10月

菅原校長、離任。黒金厚美、女子師範学校長と兼務の校長に就任。

昭和14(1939)年10月
昭和15(1940)年5月27日

5年生、初の修学旅行を実施(九州方面、~8/1)。〔戦前の複数泊に及ぶ修学旅行は最初で最後となった〕

昭和15(1940)年5月27日
昭和16(1941)年4月

研究科を付設。

昭和16(1941)年4月
昭和18(1943)年4月

師範学校女子部部長坂元彦太郎、兼務の校長に就任。

昭和18(1943)年4月
昭和19(1944)年3月

学区制と岡山一女との綜合考査制を導入した入試を実施(20年も同じ)。

昭和19(1944)年3月
6月

5年生、中国航機株式会社に出動。

6月
7月1日

4年生、住友通信工業株式会社岡山製造所に出動。

7月1日
10月2日

3年生、倉敷航空化工株式会社岡山航空機製作所に出動。

10月2日
昭和20(1945)年4月10日

3年生、住友通信に出動(入所式)。

昭和20(1945)年4月10日
6月29日

岡山空襲により、校舎焼失。焼跡・中出石公会堂・村上教諭宅等で授業。

6月29日
11月19日

教育会館の一部を借用して授業。

11月19日
11月30日

坂元校長は離任し、北村正、校長事務取扱となる。これにより二女は岡山師範学校女子部と全く分離した。

11月30日
昭和21(1946)年2月2日

城北女子商業学校(現創志学園高等学校)の一部を借用して授業。

昭和21(1946)年2月2日
3月30日

野崎正衛、校長に就任。

3月30日
4月1日

初めて1クラス以上の150名を募集し、入試を実施(~4/3)。

4月1日
7月27日

大山登山を実施(~7/29)。〔大山登山が復活した〕

7月27日
12月5日

焼跡に仮校舎の一部(松舎・竹舎)完成。

焼け跡に兵舎を移築して建てられた校舎。校舎の周りの整地はまだ済んでいない。

12月5日
昭和22(1947)年3月

松舎・竹舎の南側に新校舎完成。

昭和22(1947)年3月
4月

新制中学の発足により、新3・2年生は、第二岡山高等女学校併設中学校の生徒となった。

4月

5年生、奈良・京都方面へ修学旅行を実施。〔戦後初の修学旅行〕

もとの校地で体育祭も開催された(10/26)

昭和23(1948)年4月1日

学制改革により、岡山県立岡山第二女子高等学校と改称し、5年修了者のうち卒業を希望しないものは新制高校3年生、併中2年修了者は岡山第二女子高等学校併設中学校の3年生となった。

昭和23(1948)年4月1日
9月

家庭教室完成。

9月
昭和24(1949)年3月10日

森嘉吉、校長に就任。

昭和24(1949)年3月10日
3月20日

県下一斉の入試で、1クラス分の生徒の入学を許した。

3月20日
8月31日

岡山県立岡山第一高等学校と合併して岡山県立岡山朝日高等学校となり、中山下校舎と称した。森校長は離任。北村正が中山下校舎の部長となった。

8月31日

校名の変遷について

明治7(1874)年8月4日

温知学校予科

明治7(1874)年8月4日
明治9(1876)年2月25日

岡山県師範学校予科(許可:3月5日)

明治9(1876)年2月25日
明治9(1876)年6月2日

岡山県師範学校変則中学科(許可:9月14日)

明治9(1876)年6月2日

教則変更が明治12年(1879)1月11日に認められて岡山師範学校変則中学科は変則中学校となったが、校名変更の時期はよくわからない。

明治12(1879)年2月10日

岡山県中学校

明治12(1879)年2月10日
明治18(1885)年3月2日

岡山県岡山学校中学科

明治18(1885)年3月2日
明治19(1886)年8月11日

岡山県尋常中学校

明治19(1886)年8月11日
明治28(1895)年3月17日

岡山県岡山尋常中学校

明治28(1895)年3月17日
明治32(1899)年4月1日

岡山県岡山中学校

明治32(1899)年4月1日
明治34(1901)年5月2日

岡山県立岡山中学校

明治34(1901)年5月2日
大正9(1920)年4月

岡山県岡山中学校

大正9(1920)年4月
大正10(1921)年3月11日

岡山県第一岡山中学校

大正10(1921)年3月11日
昭和23(1948)年4月1日

岡山県立岡山第一高等学校

昭和23(1948)年4月1日
昭和24(1949)年8月31日

岡山県立岡山朝日高等学校

昭和24(1949)年8月31日
昭和11(1936)年3月4日

岡山県第二岡山高等女学校

昭和11(1936)年3月4日
昭和23(1948)年4月1日

岡山県立岡山第二女子高等学校

昭和23(1948)年4月1日
昭和24(1949)年8月31日

岡山県立岡山朝日高等学校

昭和24(1949)年8月31日