朝日高校MAP
施設紹介
岡山朝日高校は旧制高等学校の校地を引き継ぎ、広い校地と豊かな自然が自慢です。

正門





同年3月には、正門前面脇の植栽を撤去して舗装し、円弧を描く石積がよく見えるようにして、堂々たる正門が際立つよう改修されました。
現在の門扉は、六高開校当時から数えて、中央の門扉が5代目、左右の小門扉が4代目となります。平成26年(2014)12月26日に4枚の同窓会の母校支援により門扉とも更新されました。新しい門扉は大正中期に取り替えられた門扉をほぼ忠実に再現しています。更新を繰り返す中で失われた各種の装飾が復活しました。門柱灯も球形のレトロなものとなり、正門前の改修と相まって、旧制第六高等学校時代の大正期の姿を偲ぶことができるようになりました。

門柱の前面には、洪水を浸水をくい止めることができるように、堰板を落とし込むための樋門石が置かれています。
実際、昭和9年(1934)9月の室戸台風では、ここに堰板を落として洪水を防ぎました。とはいえ、このときの洪水はすさまじいもので、板を乗り越えて浸入し、校内を泥の海にしてしまいました。当時の姿をとどめる柔道場の内部には、この時の水位を示す表示板がいまも残っています。

北棟




○健康診断、保健指導、健康相談、健康相談活動
○応急処置や休養の場の提供(継続的治療、内服薬投与は行わない)
○感染症および疾病の予防、健康課題の把握
○情報収集、資料の保管や調査
学校生活の中で心身の不調があれば、必要に応じて保健室を利用してください。

相談室と保健室は、内ドアで行き来ができるようになっています。
図書館






創立百周年記念館



また、購買では学用品のほかに、パンやアイスクリームも販売しています。大学ノートや鉛筆をはじめ、生徒会が企画した通学バックなどのここにしかない朝日高校Goodsも購入することができます。




書庫

東書庫は明治35年(1902)竣工の煉瓦造3階建で、現在外壁にはモルタルが塗られていますが、もとは白漆喰土蔵風であったと思われます。各階にコーニスが設けられ、洋風の特徴も持ち合わせていました。南側に隣接して図書閲覧室が設けられており、この建物はその書庫として利用されていました。
西書庫は昭和5年(1930)の増築で、鉄筋コンクリート造3階建です。本格的に鉄筋コンクリートの建造物が建てられるようになった昭和初期の作品です。
昭和20年(1945)6月29日の岡山大空襲では、南側にあった図書閲覧室は焼亡しましたが、両書庫は辛くも焼け残り、当時の姿を留めています。現在は倉庫兼書庫とし

柔道場

この柔道場は大正8年(1919)の竣工で、90年を経た現在でも日々の武道の授業で使われています。床下にはスプリングが入れてあり、衝撃を和らげるような工夫がなされています。屋根が瓦葺きから鋼板葺きに改修されていますが、ほぼ旧態を留めています。
六高の校舎は多くが昭和20年(1945)6月29日の岡山大空襲で焼失しましたが、この柔道場は辛くも罹災を免れました。旧制高校の学校生活をしのぶことができる貴重な建物です。
柔道場の南側には六高時代のプール(現在は使われていません)も残されています。




石碑めぐり
六稜碑




「六稜碑」と「酒井先生像」はもともと旧校舎(旧六高本館の焼失後、その基礎を利用して建てられた戦後の平屋建ての木造校舎)の正面玄関前にありましたが、「六高の碑」が新たに設けられた際にこの地へ移されました。
「わが母校ここにありき」碑

烏城高校は昭和17年(1942)に夜間の旧制中学として烏城城郭内に創設されました。本校と本校と校舎を共有しており、昭和28年(1953)8月末の本校の国富校舎(現在の校地)への統合とともに烏城高校も現在の校地に移ってきました。本校と烏城高校とは長らく校地を共有していましたが、平成8年(1996)、岡山市北区伊島町の旧岡山県立短期大学跡地に新校舎が完成し、12月に移転しました。
