『相談課便り』第14号
『相談課便り』第14号
はじめに
4月には新一年生,転任されてきた先生方を迎え,ちょうど新しい若葉が芽吹くように学校全体にエネルギーを感じました。もうその新しいメンバーがしっかりした葉っぱになり 一緒に一本の立派な木になってきた感じがします。どんな一学期だったでしょうか。
教育相談課では,精神科校医の中野善行先生によるこころの健康相談を6月5日(木)に,5月29日にはスクールカウンセラーの森口章先生による,1・2年生対象(3年生は希望者)の講演会を実施しました。昨年から始まったピアサポート・プログラムも,6月から始動しはじめました。7月31(木)には2回目のこころの健康相談が予定されています。「何か安心した」「これでいいんだ」という気持ちを少しでも感じていただけるように,これからも相談活動に励みたいと考えています。
今回は3人の先生方に日頃感じておられること,興味を持たれていることなどを自由に書いていただきました。何かの思いを共有するきっかけになればと思います。
ほっと一息つきませんか?
永田宏子
みなさん,1学期お疲れ様でした。春からの4ヶ月は,バタバタとあっという間でした。終業式が終わって暑さも本格的になり,今は部活や受験勉強にむけて瞳の中にめらめらと炎をたぎらせているかもしれません。
さて,みなさんはストレスがたまったり,気持ちが疲れたりしたときにどんな方法で気分転換をしていますか?ケーキを思いっきり食べる,川辺で大きな声を出す,ビリビリと折り込み広告を破る,コメディ映画で涙が出るまで笑う……人それぞれ色々な方法でストレス発散していると思います。
先生たちだってイライラしたり腹が立ったり,落ち込んだりすることがあるんですよ。でもそれを教室に持ち込んじゃいけないから,やっぱりいろいろやっているみたいです。多いのはスポーツでしょうか。ジョギングしたり,水泳したり,スポーツクラブに通ったり。犬や猫に愚痴を聞いてもらうこともあるようです。
最近の私のお気に入りは「アロマテラピー」です。言葉は聞いたことがあるかもしれませんね。アロマテラピーは,花やハーブから有効成分を抽出した精油(エッセンシャルオイル)を使って健康や美容に役立てる自然療法です。精油の香りをかぐと,人はリラックスしたり気分がリフレッシュするだけでなく,芳香成分を体内に取り入れることで体調と精神の乱れを調整する薬理効果があることが,近年,医学的見地から実証されました。
私はどちらかというと理論からはいるタイプの人間で,正直言って今までこのようなものにはあまり興味がありませんでした。「それって,『鰯の頭も信心から』の類じゃないの~?」とあまり信用していなかったのですが,昨年たまたま地域の役員の集まりでルームスプレーを作ってみる機会があり,それがとっても“気持ちよかった”のです。それ以来興味をもつようになり,少しずつ勉強したり教室に通ったりし始めました。
というわけで,今日は簡単にできて,皆さんの役に立ちそうなものを少し紹介してみましょう。(なお,精油は直接肌につけたり,飲んだりしてはいけません。)
◆ハンカチやティッシュペーパーにつけて,鼻を近づけて深呼吸する。
○集中力をアップさせる……レモン精油2滴,ローズマリー精油1滴
○一歩前へ進む勇気をもらう……グレープフルーツ精油2滴,ベルガモット精油1滴
○気分が華やぐ……ジャスミン精油1滴
◆お風呂に精油を入れてよく混ぜ,全身浴する(多くても5滴まで)
○落ち込んだ気分を晴らす……オレンジスィート精油2滴,ゼラニウム精油1滴
○心身を緊張から解き放つ……イランイラン精油2滴,ゼラニウム精油1滴
○体のこり,筋肉痛をほぐす……ローズマリー精油2滴,ラベンダー精油2滴
これ以外にも花粉症や頭痛を和らげたり,いろんな使い方ができるようです。私の通っているアロマ教室では,次回は歯磨き粉を作る予定。おもしろそうでしょう?興味のある人は声をかけてください,一緒にやってみましょう!
身近な自然に目を向けてみよう
高祖幸男
「うちのお母さんが先生に教えて貰ったって言っていました!!」朝日高校へ今年四月に転勤してきてから授業前の突然のサプライズ。思えば今年で教員30年目,気持ちだけはそんなに変わっていないつもりでも,いつの間にか時間だけが過ぎ去っていったのでしょうか。そういえば最近,会話の中にも固有名詞がなかなか出てこなくなり,「あれ」とか「それ」とかが多くなってきたし,近くの文字が見えにくくなってきた。
何年間も高校で,いつも接してきたのは毎年毎年高校生,時間の感覚が疎くなるのも頷ける。たまには同窓会などで卒業生に会ったりすると,過ぎ去った時間が再認識できることもあるのですが。
さて,高校一年では一学期の理科総合Aの授業で「ナトリウム」の実験を行った。米粒大のナトリウム片を水の入った試験管の中へ投入,水面をクルクル回って反応して消失「カッワイー」,反応後の気体に点火すると,「ポン」という爆発音あちらこちらで「キャッー」。また,ビーカーの中では米粒大のナトリウム片が黄色い炎をあげて発火,あちらこちらで「ワッー」。わずか30分程度の実験でしたが,生徒は誰もが初めての経験,実験後のレポートには「ここは何でこうなるの?」「こんなこともしてみたい。」など多くの質問や考えがぎっしり。
若いことの素晴らしさはたくさんあるでしょうが,身の回りの自然の中で,多くの感動を経験することができるのもその一つでしょうか。いろいろな自然現象を不思議に思うこと,そしてそこから,なぜそうなるのか知りたいという純粋な気持ち。そんな気持ちがまた,より深みのある学習へと向かわせるための原動力にもなり,鋭い洞察力をも養ってくれるのでしょう。
そういえば最近,身の回りの自然に接する機会がなんと少なくなってきたことか。小学生の夏休み,夕方になると近所の庭を探索,木の根っこの地面に小さな穴が空く,それに指をつっこんでセミの幼虫 -モックリといった - を引っ張り出す。それを夜寝るとき蚊帳の中に入れておく。朝になると羽化したセミが蚊帳の中を飛び回っている。どのようにして羽化したのか不思議で,ようし今度はその瞬間を見届けてやろうと遅くまで起きてしまう。ほんの一例ですが,かつてはそんな自然観察ができるチャンスが身近でたくさんあった気がする。
現在では都市化宅地化がすすみ,その中で多くの子どもたちはケイタイ,インターネット,テレビ・・・・・ボタン一つでこうすれば,ああなると分かっていることをしている世界でとても便利な時代。しかし,こうすれば,ああなるとは限らない世界,それが自然でしょうか。思いもよらないこと予想外のことが起こる。それに驚きそれを不思議に思い,探求してみたくなる。そこから観察力,洞察力が身につき思わぬ感動もできるし,なにもかもが自分の思い通りにならないこともおのずから理解でき,人間も自然のひとつなんだということも理解できてくる。こんな便利になった時代だからこそ,もっと自然に目を向け,素直に感動してもよいのではと思うこの頃です。
こんな子供になって欲しい?
柴田みさえ
最近,職員室で電話に出るのがなんだかおっくうになってきてしまった。怠け者になったからではない。(それも少しあるかも)何故か私が電話に出ると苦情,つまりお叱りの電話であることが多いからなのだ。だいたいは地域の方からのお電話で,交通マナーの悪さに関するものが多い。
「自転車の並進が大変邪魔で迷惑している」「さっさと職員室から出てきて指導をしろ」「こんな高校生を小学生や中学生がマネをすると困る」「学校ではどんな指導をしているんだ」となかなか怒りはおさまらない。謝ればいいというものでもないのだが,受話器を片手に謝り続け,メモを取るためにと用意した紙は次第にグルグルとした曲線で埋められていくことになる。しかし,ずっと続くかもしれないと思われる曲線をはたと止めてしまう決まり文句が必ずと言っていいほど発せられる。「お勉強が出来てもマナーがなってないんじゃ仕方ないでしょう」確かにそうなのだが,この決まり文句を聞くといつも私はブルーな気分になってしまう。「うちには他の人のために頑張れるいい子だっているのに」「そのお勉強に生徒達が毎日どれだけのプレッシャーを感じながら学校生活を送っているのか想像したことがあるのだろうか?」とは言っても,私自身も本校に転勤してくるまでは,同じようなことを思っていたと白状しなければならない。でもいいわけが許されるなら,それは自分の学校の生徒を少しでも良く思いたいからだったと思う。
初任校は県北の高校だった。農業関係の専門科が主な学校であったこともあり,農業実習は真面目に取り組むが,普通教科の勉強など頼んでもしてはくれなかった。まず,教室に入ってもらうことから作戦開始となる。教室に入ればとりあえずひと安心と言いたいところだが,油断をするとすぐにジュースやお菓子を出して宴会モードとなる。冬場はストーブの上に缶コーヒーが温められ,時にはお弁当も温められる。びっくりしたのは,田植えが無事終わって紅白饅頭が配られたときのこと。2階と中庭で雪合戦ならぬ饅頭合戦。ちぎっては投げ,ちぎっては投げの攻防。「食べ物を育てる者が食べ物を粗末にするな」と一生懸命叱った。単位を出せと追いかけられる。黒板のチョーク入れからは,びっくりするものが出てくる。悪態はつく。でも自分達の作った野菜などを恥ずかしそうに職員室に売りに来る。売り切るまでは帰ってくるなと専門科の先生に言われて来たのだろう,どんなに苦労して栽培したか一生懸命語る。つい,日頃の恨み(?)を忘れて「なかなか,立派なもんじゃないか」と思って食べきれないほど野菜を買ったりする。すぐ翌日の英語の授業で後悔することになる。勉強が不得意であることを自覚し,野菜作りに頑張ることで褒めてもらい,学校にくる意味を少しずつ見つけようとしている彼らを応援するのは楽しかったと思う。
次の学校は普通科の学校ではあったが,生徒はあこがれの学校に入学したという感じではなかった。それぞれがいろいろな思いを持っていた。ここでは国際コースを担当した。定員に満たない時には二次募集を実施したのだが,そのために英語は大嫌いだが仕方なく来たという生徒もいた。英語の授業は多い。それも英語指導助手であるネイティブの方とのコミュニケーションの授業が主流となる。普段の連絡は英語で,英語合宿もあれば,国際交流事業として,ホームステイの受け入れや英語圏の姉妹校訪問プログラムもある。いわゆる英語のできる生徒はそう多くはない。英語が好きであるというだけで果敢に挑戦し続ける生徒。英語は嫌いでしょうがないが,卒業のため何とか踏ん張る生徒。何とか英語でコミュニケーションしたい,英語で何かをしゃべりたいという一心で,かなりの身振り手振りで頑張る生徒を見るのは,こちらも元気が出た。一生懸命盛り上げた。英語が特別にできなくても,思いを伝えたい,わかりたいという気持ちが何よりも大事だと本当に考えていた。
朝日高校に転勤してきてすぐ,今までとはまるで違うと感じた。学校のことを周りがどう評価しようと,生徒が自分と自分の学校を好きになることをずっと応援してきたのだが,ここではこの学校で学ぶ価値を自分で見いだす努力をしなくても,すでに周りの人がこの学校に対して十分な価値づけをしてくれていると感じた。自分の周りでも変化はあった。子供の送り迎えで保育園に行くと,転勤前は言われなかったのに「お母さん,学校大変でしょう」とよく言われるようになった。私自身は全く変わったつもりはない。勤務校が変わっただけなのだが周りの見る目は違っているように思えた。自分でここにいる意味を一生懸命見つけようとしなくても,すでに大きな意味が存在しているような気がしたし,生徒達もこの学校に入学することで,十分評価されている印象を受けた。
今までと同じようにやっていたのではいけないとは思うが,自分のやり方というのはそう簡単に変えられるものでもない。最初の年はクラスの生徒に,「先生,朝日に向いてないんじゃない?」(どうもクラスの生徒達のやることに首をつっこみすぎたらしい)と言われたこともあるし,「何か毛色の違うやつがやってきた」(どうも周りをよく見ずに行動していたらしい)と思った教員もいたようだった。先輩の先生方に教えられながらこの学校のやり方になじもうと努力もしている。自分自身の中にも変化がある。もう自分で意味づけをしなくても良いと思っていたが,最近いつも自分自身でこの学校に勤める意味を探している。いや,そんなかっこいいものではない,ほかのどの学校よりこの学校が好きである理由を少しずつ見つけていると言った方がいい。
話が長くなってしまったが,学校外の方の「勉強はできても・・・」という言葉にがっかりしてしまうのは,勉強以外のいいところを見つけているからであり,なおかつそれを他の人にも知って欲しいと思っているからなのだろう。「うちの生徒には素晴らしいところがあるんだ」という気持ちがあの言葉で刺激されるのだと思う。もちろん直すべきところは直さなければならないが。
「勉強はできても・・・」の言葉に気落ちしても仕方がない。理解してもらうためには努力もしなければならない。生徒達には,「勝手に文句を言われている」という気持ちもあるかもしれないが,お互いが理解するためには,まずこちらから努力するのが大切なのだろう。相手に変わってもらうことは,自分が変わることよりもはるかに難しいと思う。「やっぱり頑張らなきゃ」と思いながら電話を切った後で気を取り直す。
学校にいる間はこんなことをつらつら考えるのだが,家に帰ると状況は一変する。自分でもギャップに戸惑うのだが,「勉強はできなくても・・」のモードに切りかわる。上の娘は中学生だが,危険を感じてか,返却された試験を見せない。問いつめて持ってこさせると,今度はその出来ばえに腹が立つ。「あんた,勉強しないんだったら,もっと手伝いでもしなさい」とつい言ってしまう。「勉強はできなくても,人の役に立つ子に」という思いが強くなる。去年までお気楽な保育園児だった下の子も小学1年生となり,心配はダブルパンチとなっている。彼においては「6+2は~え-っと,手がたらんなぁ」(実は両手で6を作るために,2を作る手が欲しいらしい)「エー!毎日宿題をちゃんとしないからでしょう!」と来る日も来る日も足し算カードを持って息子を追いかける。「コラー,勉強しなさぁい!」と言いながら,「元気でいてくれればいいかな」と思ってしまう自分も結構気に入っている。