『相談課便り』第23号

「社会科準備室」

辰田芳雄

社会科と今も名乗っている。1994年以後、高等学校には地歴科や公民科はあっても社会科はない。しかし、地歴科と公民科に分けても意味がないのでそのまま社会科と称しているのである。実際、みんな、両方の科目を担当している。小学校・中学校の社会科を引き継いでいるという気持ちもあるかもしれない。準備室であって研究室ではない。研究をしないことはないが、研究室というと生徒の出入りがしにくい感じがある。でも、やたらに出入りしてほしくないので、入り口に『国史大系』や『鎌倉遺文』を並べている。以前は、その先に衝立まで置いていた。何を準備しているわけでもないが、自由の空気は漂っている。

新校舎ができるまでは、社会科準備室の北の窓を開けると3年C組やD組が間近に見えた。生徒は渡り廊下(空中歩廊)を経て易々と社会科準備室に来ることができた。面談も大抵ここでやっていた。生徒は職員室(旧校舎2階の西側)に行くよりよっぽど身近な部屋だった。3年生や補習科の論述指導の部屋だった。生徒は目当ての先生を訪ねてやってきた。教科書や参考書に混じって意味不明で怪しい図書もある部屋であった。ちょっと秘密めいた部屋であった。北側のクラスの部屋にはない空気があったはずだ。

社会科準備室は、第2保健室と呼ばれていた。学校に来にくい生徒や授業に出にくい生徒が時々休みにやってきた。休憩時間にやって来ては、目当ての先生のところで話をしてはまた授業にかえっていく。昼休みの時間ずっと居座る生徒もいた。放課後、掃除のまま居座って帰らない生徒もいた。友人関係や男女の関係だけでなく、家庭での悩みを相談に来る生徒もいた。

私が社会科準備室にいつくようになったのは、ここが居心地がよいだけではなく、先輩の先生や同僚の先生の生徒への対応が勉強になったからである。この部屋は、先生同士が仲間意識を持って会話が弾む部屋であった。質問に来た生徒・論述添削に来た生徒・悩みを持った生徒・ただ世間話をしに来た生徒が同時にいる部屋であった。学生が休みになると目当ての先生のところに一番に来る部屋であった。新校舎になって、社会科準備室は遠くなった。

「とったらだめよ」

柴田みさえ

娘が高校生になって,日常生活がどれほど学習と関係しているかしみじみ感じるようになってきた。娘はなかなか片付けが出来ない。着替えた服を片付けるのも,お弁当箱を洗うのも,洗濯物を片づけるのも何かの後回しになりすぐには出来ない。勉強も同じで,やらなければならないことはわかっているがすぐには取りかかれない。いよいよの状態に追いつめられるとやっとやり始めるという具合である。きちんと物を片づけなくても気にならないということは,学習したことをきちんと整理しなくても気にならないのだろう。

学校では掃除の様子を観察すると意外に勉強の様子がわかる。掃除をさぼってしまう生徒は,やらなければならない課題などをやらないことが多い。掃除場所まで行って掃除道具は手にするが,それ以上のことはあまりしない生徒は,やらなければならない課題や予習はとりあえずするが,自分なりのやり方を工夫することなく言われたことだけをすることが多い。自分からすすんで掃除をする生徒は,勉強においても自分なりに工夫しながら,必要な学習をきちんとすることが出来る。ただ,掃除時間を終わっても隅々まで掃除しないと気が済まない人は,勉強の効率が悪い可能性もある。こんな風に生徒達の学校生活を観察して勉強法もアドバイスするのだが,「私の家には水晶があってあなた達の生活が手に取るようにわかるのよ」と生徒には言っている。そのためか,私のことを「魔女」という生徒もいる。せめて「占い師」と言って欲しいところだ。さて,これほど生活と学習に関連性があるなら,日常生活からきちんとすればいいと思うのだが,子供の方もなかなか改まらないし,注意するこちらもなかなか上手くできない。私にも苦い経験がある。

昨年のこと,息子が小学校2年の時,私の帰宅を待ちかまえていた彼が玄関先まで走ってきた。「あのね,今日みんなでまんびきしたんよ。」靴を脱ぐ動作も止まってしまい,これは大変なことになったという思いだけが大きくなる。今までも学校の帰り道,通学路わきの畑の作物を愛嬌をふりまいてもらって帰ってきたことが何度かあった。ある時など,もらってきたオクラを友達と一緒に向かいの家の犬に食べさせようとしていたこともある悪い奴である。さてはあの畑に断りもなく数人で入って荒らしたのか。「お母さんになぁ・・・」「なんでそんなことするんよ。」思いがけない私の強い口調に息子もびっくりしながら,「だって先生がみんなでまんびきしようって言ったんよ。取ってあげた方がいいって。」「先生がなんでそんなことを言うん。取ってあげた方がいいなんてあるはずがないでしょ。」きちんと善悪は教えなければならないと言う気持ちが関係するのか,この言い分がさらに頭に来てしまう。大体,先生を出してくるところがあやしい。悪いことをして,なおかつ言い訳をするなんて,ここはガツンと怒っておかなければ。大体しかるときには徹底的に手加減はしない。息子は困惑の表情を浮かべながら少なくとも玄関先で20分はお説教を食らってしまうことになった。こちらも20分も本気で怒れば疲れてしまう。大泣きをしているからもうこの辺で勘弁するか,と思い「もう絶対せんよね。いっしょに謝りにいこうか。」とやっと靴を脱いで部屋に入った。台所まで行ってテーブルの上に置かれたレジ袋に目がとまる。中にはにんじんと大根の成長途中の葉が入っている。「もしかして,これを取ったの?」元気なく息子がうなずく。まずい。そういえば,学年通信で野菜を育てていると書いてあった。そう思った途端いろんなことのつじつまがあった。今日は授業でまびきをしたのだ。先生が野菜のためにみんなでまびきをしてそれを持って帰って料理してもらうように言われたのだ。もっと落ち着いて息子の言い分を聞いてやれば良かった。話がうまくできない分,上手く聞き出してやるべきだったのに,先生の子供が万引きなんてという考えの方が先走ってしまったのだ。息子の発言の機会を取ってしまったのは私なのである。テーブルの上のしおれかけの間引き菜がよりしょんぼり見えてしまう。私もしょんぼりしたいところだが,気の強い懲りない母は言ってしまう。「間引きなら間引きってちゃんと言いなさい!」親もきちんと反省をしなければならない場合がある。わかっていても出来ないのはお互い様なのかもしれない。そしてこんなお互いをなんとか許し合えるのも親子しかないのかもしれない。

「無題」

香取正光

わたくし、香取正光は、何か持っていると言われて40有余年!!それは「仲間」です。どこかで聞いたフレーズですが、私は今日までいつも周りの人たちに支えられてきたなと感じています。岡山朝日高校に赴任してきて18年目。素晴らしい人たち(生徒も含めて)、そして私の中では伝説になるような人たちと巡り会い、自分自身少しは成長できたかなと思います。

今回は、今まで人に語ったことのない8年前のことをお話ししたいと思う。この出来事は自分自身の中で最高に辛いことであったから今まで話をすることができなかった。平成14年のことである。私は剣道部の監督として団体戦で過去3回インターハイに出場していた。この年のチームは今までで一番強いチームで全国の強豪高校との練習試合、公式戦でもほとんど負けることがなかった。当然、私はインターハイ団体優勝を目指した。そして、その中の一人には、この年のインターハイ個人戦での優勝候補に名前が挙がっていたほどの選手がいた。私は彼らと共に一年間計画を立て、インターハイで優勝するためには何をすればよいのかを考え、厳しい稽古を積んでいた。彼らは人生をかけ、命懸けでやっていたそうだ。しかし、インターハイの県予選会の2週間前くらいから今までなかった精神状態に私自身が陥ってしまった。最強チームを率いて戦うプレッシャーが尋常ではなかったのだ。私自身が未熟なため、負けたらどうしよう、負けたらダメ監督の烙印を押されてしまうなどと、どうでもいいマイナスのことしか考えられなかった。挙げ句の果てにはこんな稽古でいいのだろうかと不安になってしまった。こんなことを考えている監督の下にいる選手は本当にかわいそうで、結果は無惨なものだった。全国優勝できたかもしれないチームが県予選会で敗退してしまったのだ。試合後の選手は、私には武士のように立派な態度で振る舞っているように見えた。閉会式が終わり、保護者や卒業生の関係者などたくさんの方々の前に整列し、いつものようにキャプテンが挨拶をした。この日のキャプテンは今まで支えてくれた方々に謝罪と感謝の気持ちを述べて泣き崩れたのだ。私はあの日のことを忘れることはできないし、あの日以来、彼らとあの大会のことについて話をすることは一度もなかった。

今年の11月の終わりにあの時の最強選手の結婚式に出席するため大阪に行くことになった。彼の結婚式には多くの方々が列席しており、彼の人物の素晴らしさを感じて大変嬉しく思い、後日手紙を書き、8年前のあの大会について一言だけふれた。彼からすぐ電話がかかってきて、あの日のことを少しだけだが話をすることが出来た。具体的に試合について話したわけでなく、お互いが何となくわかり合った会話だったと思う。彼は現在も剣道を続けており、大学時代はインカレで2位、実業団で優勝、そして全日本の強化メンバーとして頑張っている。彼は、岡山朝日高校で頑張ったから今の自分があり、感謝していますと話してくれた。今までの8年間の思いが涙であふれた。

私は、現在3年生の担任をしている。あの大会の出来事が教訓として凄く生きている。勝負に勝つためには目標としているものに挑むまで、自分自身の行動に納得できれば良い。それが出来たときには必ず結果が出るはず。ふとした時に自分の行動に反省があったとしても、そこからまた、納得のいく行動をしていくことが大事なのではないか。行動をおこすには早ければ早いに越したことはないが、遅すぎるということは絶対ない。短期間であろうとも、やれることをすべてやり、自分自身が納得して事にのぞめば、結果はどうであれ、のちの人生に大きな意味を持つ気がする。

「いじめ問題・悩みに関する調査」結果の概要

松本雅子

毎年この冬の号では、「いじめ問題・悩みに関する調査」の結果を報告しています。この調査は,教育相談課として長年継続的に実施しているものです。生徒の皆さんが「いじめ問題」についてどのように思っているか、日々どのような思いで学校生活を送っているかを調査し、その結果を共に考えることで、気づきや行動変容に結びつくことを期待しています。また学校でも結果を共有し様々な問題に迅速に対応できるよう協議しています。

問A【いじめ・悩みについての質問】の結果(抜粋)

○全体的な傾向
「体調をよく崩す」「勉強・成績のこと」「将来の見通し」「他人からの評価」の項目は、例年と同じくややポイントが高くなっています。生徒の多くが勉強面や将来についての悩みを抱えており、一番の関心事であるだけに不安や焦りなどの気持ちも大きいようです。また「人の目が気になる」の項目については、毎年どの学年でもポイントが高く、他人との関係の中で自意識が高まるのもこの年代では当然のことといえます。

○いじめの実態について
質問h~lまでがいじめに関連した項目であり、その数値は高くはないものの毎年皆無ではなく、いじめにつながるような「からかい」や「言葉の暴力」を含めると、本校にもいじめ問題は存在するということです。こういった行為は、軽い気持ちや何気なく行われているかもしれませんが、された方は想像以上に辛い気持ちになり傷ついているのだということがわかります。周囲の人もそのような場面を見たり聞いたりして不愉快な気持ちになり、クラスに改善すべき点があると答えていると思われます。

1=あてはまらない 2=あまりあてはまらない 3=ややあてはまる 4=あてはまる の4件法で回答し、平均値を表す

「問A」質問事項3年2年1年
a 生活のリズムが整わず,体調をよく崩す。2.02.02.0
b  友人関係で悩むことがよくある。1.71.81.8
c  学校内に信頼して相談できる人がいない1.71.71.8
d  勉強の仕方がわからず,集中できない。2.22.32.4
e  将来への見通しが立たず,気力が湧かない。2.02.12.1
f  学校に行きたくないとよく思う。1.71.81.8
g  私には友人がいない。付き合いがうまくいかない。1.31.31.3
h  私はいじめられている。1.11.21.1
i  からかわれたり手を出されることがあり,いやだ。1.31.31.3
j  言葉や態度で傷つけられることがある。1.51.51.4
k  クラスの中に改めるべき問題がある。1.51.81.8
l  いじめたりいじめられたりしている人がいる。1.31.41.4
m  人が私をどう思っているのかとても気になる。2.12.32.3
n  家族には,悩みがあっても相談できない。1.71.81.7

○友人関係の悩みについて
思春期~青年期を迎え、心と身体の変化に自分自身とまどいながら、その不安定さの中で人間関係、勉強のことなど、悩みは増える一方です。特に人間関係が広がる高校時代には仲間から嫌われていないか、友人といかに上手につきあうか、ということで不安に思っている実態がこの調査からも見えてきます。
悩み苦しむことは、決してマイナスではなく精神的な成長の上では大切な過程です。自分で解決法を見いだしたり、自分の中で折り合いをつけたりしながら大人へと成長していくものです。他人との関係において自分をみつめ、自我の確立をしていくのが、この年代の特徴ともいえます。

問B【朝日高校に「いじめ」はありますか。あるとすればどのようなことですか】について(自由記述)

○「知っている限りではない」「あまりない」「目撃したことはない」「知らない」が多数の意見でした。
○「からかい」「陰口」「悪ふざけ」「冷笑」「特定の人を避ける」「成績で人を差別」などいじめとも思える事ならたくさんあるという意見も少数ありました。

問C 【もしもいじめにあったり、悩んでいる友人がいたら,あなたはどうしますか】について(自由記述)

○「相談にのる」「できるだけのことはする」「積極的に話しかける」「両方の話を聞き仲裁をする」「先生や親に相談する」「孤立させない」「陰ながら手助けする」など、解決について積極的な記述が例年以上に多くみられました。
○「何もできない」「放置する」という回答が今年はほとんど見られませんでした。
解決にむけて、多くの人が自分なりにできそうな事を考えて回答してくれたことを嬉しく思いました。
この思いがクラス全体、学校全体に広がってくれることを期待しています。

教育相談課では、悩んだり迷ったりしている人の支援をします。いじめられている人、いじめている人、何も出来ずにいる人、どんな生徒の話もその人の立場で聴かせてもらいます。何かすっきりしない思いを抱えて苦しい時には遠慮なく相談に来てください。また、これっていじめかな?と思うようなことを見聞きした時にもぜひ話をしに来てほしいと思います。

私たちはいつもあなたのそばにいること、そして、あなたにはかけがえのない未来があること、忘れないでください。あなたは決してひとりではないのです。