『相談課便り』第52号

小さなごほうび・大きなごほうび

門間 紀子

一生懸命頑張ってちょっと一息つきたい時,仕事が一段落ついた時,私は自分に小さなごほうびを与えている。それはもっぱらお菓子だ。仕事が忙しくなればなるほど,食べるお菓子の量も増えていく。「ストレス解消の手段として,暴飲暴食は良くない」とピア・サポーターの生徒がLHRで教えてくれ,少々落ち込んでいるが,やめられそうもない。

そして一週間ごと,一年ごとのごほうびも当然あるのだが,二年ほど前に「十年後のごほうび」を設定した。これで十年間頑張れるぞ!と自分に言い聞かせている。それは「2026年に完成したサグラダ・ファミリアに行くごほうび」である。着工から130年以上経ても未完成の,世界遺産にも登録されている聖家族贖罪教会である。私は大学生の頃スペイン語を学んでいたため,バルセロナを旅行し建設中の教会を訪れた。その当時は完成まであと200年はかかると言われており,完成した姿を見ることができないことを残念に思っていたが,近年の技術革新と建築費用の財源安定のため,現在は建築家ガウディの没後100年にあたる2026年に完成予定だと言われている。まさか生きている間に完成の日が来るとは!是非とも再び教会を訪れ,塔の上からバルセロナの街並みと地中海を見渡したいと考えている。余談であるが,バルセロナを含むスペイン周遊旅行をした二十歳の時,現地の人に「十二歳ぐらいに見える」と言われて当時は非常に複雑な気持ちになった。あと八年後に旅行したら何歳に見られるだろうか。もし二十代と言われたら,今度はきっと大喜びするであろう。

たとえ2026年に教会が完成しなくても,ごほうびを先に延ばせばよいし,無事にごほうびがもらえたら,また次の大きなごほうびを設定すればよい。こうして私は将来に希望を持ち続け,なんとか日々を過ごしていけるのだと思う。

内田 康晴

83歳で逝った義母を見送った。

検査で,以前手術した腎臓のガンの再発の懸念が伝えられたとき,すでに80歳近くであったこともあり,手術などの治療はしない選択をした。詳しい検査も、体に負担のかかるものは断り、普通の生活を続けた。

病気の進行はゆっくりであったようで,少しずつの体の衰えが,病気によるものなのか、加齢によるものなのか、傍目には区別がつかなかった。 やがて,貧血などの症状が出てきても,一時的な入院で症状が治まると,医師に願い出て早々に望んで自宅へ帰らせてもらった。

最後の入院では,だんだんと食事もとれなくなり、ついに水も飲めなくなった。そして、栄養と水分を補給していた最後のライフラインであった点滴も、やせ細った血管に針が入らなくなった。

以前から,過度に人工的な医療を義母は望んでいなかった。それをふまえて,それ以上の特別な処置はしてもらわないことになった。

水分も摂れなければ生きては行けない。せっぱ詰まった状況であった。ただ、誰しも最後は自分で食べ物も飲み物も摂れなくなる。脱水状態のそのとき,人は苦痛に苛まれているのではなく,分泌される脳内物質によって,安らかな幸福感に満ちた状態にあると考えられるそうで,そのことは端で見ている者にとっても大きな救いであった。

病院は,完全看護で付き添いは必要ないのではあるけれど,最後の日々は,家族が24時間交代で付き添った。周りも体力の限界に近づいたころ,義母は旅立っていった。このことは家族に,出来るだけのことはしたのだと、気持ちの区切りをつけさせてくれる助けになったようにも思う。

終末期の医療の目的は,病気を治すより,尊厳を持って最後の日々を過ごせるようにすることだという。

義母は,ガンの再発に際して,手術などしないという選択をし,検査も過度な負担となるものはしないことを希望した。家族を含めて状況の説明を受け,どうするかを決めさせてもらえた。最後の日々は,トイレにも行けなくなっていたが,看護師はじめスタッフの方のきちんとしたケアで,体は清潔に保たれ、痛みやいろいろな症状にも対処をしてもらえた。尊厳のある過ごし方をさせてもらえたと病院の方々には心から感謝の念を抱いている。

たとえ寿命が100年になっても,やがて終わりの時がくる。自分で生き方を決め,尊厳をもって過ごせる1日1日は,最後の日々のみならず,人生を通じてそうありたいことだと思った。

心の健康

高山 あゆみ

朝日高校の保健室に来て2年経ちました多くの体調の悪い生徒をみて思うことがありました。それは、休養・こころの健康についてです。

こころの健康とは、世界保健機関(WHO)の健康の定義を待つまでもなく、いきいきと自分らしく生きるための重要な条件であり、具体的には、自分の感情に気づいて表現できること、状況に応じて適切に考え、現実的な問題解決ができること、他人や社会と建設的でよい関係を築けることを意味しています。人生の目的や意義を見出し、主体的に人生を選択することも大切です。こころの健康は「生活の質」に大きく影響するものです。例えば、ストレスが多いと風邪などの感染症にかかりやすくなること、心臓病などの病気にかかりやすい性格や行動があること、などが有名です。

こころの健康を保つことはさほど難しいことを行う必要はありません。適度な運動や、(眠れなくても)身体を横にして休養すること。リラックスしたり、ものごとを現実的で柔軟にとらえることも必要です。身近な信頼できる大人に話を聞いてもらったりして、ストレスと上手につきあうことを心がけてください。きっと高校生の時に色んな思いや、体験をしておくことが社会にでてからの自分の生活の基礎となっていくことでしょう。

ダンスを通しての経験

竹内 梨子

空前のダンスブームが到来。「逃げ恥じダンス」「チア☆ダン」「バブリーダンス」などがきっかけで、ダンスがメディアに取り上げられる機会が急激に増えた。ダンスは、派手でチャラチャラしている、そんな印象が世間一般にあった時代から、洗練された集団美、真剣に打ち込む姿が放映される事により、さわやかなイメージになりつつあると私は思う。そんなダンスブームに我が岡山朝日高校も乗り遅れる訳にはいかない。

この度、ダンス部が創部以来初めてとなるアメリカで行われる国際大会に出場することが決まった。2017年6月に行われた中四国予選を突破し、8月に行われた全国大会に出場。その結果日本代表認定証を頂いた。

3月22日から一週間ダラスとロサンゼルスに2年生7名で参加する。このメンバーは、ダンス経験者はたったの1名。バレエ・体操・フィギュアスケート・バトントワリングの経験がある生徒もいるが未経験者ももちろんいる。高校からダンスを始めた人でも国際大会に出場するまでに成長できるということがダンスの面白さの一つかもしれない。

国際大会までの道のりは決して楽ではなかった。夏の予選大会から全国大会までの間で起こったメンバー変更。全国大会では9人だったメンバーが7名になってしまったこと。様々な事が影響し合い、今に至る。「アメリカに行くぞ!」そう目標を掲げるのは簡単だ。その目標にどうやって近づくか、何が自分たちに足りないのか、このチームの長所は、短所は何なのか、真剣に考え話し合った。何度もぶつかり、顔色を伺うことを辞めようと心がけた。

しかし、すぐには変わらない。人間には「忘れる」という強敵がいるからだ。この前話し合ったのに、どうして?そんなことの繰り返し。しかし、諦めず、粘れば少しずつ変わっていく。思ったことを面と向かって言い合える、本気で向き合える仲間にしようと今でも一人一人、戦っている。

勉強・部活動・校外活動、何でもいい。今、私はこれを頑張っている、真剣に取り組んでいるというものを何か一つ持つことが、自分の進化に繋がる。「身体を柔らかくするためには3ヶ月かかる」と、よく言う。やったことの変化がすぐに実感できる事はほとんどない。しかし、そこを突破して、コツコツ地道に諦めずやっていけば必ず進化する。私は彼女たちから多くのことを学んだ。

私自身も5歳からバトントワリングを始めた事をきっかけに並行してダンスを始めた。どんどんダンスの面白さにのめり込み、高校入学と同時にバトンは辞め、当時岡山県一のダンス部に入部した。そこでの出来事が今の私の基盤になっている。沢山叱られた。褒められた記憶より、叱られた記憶の方が鮮明に残っている。私は記憶力が良くなく、要領も良い方ではなかったので、ダンス部ノートを作り、振り付けを棒人間で書いたり、フォーメーションや反省をそのノートに毎日記入した。もう一つやっていたことは、部活動をどうやったら上手く運営できるか、効率よく練習できるか考え、先輩の成功体験や失敗体験をメモした。先輩からしたら、嫌な後輩だったと思う。考えて、実行して、考えて実行して・・・失敗も沢山したけれど、今はその経験が財産となっている。

最後に、保健の一年生の授業で扱った“自己実現”について少し触れようと思う。自己実現とは自分なりの目標をかかげてそれに近づこうとすることや、それを達成することを言う。人間は自分自身を高め、持っている力を最大限に発揮したいという高次な欲求があり、それが自己実現の原動力となっている。自己実現は競争ではない。たとえ目標が同じでも、力の出し方、工夫のしかた、やり方に違いがあって当然。集中的に出し切る人もいるし、時間をかけて持続的に出していく人もいる。それぞれの目標に向かって工夫をしていくこのことが大切であり、この過程で自分らしさが形づくられていく。

1年後、2年後の自分のなりたい姿、なるべき姿を想像し、その為に今日は何をすべきか、明日は、1週間後、1ヶ月後、半年後と小さな目標から立ててみよう。もし、その目標を見失ったり、忘れてしまっても、もう一度考え直せば良いのです。