『相談課便り』第3号
『相談課便り』第3号
アンガーマネジメントに参加して
池田優子
最近、暇さえあれば携帯電話を開いている人をよく見かける。特に若者と携帯は切っても切れない関係にあるようだ。
保健室でも堂々と携帯を出していた生徒との間に、次のような場面があった。
1回目 「○○君、携帯はやめてね。」
<○○君は無言でメールを打っている。>
2回目 「○○君、さっき言ったことわかった?」
<横目でちらっと私を見る。>
落ち着いているときなら、2回ぐらいは私も優しく言えるのだ。しかし、余裕のなくなっている私はキレる。
「そんなことする元気があるんなら授業に行きんちゃいよ!」
……きまずい空気が流れる。そして生徒は悲しい目をする。確かに私の言い方がまずかった。保健室では元気でいられても、教室ではしんどい思いをしていることはわかっているのだ。ついきつく言ってごめんなさい。でも、マナーは守って欲しいのよ(悲)。
どうやったらお互いに気まずくならないで、伝えたいことをうまく伝えられるのか。そんな思いに駆られ、この夏県教育センターで行われた「アンガーマネジメント研修講座」に参加した。この研修講座では「心の中に起こる怒りそのものを否定するのではなく、むしろその怒りの実態を正しく理解し、それとどのように向かいあったり、対処したりすればいいのか」ということを学んだ。3日間に渡る研修のうち、現職の先生が自校で実践しているアンガーマネジメント・プログラムの発表があったが、大変勉強になるとともに、その内容に先生方の強い思いを感じた。
資料に『「I」メッセージ』というものがあった。担任が遅刻を繰り返す生徒を叱るとき、「またあんた遅刻したの。どうしてあんたは時間が守れないの。」これは相手を責める言い方である。ところが、「遅刻すると一日の生活が乱れるだけでなく、授業を中断しなくてはならないし、周りの人の迷惑にもなると思う。君とはもう遅刻しないと約束していたから私はとても残念だよ。」という私の気持ちを伝える方法では、相手を大切にするだけでなく、自分も大切にすることができるという。「You」ではなく「I」に替えるだけで。
やや回りくどい気もするが、学校に持って帰って使うと、確かに怒鳴り散らすよりも生徒は耳を傾けてくれる。ただ、私はまだ心も技術も未熟なので、怒りを懸命に沈めようとしながらしゃべるため、かなり微妙な表情になっていると思われる。生徒も、私の内面から滲み出る何かに追われ保健室を後にしているのかもしれない。まだまだ修行が必要である。
しかし、上述のように怒りを抑えて相手との関係を温和に保つことがいつも必要であるとは思わない。怒るべきときに怒る、笑いたいときに笑う。自分が持った感情を素直に出す。そういうことも大切にしながら子どもたちとふれあっていきたい。
介護を通して
芝田敬
「教育相談課のスタッフとして、平生思われていることを自由に書いていただけますか。」と依頼され筆をとっている。多忙という二文字をよいことに何も特に深く考えることなしに生きている身としては辛い作業であるが、この十年間程の生活の大きな部分を占めてきた介護を通して、今の心の一端を述べてみたい。その前にひとつ断っておきたいことは、以下文章を書いていくと苦労話の羅列のように思われるかもしれないが、真意はそうでない。介護を通して多くの方々から「たいへんですねえ」という励ましのお言葉をいただいたが、そうではなく逆なのである。病床の親の姿を見て生の重みを感じ、ドクターやナースの方々の献身的な姿勢からプロフェッショナルとしての職に対する凄さ等、多くのことを学ばせていただき、とても充実した生活ができたのである。(職場には時間割変更等で多大なご迷惑をかけてしまったが……。)以下思うままに書いてみたい。
十年ほど前に父が肺炎で酸素が自力では吸えなくなり、その五年後に亡くなり、三年程前には母が末期の咽頭ガンの宣告を受け今年の3月30日に亡くなってしまった。父は満州から帰国後、肺結核を患い片肺を切除していたため通常でも酸素吸収率は常人の半分で、酸素を吸収するための五年間の激闘は筆舌に尽くしがたいものであった。自宅まで救急車に来てもらうことも十数回はあったように思える。
母は末期ガンであったため処置できず、家族としては毎日狭まっていく食道でおこる本人の激痛と不安をベッドの脇から見て、「すこしでも長く生きていてくれ」と心の中で叫びながら明るい笑顔で接していくしか、なす術はなかった。そして今年の3月30日で生身の両親とは永別してしまったわけである。直後、心の中に大きな空洞が空き、深淵に突き落とされてしまった感は否めない。特に母まで亡くなってしまうと、自分の生そのものが大きく揺らいでしまい、それまで持っていた価値観が否定され、生きていくことの寂寥感がわが身に迫ってくる。先達はどのようにこの道を通り抜けられてきたのかと思ってしまう。
今、若輩の自分に少しだけ分かりかけていることは「死は誰にもやってくることであり、その裏返しに生きているこの一瞬の生は途轍もなく貴重なものである。」ということだけである。
相談室がリニューアル!
池本しおり
新校舎の1階に移転した相談室は、広くて明るくなりました。10月末に移転して以来、相談室を訪れる生徒が次第に増えています。
また、これを機に箱庭療法のセットが入りました。箱庭は、砂の入った砂箱の中に玩具(人間・動物・植物・建物・乗り物・点景などのミニチュア)を置いて、自分の世界を自由に表現するものです。「○○を置いたから△△の心理状態である」というような「心理を読む」ものではありませんし、「占い」でもありません。あくまでも来談者が癒され、自ら心にエネルギーを取り戻すことを目的に用いられるものです。また、心に深い悩みを抱えている人だけに適応されるものでもありません。砂にさわっているだけでも心が落ち着くという人もありますので、だれでも構えることなく利用できるものです。
今まで利用した人の声を紹介すると、「砂を触っていると、子供の頃にかえったようで楽しい」「砂の感触が気持ちよくて、癒される」「現実の世界ではできないことを表現できて、解放された」「一つの世界をつくることで、達成感があった」「言葉にはしにくいこともイメージで表現できて面白い」など、さまざまな感想が聞かれました。
4月発行の『相談課便り』に「クリスマスローズに会いに」という拙文を載せたところ、「先生、クリスマスローズってどれですか?」と言ってたずねてくる生徒が何人かありました。切り花が長く咲き続けてくれていましたが、花が終わってからのために、クリスマスローズを特集した園芸雑誌を置いています。その雑誌も見ていて面白いのですが、それでもやはり本物が一番。今は、クリスマスローズの鉢植えを置いています。ただし、株が成長して花を咲かせるまでにはまだしばらくかかりそうですが……。光沢のある濃いみどり色の葉には七つ前後の深い切れ込みが入り、まるで風車のようです。
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」花が咲く日を心待ちにしながら、風車が揺れる姿を眺めているのも、なかなかいいものです。
《おはなし》しゅうちゃんのこと
大西由美
「いくぞー!それー!!」
しゅうちゃんが投げるボールはぐんぐん回転しながら、ビユーッと風を切って相手のコートへ飛んでいきます。いまはお昼休み。いつも、仲のいい友達と一緒にドッジボールをして遊ぶのが大好きなしゅうちゃん。今日もみんなにこにこしながら、大きな声を出して、元気よく遊んでいます。しゅうちゃんは人気者。だって、誰よりも遠くに、強いボールを投げて、たくさん相手をやっつけるチームのリーダーだからです。でも絶対にボールを独り占めしたりしません。それは、前に女の子たちも一緒に遊んでいたとき、最後まで一回もボールにさわれなかったあかりちゃんが辛くて泣いていたのを知っているからです。他の子が、独り占めしはじめたら、しゅうちゃんは大きな声でいいます。「他の人にもまわしてあげようやぁ。」
そう、しゅうちゃんは強くて優しい男の子なのです。だから、みんなしゅうちゃんが大好き。そして、しゅうちゃんもみんなが大好き、小学校が大好きです。
キーンコーンカーンコーン……昼休みが終わる合図。急いで教室に帰ったしゅうちゃんたちは、朝の学級会で先生から配られていた「健康カード」を持って廊下に並びはじめました。今日は健康診断の日です。身長・体重・聴力・視力と順番に測定していきます。視力のところでしゅうちゃんの番になりました。大きな「C」のマークを先生が指しています。右目は1.5のところまですらすら見えました。今度は左目。「えっ!」しゅうちゃんはびっくりしました。右目ではすんなり見えていたのに、左目になったとたん先生がどの「C」を指しているのかさえ全然わかりませんでした。「見えません。」としゅうちゃんはいいました。先生は怪訝そうな顔をして尋ねます。「ほんと?」「見えません。」さっきより小さい声でしゅうちゃんは答えました。先生は困ったような顔をされて、それから、「はい、では次の人……」といって、しゅうちゃんを教室へ返しました。
夏休みのある日、しゅうちゃんはいつもお母さんが診てもらっている眼科のお医者さんのところへいきました。暗い部屋の中でお医者さんは、しゅうちゃんの左目を顕微鏡のレンズみたいなものでのぞきこんだり、見たこともない機械で写真を撮ったりしました。そうして、しゅうちゃんの目が、元に戻せない、もうもとのように見えるようにはならない病気だということを教えてくれました。「でも、右目は見えるから。…左目もこれ以上悪くならないように頑張って手術を受けましょう。」お医者さんはそういって、しゅうちゃんの頭を優しくなでました。
怖い怖い……こわいよ。手術って痛いかなぁ。痛いだろうな。どうしよう、どうしよう…… お布団の中で、しゅうちゃんはさっきからずうっと考えています。そうして、考えれば考えるほど怖くて不安で、辛くて、涙がすーっと流れてきます。涙が枕にしみてきて、ほっぺたが冷たくなるくらい、たくさんたくさん泣いても泣いても……涙は止まらなくて……ドッジボールのときのこうへい君やゆうき君の顔が浮かんできたら、もうたまらなくなって、「ワーッ」と叫んでお布団を顔に押し当てて泣きました。そうしてずっとずっと泣き続けていつのまにか眠ってしまいました。
お医者さんが、優しい声で説明します。「しゅうちゃんの左目がすこしでも光を感じていられるうちに、これ以上悪い血管が目の底に伸びてこないように、レーザー光線で血管を焼きましょう。痛いけれど我慢してやり抜いてくださいね。」
それから半年間、しゅうちゃんはレーザー光線と戦いました。痛いなんてものじゃない。頭の奥がグーンと壁に押しつけられて、目の奥に針を刺されるようなものすごい痛みが、レーザー光線の一本一本に伴ってきます。強い子のはずのしゅうちゃんも苦しくてしょうがありません。痛くて悲しくて、たまらなくて、「先生もう止めてください。痛いよ!痛いよ!」と叫んだこともありました。でも、悪い血管をやっつけるためには、少なくても600本のレーザー光線を打たなくてはなりません。しゅうちゃんはまだ小さいので、一回に30~50本が限界です。だから何回も何回も病院に通って、頑張りました。「病院なんか行かない!」と言ってお母さんを困らせたりしませんでした。お母さんが誰よりいちばん悲しんで、心配してくれていることを知っていたからです。しゅうちゃんは優しい心を忘れませんでした。そうして、お母さんの前では決して弱音を吐きませんでした。病院に通っている間も、小学校一年から続けている剣道の練習を休まず続けました。面をかぶって竹刀を振っていると、痛い治療のことも忘れました。友達と一緒に大きな声を出して、「めーん!どう!こてっ!」とやっているうちに、少しずつ元気が戻ってくる気がしました。夏休みの最後には大きな試合があります。しゅうちゃんは決意していました。「優勝して家族のみんなを喜ばせてあげるんだ!」と。「病気になんか負けるもんか。もしも左目が見えなくなったって、頑張れば強くなれるんだ。」と。
その朝、しゅうちゃんはいつもより少し早く起きました。お母さんがつくってくれた朝ご飯をいっぱい食べて、自分で「よし!」と気合いを入れました。今日は試合の日。優勝するためには、5人の相手に勝たなければなりません。しゅうちゃんは少し緊張していました。でもそれは、レーザー光線と戦いに病院に行くときの緊張とは違って、なんだかすっきりとしたさわやかな緊張でした。
「がんばってね!勝たなくてもいいから一生懸命やってね!!」と家族に声をかけられたとき、しゅうちゃんは「うん」と笑顔で答えました。そして、心の中では「絶対勝つ!負けるもんか!」と気合いを入れ直しました。そして、面の紐をいつもより少しきつめにくくって、試合場に入りました。
しゅうちゃんは終始強気で攻めました。絶対に後ろに引かない覚悟で頑張りました。そして1回戦、2回戦、3回戦、4回戦と嘘のようにすいすい勝ち進んだのです。何かに後押しされたように、軽々と体が動き、得意の小手がおもしろいように決まりました。そして、ついに決勝戦。相手もここまで勝ち残ってきた強者です。今度はいままでのように簡単にはいかないはず。「よしっ!」しゅうちゃんは、面紐を締め直して、深呼吸してから試合場に真っ直ぐ向き、相手をじっと見つめました。
「面あり!」審判の声が響き、上がったのは相手の赤旗です。「しまった……」しゅうちゃんは焦りました。心臓がぐんぐん大きく脈打ってくるのがわかります。「負けるかもしれない…」と思いかけて、相手に正対して仕切り直す間に、「いいや、僕は負けるもんか。病気になんか負けないぞ!!勝つ勝つ勝つんだ!」と思い直して、ふぅーっと息を吐きました。病気になる前のしゅうちゃんなら、もうダメだとあきらめたかもしれません。弱気になってすぐにもう一本とられていたかもしれません。でも、レーザー光線と戦ったしゅうちゃんは強くなっていたのです。落ち着いて、考え直す力を身につけていたのです。「はじめ!」の声に「やあ!!」と気合いを入れてしゅうちゃんは相手の方へ飛び込みました。「小手あり!!」今度は白旗が上がりました。そこからはもう一歩も引きません。前前前へ……「小手あり!!!勝負あり。」きれいに三本しゅうちゃんの白旗が上がりました。
僕には神様がついていると、しゅうちゃんは思うことがあります。病気になったけれど、全部見えなくなる前に健康診断で注意されたのも、神様が教えてくれたことのように思えてきます。頑張って優勝できたのも、病気に立ち向かった自分に神様がご褒美をくれたからだと思えてきます。それから、もうひとつ思うことは、苦しいことや嫌なことから逃げなかった自分はちょっと偉いなぁということです。
「しゅうちゃん、ドッジしようやぁ。」
今日も、お昼休みにみんなで元気に遊んでいます。しゅうちゃんは自分が辛かったことをお友達のだれにも話していません。だって、学校にいたらそんなことは忘れてしまうもの。毎日いろんなことが勉強できて、知らなかったことがどんどんわかるようになってきて、自分の世界がぐんぐん広がっていくから。それに、病気になる前もその後も、こうへい君だってゆうき君だってあかりちゃんだって、みんな何にも変わらない。楽しい仲間だから。
「いくぞー!それー!!」