『相談課便り』第30号

『相談課便り』第30号

★一学期も半ばを過ぎ、一年生は制服姿も板に付くころ、生徒の皆さんの生活リズムも確立してきていることと思います。中間考査を終えて、緊張が緩み、疲れが出やすい時期でもあります。本年度最初の「相談課便り」をお届けします。どうぞお読みください。

「自分らしい旅を求めて」

永田宏子

気温が上昇してくると,身体の奥がムズムズしてくる。新聞を見ても,目に入るのは旅行の広告ばかり。そう,私は海外旅行が大好きだ。一番のストレス解消法であり,趣味と実益を兼ねての旅である。世界史の教師なので授業ではまるでその場にいたかのように話すわけだが,実際にはほとんどが書物の上だけの知識だ。致し方ないこととはいうものの,自分の目で見,そのものから直に受けた印象を授業で話すことができれば,きっと生徒の頭の中には鮮明にその出来事が残るはず……そんなことを思いながら,旅に出る。

はじめての海外旅行はまだ教員になる前,相棒のたっての希望でニューカレドニアに出かけた。”天国に一番近い島”というフレーズが思い浮かぶようなら,あなたは私と同年代である。南太平洋に浮かぶフランス領の島々。青い空,青い海。「海辺のリゾート」を楽しむツアー旅行であった。

この初めての海外旅行では,不快な思いもした。一組の新婚さんがとにかく私たちと同一行動を取りたがるのだ。自由行動の時間になると,「どこへ行くんですか? 動物園? 私たちも行くー!」でついてくるのだ。正直うっとうしい。彼らはどうもフランス語はもちろん英語もさっぱりできないようだった。なので,英語ができる(できそうな)人にコバンザメのようにくっついて旅行していた。他人様に迷惑をかけないためにも,自由行動ができる程度の語学力を身につけることは大切だとしみじみ思った。なお,ニューカレドニアのコテージで岡山では見たことのないサイズのゴキブリに遭遇し,私には南国のリゾートは合わないことを確信した。

最初の頃の海外旅行はツアー旅行ばかりだったのだが,ひょんなことからツアーではない海外旅行に行くことになった。なんと!とある雑誌の懸賞でドイツ旅行に当選したのだ。(人生の運はこれで使い果たした。)私と友人,雑誌編集部2人の計4人で旧東ドイツを巡る旅である。私はいつものツアー旅行感覚で参加したのだが,この旅で気づいたことがあった。

まず,案内役であるはずの雑誌編集部2人の英語力が私以下であったことだ。恥ずかしながら,私の英語力は中学生に毛が生えた程度であるが,そんな私が時には彼らにかわって交渉することもあった。なんのこっちゃ,であり,かつ驚いた。ツアーの添乗員は英語ペラペラの人ばかりだったので,海外旅行を主体的に行うにはかなりの英語力が必要だと思い込んでいたのだ。「それなりに話せれば自分で海外旅行はできるんだ」ということは,新鮮だった。

またこの旅行は4人だけの旅行だったため,かなり自由度の高い旅になった。「ザクセンハウゼン強制収容所跡へ行きたい」「ドイツの一般家庭を訪問してゴミの分別などの様子を見たい」「オペラを観劇したい」といったわがままも聞いてもらえた。もちろん,お土産屋さんへ強制連行されることも皆無。(ツアー旅行では観光30分,お土産屋さん90分などはよくある話だ。)それまでのどの旅行より充実した数日間を過ごすことができた。自分の行きたいところへ行きたいだけ行けるって,なんてすばらしいんだろう!と自由な旅に開眼したのであった。

それからというもの,すべてではないもののできるだけ個人旅行で海外へ出かけるようになった。ロンドンでは,アビーロードの横断歩道でビートルズと同じポーズで写真を撮り,短い距離ながらもオリエント急行に乗った。香港では趣味のビーズショップ巡りに没頭。ニューヨークでは,メトロポリタン美術館に入るために4時間並んだ。どれもきっとツアー旅行では無理だっただろう。

もちろんリスクもある。個人旅行はツアーより高くつくことが多い。大型バスでポイントを効率よくまわるツアーと違って時間の無駄も多いし,乗る地下鉄を間違えたり,迷ったりは常だ。食事にも苦労する。困ったときに頼りになる添乗員はいないし,自分の身は自分で守らなければならないから,冒険はせず安全は最優先事項だ。自分の好きなようにしたいということは,すべての責任を自分が負うということでもある。

なら,覚悟を決めるしかないではないか。まずはできる限りの事前準備をする。何冊も本を読み,日程を自分で組み立て,「AがだめならB,BがだめならC」とシミュレーションをする。飛行機とホテルはどこかがいいかを調べ,交通の便や治安をチェックする。英語ができれば本当に心強いが,それだけではダメだ。現地の言葉で簡単な挨拶や「トイレはどこですか(これ重要!)」を調べておく。世界史の材料になりそうなところをピックアップして旅程に組み込む。やるべきことは多い。時間と体力のある若い人ならまだしも,この年齢ですべてを自分で組むのはいささかしんどい,ツアーならどれだけ楽だろう……。でも,多くの都市はきっと人生で二度と訪れることのない場所だ。だからこそ,多少の苦労をしても,連れて行かれるがままのお仕着せ旅行ではない,自分らしい旅がしたいと思う。

暑くなってきた。さて,今年はどこに行こうかしら……

「私の好きな季節」

福田遥

私の苦手な季節は春だ。街は春爛漫の浮き浮きモードで、たくさんの出会いと別れが交錯する。冬のあいだ、その寒さにじっと堪えていた私の心と体は、そのめまぐるしい変化になかなかついていくことができない。これから夏真っ盛り!のこの時期に季節外れではあるが、これは今年の春の出来事である。

朝日高校での勤務2年目を迎えた今年の春は、心にほんの少しゆとりができ、桜の花が開花するのを待ち構えることができた。(右も左もわからなかった昨年の春は、この学校には100本近い桜の木があることにも気づけていなかった。)こちらがまだかまだかと待てば待つほど、つぼみが大きくなるばかりで花はなかなか咲かない。満を持して満開となったのは、ちょうど1年生が入学してくる前日だったのを覚えている。

今年もお花見には行けなかったが、咲き誇る満開の桜の写真を撮って九州にいる友人へ送った。

“桜は、実は咲く前が一番赤いって気付いてた? 咲いてからは簡単に散ってしまうけど、咲く前の桜は本当に強いね。”
と、メールで添えた。

知り合ったころから、自分に対して常に厳しく、どんな努力も惜しまない彼女は、私の自慢の親友である。ヨーロッパ6カ国を10日で周る弾丸旅行も、何百ページにもわたるレポート地獄も、ともに乗り越え、同じ英語の教員として異なる地で勤め始めた。教員1年目の冬、彼女は自分の目指す教師像と現在の自分との差に圧倒され、少しのあいだ教職を離れた。彼女が感じた苦悩や絶望は、私には計り知れない。自分との長い奮闘を越えて、彼女は新たな場所で再スタートをきった。それから何年目かの春を迎え、今年彼女に送った言葉には、「寒い冬に耐えたら花は咲くんだ…」という、私から彼女に対しての勝手な尊敬の気持ちと、ほんの少しの励ましの気持ちを込めた。
友人からの返事は、こうだった。

“咲くのが目的なのではなくて、咲いて散ってからまた咲くというサイクルが重要なのかもね。”
予想していなかった言葉にはっとさせられた。桜の花が咲いて散る、という一連の流れに、意味を見出そうとしているのは私たち自身である。花が咲くことで心は希望に満ち、散ってしまうことに対してはかない思いを抱く。桜にとっては、夏に葉を生い茂らせることも、秋にその葉を落とすことも生きていく中での重要な流れの一部である。咲くのがゴールではない、と言い切るその言葉に、彼女の新たな強さを見た。

とはいえ、来年の春、私は今年よりさらに強い思いを持って桜を見上げるだろう。寒風の中つぼみを付け始める枝々を見て、春を待つ3年生の姿を重ねることだろう。しかし、夏に太陽の光をしっかりと浴びて養分を蓄える期間や、冬の冷たい風や雪に耐える期間があってこそ、桜は春に必ずそこに咲くのだ。そう思うと、春に対して変に気負っていたような気持ちもどこかへ消え、春のことをもっと好きになれそうな気がしている。

「初5キロろーど」

秋山訓久

(初マラソンとか初ハーフマラソンとかの題名ならもっと格好良かったのですが、ここに執筆することを想定しておりませんでしたので、距離的に少々情けないタイトルとなってしまいました。ご容赦下さい。)

あれは確か昨年末、実業団の駅伝大会があった日、実況を見ながら評論家を気取って談話していたときのこと。学生の長女が「走れないお父さんがつべこべ言ってもどうしようもないわよ。」と言い放った言葉に、年甲斐もなく憤慨してしまったのが コトの発端でありました。

「バカいうな。ちょっと鍛えれば10㌔ぐらいはどうってことはない。若い頃走りに関してはなかなかのものだった。」「嘘でしょう。」「本当だ。」と感情的な応酬の後、「何なら勝負してみるか!」「あら、いいわよ。今度吉備路マラソンがあるから出場してみる?」と娘は即座に開催要項をもってきてみせ、「10㌔はないので、ハーフか5㌔のどっちにでる?」と詰め寄ってきた。あまりの急展開に動揺を隠す暇もなく、「まあ5㌔かなあ。」と返答してしまった。弱気を悟られないか心配だったが、心配する暇もなく、瞬く間にエントリーが完了した。

よく考えてみると、自分が運動していたのは何十年も前で、持久力というよりは瞬発性を必要とする競技であり、5㌔という距離を休憩することなく継続して走りきったコトなどは一度もない。しかも娘は、10㌔ロードやハーフを経験しているそこそこのランナーであることが、冷静になるにつれ、クリアになってきた。感情的に物事を処理しようとするとろくなコトにならない。これは宜しくない展開である。勝負は最初からついている。今後親としての威厳を少しでも保つには、どうすればよいか。てなコトが次々脳裏に浮かび、「なんとか完走し、頑張っている姿をみてもらうしかない。最近は下腹部も出てきたし、健康にもきっと良いはずである。」これが3日間考え抜いた私の結論であった。

次の休日から、トレーニングを開始した。2ヶ月しかない。頭で描くほど身体は動かず、最初は2~300㍍走ると歩かざるを得ないという悲惨な状況だった。

《 中 略 》

練習が十分積めている訳ではなかったが、継続して走れる距離は徐々に伸びていった。
最寄りのJR駅往復がざっと4㌔の行程であるが、大会1週間前になって始めて、なんとか歩くことなしに走り終えることができた。

大会当日。何事も初めてのことばかりなので少々緊張しながら会場に到着した。50分を超えると記録として公認されないらしい。それだけは避けたいと念じた。スタート直前は開き直りもあり、邪念もなく比較的静かに澄んだ心境だった。号砲後、不安と期待を胸に走り始めた。2㌔過ぎあたりの上り坂(心臓破りの丘というらしい)では大変きつかったが、ここで歩くと「完走」という目標が達成できなくなるし、再び走り始めるまで時間がかかると思い、何とか踏ん張った。歩いている人も少なからずいた。下りは膝に負担がかかったが、向かい風が比較的心地よかった。「マラソン大会に出場している」という高揚感が背中を押してくれた。コースを回って再び会場近くに戻って来るとき、大きな電光時計が見える場所があった。このペースで後少し頑張れば30分は切れると思い、ふらふらの足に喝を入れた。ゴールしたときの達成感はなかなかのものだった。最近のマラソンは結果がすぐ分かる。私の年齢層の組には約500人エントリーしていたが、196位の完走賞をいただいた。急造のランナーにしては上出来だと小さく胸を張った。

注目の親子対決は、大会2週間前に娘に就職活動が急遽入り、次回に持ち越しとなった。完走賞の記録を見せると「年の割にはなかなかの記録よ!」とありがたく評価していただいた。

「オリンピック」

白神充教

オリンピックが始まる。個人的にはサッカー壮行試合ですでに盛り上がっている状態で,本番が本当に待ち遠しい。ところで,ここ何回かドーピング疑惑で出場できなかったり,メダルを剥奪されたりすることが話題になる。数ヶ月前に,木村元彦著『争うは本意ならねど』を読んだ。(サッカー日本代表の長谷部誠も推薦しているそうだ。)

数年前Jリーグで起こったドーピング疑惑について,自らの手で無罪を証明した選手と彼を支えた人々の奮闘の実話が書かれていた。自分も当時このドーピング疑惑について話題になっていたことは知っていたが,結局どうなったか知らないままいつの間にか忘れていた。この本を読んで,自分が知りうる情報は一方向的なもので,真実が必ずしも表に出るとは限らず,結果多くの人々が真実と現実の狭間で苦悩していることを改めて実感した。また,信頼できる仲間や将来の選手のために自己を犠牲にしてまで協力した人たちの勇気と行動力に本当に感動した。そして,一人でも多くの人に,この問題を知ってもらいたいと思った。(朝日高校の図書館にもあります。)あとがきの次の文章がもっとも印象に残っている。

仁賀ドクターはある記者から「いずれにしてもこの事件はドクターたちにとってもドーピング規程を学べる良い機会になったのではないですか?」と言われて,「我々はこんな事件がなくてもドーピング規程は学べるし,何かを学んだとしてもそれがこの事件のおかげだとは絶対に言わない」と答えている。それは「戦争から学んだなどといったら戦争が必要になってしまう」と言ったオシムの,悪しき経験主義を排す考えに通じる。

読み終えた当時,一人の選手人生を大きく狂わせたにも関わらず正式に謝罪しないJリーグ幹部に怒りを感じていた。しかし,数ヶ月経った現在,権力(Jリーグ)側の立場ではどう考えていたのかも知りたくなった。弱者側に正義があるように,権力側にも正義があるはずである。お互いにより良くしたいという思いは同じなのに,結果はむしろ反対になることはよく起こり得る。

そんなことを想像しながらみる今回のオリンピックは,これまで以上に興味深いものになりそうだ。
(「そんなことを考えながらみたら,むしろ面白くない」と妻に言われた。)

~相談室の窓から~

5月に3年生を対象に「いじめ・悩みに関するアンケート」を実施しました。その結果から、はっきりと「いじめ」と言える問題で悩んでいる生徒はいないものの、集団の中に「からかい」や「悪ふざけ」等があり、不愉快に感じたり不満を持ったりする生徒はいることがわかりました。また、生徒たちの年頃の特性として、他者の目を気にして自己肯定感を持ちにくい傾向も見て取れました。(これは、数値による把握をはじめた平成18年度からほとんど変わらない毎年の傾向です。1,2年生は2学期にアンケートを実施し、結果は2学期末にお知らせします。)

われわれ、教職員は、一人一人の生徒が、学校生活の中で満足感や達成感を感じられるようにさまざまな場面で引き続き支援するとともに、「いじめ」をはじめとする問題行動が起こりにくい学校風土を維持していく努力を、さまざまな場面でしていく覚悟です。ご家庭でも何か気がかりなことがありましたら、些細なことであってもご遠慮なくお知らせください。連携を取り、改善していくことが大事であると考えています。(086-272-1271)