『相談課便り』第36号
『相談課便り』第36号
平成25年度最後の相談室便り。先生方からのメッセージです。
「日本一の景色」
松永 隆佑
松永といえばサッカー。と言われるほどサッカーに明け暮れている(体型はサッカーのそれではないが...)。幼稚園からサッカーを始め、現在に至るまでボールを蹴り続けている。ポジションはGK。背はないが、流れを読み次のプレーを予測し、でかい声で味方選手にコーチングをする。そんな選手だ。
高校までは比較的順調にサッカー人生を歩んできた。周りの背の大きいGKに負けまいと練習に明け暮れ、選抜チームにも肩を並べてきた。その自信から、大学に入っても自分はやれるという気持ちが私の中にはあった。しかし、そこは部員数160人、GKだけで20人を超え、私が所属した4年間で2度の全国制覇を成し遂げた(私は応援部隊)大学サッカーの強豪チームだった。在学中は一度も公式戦に出場することはなかった(準公式戦に1試合出場)が、競技委員として公式戦の記録を4年間トップチームに帯同して務めた。週末の競技委員としての仕事は、私にとって、スタジアムの熱気を感じ、仲間たちを近くで応援出来るとても濃い時間を過ごすことが出来る貴重な時間であった。
全国制覇へたどり着くまでは果てしない道のりだった。1年時には、全国屈指のタレントを揃えながらも、前年度に関西2部へと降格していた。そこから負けることの許されない一発勝負のトーナメントを勝ち上がり、見事に優勝。4年時には、戦力的にも全国クラスの選手は一人もおらず、まさしく雑草集団が掴み取った栄冠だった。関東の大学との接戦を競り勝っていく姿、勝利したときの興奮は今でも鮮明に脳裏に焼きついている。個人的には、自分の学年ということもあり4年時の全国制覇の方が嬉しかった。
私の中で、全国制覇をした際に大学サッカー部の監督の「日本一の立ち居振る舞いを」という言葉が印象に残っている。全国で一つのチームにしか与えられない称号と共に付いてくるものは責任である。責任とは一人ひとりの取り組みであったり、姿勢、言動だ。集団での評価は当たり前だが、集団の中における個について、自らの行動がそのまま集団の評価につながるのだと改めて気付かされた言葉だった。評価は自分でするものではない。他人に評価されて初めてその立ち居振る舞いが認められたと言っていいだろう。他人に認められるということは非常に難しいことである。
これら大学時代の経験があるからこそ今の自分があり、これからの自分を作っていく自信となるのだろうと思う。「日本一」の景色は良いものだ。もちろん、そんなに容易く観ることが出来ない景色ではある。様々な努力や運も必要となる。しかし、困難な壁に向かって挑戦し、乗り越えた先に、最高の達成感と共に最高の世界が目の前に広がっていることだろう。新年度でも、気分新たに高い目標を設定し、挑戦し、自らが思い描く最高の景色を味わってみたい。
「言葉の力、聴く力」
荒江 昌子
『点滴ポール 生き抜くという旗印』(岩崎 航(わたる) 著 ナナロク社 刊)という作品集(5行詩・エッセイ)を読んだ。以下に、高校生にも共感を持てるような詩を一部紹介したい。
きっかけは
何処にでも
転がっている
自分の心
一つで決まる
オタオタして
すぐ動揺して
弱っちい心だ
だからこそ
闘うことが美しい
言われている間は
人は本当には
立ち上がれない
チャンスは
自ら掴むもの
数えれば本当は
不安でいっぱいの
小春日和なら
自分を 勁(つよ)く
するしかない
強い自分も
弱い自分も
ない交ぜだからこそ
支え合うことが
素敵なんだ
何かにつけて
気にしすぎという
小心こそは敵であり
私を湿気(しけ)った
せんべいにする
この本の著者岩崎さんは、3歳で筋ジストロフィーを発症し、37歳の現在は人工呼吸器と経管食で、生活全てに介助を受けている。この本のタイトルも、「点滴ポールに/経管食/生き抜くと/いう/旗印」という詩句からとられている。作者のそんな背景を知らなくても、詩句からは大きな力が感じられる。ぎりぎりの所で生きている人が発する言葉だからなのだろう。
皆さんの中に、切実な苦しみの中に居る人はそれほど多くないかもしれないが、だとしても、悩みのただ中にいる人にとって、苦しいには違いない。そんなとき、苦しいことを、表現できること、そしてそのことで人と繋がることができることが、人を救う大きな力になるのだとつくづく思う。言葉(歌)の力だ。古今集仮名序で紀貫之が書いている通りだ。苦しさの中にいるときは、それを表現してみるといい。愚痴を友達や家族に聞いてもらうのもいいし、詩や歌句、文章にしてみるのもいい。
もう一つ、詩(表現)の力ということの他に、この作品集の中で触れておきたいものがある。次の詩だ。
自分の力で
手に取って
新聞を読む
最後まで
無関心でいたくない
障がい者は戦争のない
平和の中でのみ
生きていける
だからこそ平和を担う
世界市民となれるはず
*「障害」ではなく「障がい(碍)」の字の違いに注意してください。
寝たきりで外出がままならない著者は、健常者にくらべると、社会との繋がりが少ないと思われがちだ。しかし、彼は「自分の力で/手に取って/新聞を読む」のだ。あなたは社会に対して「無関心でいたくない」と思っているだろうか。自分の平安のことしか頭にない、ということはないだろうか。障碍者だからこそ「平和を担う/世界市民となれる」という発想の見事さ。大きな可能性をもつ皆さんには、是非この声を聴く力を持って成長していってほしい。
「今思うこと」
大西 秀規
私事ですが、朝日高校に転勤してきて約2年が経とうとしています。最初の年は、教師1年目のときと同じで、何か不安に包まれており、しかし何もが新鮮に感じられる日々でした。いろいろうまくいかないこともたくさんありましたが、生徒や先生方と接する中で、学ぶことの方が多かったように思います。朝日祭などでは人と協力して行うことのよさ、勉強ではあきらめずにできるまでやる姿勢、など生徒の姿から学ぶことがたくさんありました。3年目になるにあたって、新鮮さを忘れず日々やっていきたいと思います。
次に、朝日1年目に自分なりに衝撃を受けたことを書きます。それは、1年の夏の総合学習の文理選択を考えるためのプリントに書いてあったことです。「夢を語ろう」というタイトルで、「現在の世界・日本はさまざまな問題を抱えている。そして、将来に向けてなすべき課題も多くある。そのなかで、自分自身で学び解決していきたいことは何か。そう考える理由も含めて書きなさい。」という内容でした。将来何になりたいか、大学に進学して何を学びたいか、だけの指導に何十年もなっていた自分には、新鮮でした。世界的視野に立ち、人や社会のために自分が何をしたいか、自分は何をすべきかを高校1年生に問うというスケールの大きなものでした。15、16歳の年齢で世の中のことをすべて分かっているわけではないが、心や頭の柔らかいうちに世の中のためになるような「志を持て!」という強いメッセージを感じました。プリントはさらに次のような内容が続きます。「夢を現実にするには、具体的に何を学べばよいか、どこに行けばよいか、最後に、その夢に向かって、高校生活をどのように過ごそうと思うか。自分を見つめつつ、新しい自分の姿を大いに語ってみなさい。」勉強は大変であり、時に苦しいことは誰もが分かっている。でも、どうせ勉強するなら本気で、本気でやるなら大きな志や夢を持って、という姿勢がすばらしいと思います。そういう姿勢をぜひ身につけたいと思います。4月からの新しい学年を迎えるにあたって、今一度、自分の本気度を確認してみるのも良いのではないでしょうか?
とりとめもない感じですが、次に、私の少ない趣味の中から囲碁の話を書きます。囲碁は19×19の盤面上に白石と黒石でお互い陣地を作り、その大きさを競うものです。できるだけ自分の陣地を広げたいので、大きく打っていると間を抜けられて陣地を破られたり、自分の陣地の中に陣地を作られたりします。かといって、陣地を守ることばかりに意識を集中してしまうと、ひたすら攻められて、相手の手を受けてばかりの後手にまわってしまい、それなりに陣地は作れるが相手はさらに大きな陣地を作る。守りすぎてもうまくいかず攻めすぎても良くない。相手にどのように陣地を与えるかも考えながら、自分の陣地を作るなど、時として譲る気持ちも必要となる。また、1手で大きく局面が変わることも多く、臨機応変に打つこと、相手の心理をとらえること、全体を見る力も必要になります。機会があったらぜひ囲碁に触れてみてください。
「感情のボタン」
福田 遥
合唱部として中国大会に出場し、金賞を勝ち取ったものの全国への切符は得られないいわゆる「ダメ金」の結果をかみしめながら、高校生の私は使い古したこの言葉をもう一度心の中で繰り返す。
―――そこに向かっていく過程にしか、のちに自分を成長させる糧は存在しない。
誰の名言だったのかは覚えていないが、それまでの練習中に何度も言い聞かせていた。勉強との板挟みに耐えきれず、練習室を飛び出したこともあった。この言葉は私にとって、結果はどうでもいい、過程が大事だ、と慰めてくれる優しいものではなかった。「そこ」を疑いながら、自分のいる道に自信を持てずに進む私を、どうにか踏ん張り続けさせる厳しい言葉だ。
それから10年後、英作文の添削に追われ少し朦朧とした頭で、およそ80人を目の前にして、私は同じ言葉を叫ぶことになる。パラパラと拍手がおき、楠友館2階での最後の話を終えた。1年間自分と闘い続け、さらなる戦いへ向かおうとしていた補習科生たちにとって、私の中で大事に温めてきたこの言葉は、どのように聞こえただろうか。
この10年間で私は、そんな名言を生み出せるほど成長したわけではないが、ただ、その「過程」には数えきれないほどの感情のボタンが埋まっている、と考えるようになった。人生で押せるボタンの数は人それぞれで、押すも押さないも自分次第。5~6個かもしれないし、100個、200個かもしれない。補習科生が戦いを終え巣立っていくのを見送りながらもう一度考える。近くで伴走していたつもりなのに、私には想像できないほどのボタンを味わった彼ら。自分には、これからいくつのボタンが押せるのだろうか。
舗装された道で、自分の手の届くところを目指し、自分の想像できるところまで頑張る人生も、幸せだと思う。自分がかけた時間や労力は必ずしも結果に比例しない。どんなに努力しても、自分が描いたゴールまで行き着かないこともあれば、自分がやっとの思いで手に入れた結果が、たまたま運よくそれをモノにできた人と同じ‥なんてこともよくあるのだ。
自分にとって未知の脇道や険しい道は、ぬかるんでいて、ゴツゴツしていて、つまずいて、転んで、悔しい。痛い。今年感じる不安は、去年のものとは違う。経験があるから怖くなる。寂しい。不安だ。自分の歩く道が正しいのか、自分がどこまで行けるのか迷い、立ち止まる。もっと楽な道があったのではないか。この先に得られるものは果たしてあるのだろうか。
だがそんな手探りで進む過程は、同じボタンを順番に何回も押し続けて、麻痺してしまうような日々ではない。おそらく行き着いたゴールにはそれほどたくさんのボタンは無く、そうしたでこぼこの道の中に、1年前には気付かなかったような多くのボタンがあったのだと思う。結果だけ手に入る人生があっても、尊敬する彼らは、それを選ばないのだと思う。
彼らに負けず、できるだけたくさんのボタンを押したい。そのボタンが存在する、平坦ではない凸凹の道を、選んで生きたい。3年前、私をこの高校に迎えてくれた彼らを、嬉しさと寂しさでごちゃまぜの思いで見送りながら、自分の中にある新たなボタンに気付く。
「希望とは自分が変わること」
坂本 憲治
今となっては理由がなんとなく分かるのだけれど、高校時代は訳も分からず時間があると本を読んでいた。本を読む時間も豊富にあった。無論ごく当たり前に授業を受け、放課後は部活という高校生活の基本は守っていた。平日は現在と同じだが、土曜日も授業がある時代であったから、土曜日も午前中は授業、午後から部活、5時頃下校、日曜日が休み(部活も)という一週間であった。塾にも通っていなかった(塾に行っている人のほうが少ない時代であった)し、課題もそんなに沢山はなかった(と自分では思っているのだが、本当は結構あったのに忘れたか、やる気がなかったか?)ので、自分で好きに使える時間が豊富だったような気もする。読書とは手段的行為であって合目的的行為ではないという意見がある。確かにそう思える。読書自体は全く生産性がない。言ってみれば時間潰しのようにも見える。その点では、テレビやゲームとあまり代わりがない。違いがあるとすれば本を読むということは、何かを知りたい時に行われる。主に知識を必要とするときである。 このときの目的は知りたい何かを知るということで、本を読むこと自体が目的ではないにもかかわらず、読むという行為の後にしかその成果は得られない。ではその知識は何のために必要か。この何のためによって読む本の種類が決まることになる。その点から考えると、高校時代の自分の本の種類は方向性が定まっていない。挙げれば切りがないくらい本当に全方位であった。つまり世の中のすべてのことを知りたかった(勿論冷静に考えればそんなことが出来るわけがない)ということだろう。
では、何のために世の中すべての事が知りたかったのだろうか。今となっては霧の彼方であるが、きっと今(高校時代)の自分に何か不満が有ったのかもしれない。自分を変えたくて仕方がなかったのだろうと思う。今の自分が知らないことを知ることにより違う自分になれると信じていたのだろう。いまだに時間があれば本を読んでいる。今の自分に不満が有るのだろうか。幸せな毎日を送っていると自分では思っているのだが。
さて、標題「希望とは自分が変わること」である。何のことはない、これは今読んでいる養老孟司の文庫本の題名なのです。