『相談課便り』第56号
『相談課便り』第56号
戦うということ -ユージン・スミスを通して-
中野 正勝
相談室だより」にふさわしいテーマとは言えないかもしれません。しかし、ある問題や事象に対し戦うことは、抑圧したり・遠慮したり・忖度することよりも、ずっと精神衛生上よいことのように思われます。様々な集団、いわんや社会全体にとっても。昨今は、特にそう感じます。
アメリカの写真家・故ユージン・スミス氏(1918-1978)はこう言っています。
「-信念、トライ、カメラ、そしてフィルム、私の良心の壊れやすい武器たち、
これらを武器に私は戦った」(W.ユージン・スミス)
3年生の担当クラスでは、彼の写真集を授業中回わしたりしましたが、朝日高校図書館には彼の主要な写真集や書籍がそろっています。よく知らなかった人も、是非一度手にとって欲しいものです。「太平洋戦争」の戦場写真、「カントリー・ドクター」の田舎医師が病人に対して奮闘する写真、「助産師モード」では黒人女性が真摯に仕事と向き合う写真、より多く引用されているチャップリン、シュバイツァー、ボブ・ディランらのポートレート、何よりも水俣病の現実や悲惨さを訴え表現した写真の数々・・・。その時配布したプリントには載せましたが、アメリカ人の彼と妻のアイリーンさんは、1970年代前半の水俣病が大きな社会問題となる危機的時期、現地の漁村に3年間漁民とともに暮らしていました。ある時には企業のチッソ側に殴られ、片目を失明しながら、それでも患者・工場・海の写真を撮り続けていました。その時の気持ちは、「水俣で写真をとる理由」という文章の中にあります。
「写真はせいぜい小さな声にすぎないが、ときたま-ほんのときたま-一枚の写真、あるいは、ひと組の写真がわれわれの意識を呼び覚ますことができる。 写真を見る人間によるところが大きいが、ときには写真が、思考への触媒となるのに充分な感情を呼び起こすことができる。われわれのうちにあるもの-たぶん少なからぬもの-は影響を受け、道理に心をかたむけ、誤りを正す方法を見つけるだろう。そして、ひとつの病いの治癒の探究に必要な献身へと奮い立つことさえあるだろう。そうでないものも、たぶん、われわれ自身の生活からは遠い存在である人びとをずっとよく理解し、共感するだろう。写真は小さな声だ。私の生活の重要な声である。それが唯一というわけではないが、私は写真を信じている。もし、充分に熟成されていれば、写真はときには物を言う。それが私-そしてアイリーン-が水俣で写真をとる理由である。」
彼はどんな対象に対しても、一枚の写真を撮るまでに調査や下調べをもの凄く行っていた。彼自身の主張、職業的な倫理観や人間性を基準にして、とにかく毎日現場で日々カメラを手に戦っていた。
個人の病も社会の病も、彼が言うように「ひとつの病いの治癒の探究に必要な献身へと奮い立つこと」、そしてそこで「戦う」ことが、ピアサポーターでも、カウンセラーでも、保護者でも、もちろん生徒達自身でも大切なことだと思う。S.フロイトが指摘したように、「昇華」させるような取り組みや工夫が常に求められている。戦って真実を見極めてゆくと、改善すべき事柄は身の回りにあふれているように思われる。写真のように、静かに相手を説得する形は、その中の一つであり、ほんのささやかかもしれないが、重要なトライだと思われる。みなさんはそれぞれ、どんなトライをしてゆきますか。それは、社会全体や自分自身、他の人たちを変えてゆくことになるかも知れません。
保健室の窓から~自分を生きる~
髙岡 麻衣
高校生時期は、揺れ動く思春期であり、そして卒業後の未来に向かって進路選択をしなければならない悩み多き時期でもあるため、必然的に自己と向き合う作業をしなくてはならず、苦しいことも多いと思う。
保健室に来室する生徒、特に頻回に来室する生徒には、身体的な不調の背景に、学業・家庭・友人等の人間関係・進路など様々な心因的な要因がある場合も多いが、話を聞いていると、特に進路選択において「それは自分で決めたこと?自分の気持ち?」と疑問に思う場面も多い。人は当然一人で生きているわけではないので、進路選択においては特に家族の思いとのせめぎ合いや、いろいろなしがらみもあるかと思う。ただ、自分の人生をこれからも生きていくのは他の誰でもない自分だけなのだということは、心に留めておいて欲しいなと思っている。自分で考えて自分で納得して決めた道でなければ、その道はとても苦しいものになるだろう。(そういう私も、自分の人生、自己についてはまだまだ悩むことだらけだし、我が子に関しては「こうあってほしい」という思いが強くいろいろ口出ししては自立の芽をつんでしまっているなと反省する日々なのだが。)
自主自律の校風を掲げる朝日高校での生活では、自分次第という側面が強くあらわれている。自分の考えや行動に責任を持つことは、高校生という大人になる過程の時期において重要なことだ。自分の置かれた状況を、誰かや何かのせいにせず、どんなことでもいいから何か自分なりの目標をかかげ、それに向かって他の誰でもない「自分自身」を生きていってほしい。3月2日・・・様々な表情でこの学校を巣立っていく卒業生の背中を見ながら、苦しくて泣いていた保健室でのあの子の背中を思い出しながら・・・そんなことを思っていた。
雨の冷たさと人の温かさ
竹内 梨子
西日本各地で発生した豪雨災害により、お亡くなりになられた方に謹んでお悔やみを申し上げるとともに被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。被災地域の一刻も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
平成30年7月6日。今まで経験したことのない量の雨が降り続く。。。
私は5歳の時に母の実家がある真備町に家族4人で移り住んだ。田山に囲まれ、星が綺麗で、夏になるとカエルの唄が鳴りやまない自然豊かな真備町が大好きだった。最近ではスーパーや飲食店、24時間営業の店、病院等、充実した施設があり、その住みやすさから人口も増え、活気に溢れていた。そんな真備町を今年の夏、豪雨が襲った。
私と母は6日の夜、大切なものも何も二階へ持って上がれないまま、家にあった食料と飲料と仕事着を袋に詰め込み、私の車で隣の家の老夫婦と一緒に避難所に行った。父はそのまま家に残った。祖父母にも電話したが犬がいるので家に残っておくと返答が来た。
私の通った小学校は避難場所指定がされておらず、隣の小学校に行こうとしたが渋滞で車が動かない。Uターンして薗小学校に向かった。そして、小学校に到着した時ちょうどプラスチック工場の爆発が起こった。ものすごい爆音と体育館の補強が見たことないようにうねった。「終わった」と思った。
避難所では無我夢中で毛布を配り、段ボールに入った水を次々と校舎内へ運び込む。トイレの案内、食料配布。家が浸水したと情報が入り泣き崩れる人々。寝る暇もなく気づくと20時間が経っていた。そんなとき叔母が「とりあえずうちの家に避難しておいで」と電話をくれた。7日の15時以降急に父と連絡がとれなくなっていたので父を置いて真備を出ることに抵抗はあったがそれ以上にとにかく避難所を出たいと思った。その日の夕方、祖父母はボランティアの方に救助され、父は23時頃、自衛隊に救助された。金曜日の夜にはこんなことになるとは思っていなかった。
テレビを見て絶望を感じた。今まで住んでいた町が泥水に埋まっていた。
月曜日やっと水が引き家に戻れた。悪臭とぐちゃぐちゃになった家に涙も出なかった。その日は食欲も出なかった。食べられない自分に涙がでる。昼過ぎに体育の先生方が全員駆けつけて下さり、一気に家の中が片付いた。片付けようにも片付けられずにいた私達家族に救世主が現れた感じだった。片付いた家を見て涙が出る。そこから何日片付けに通っただろうか。。。
体育の先生方も何日も来て下さり、壁や床まで剥いでくれた。服もぬいぐるみも洗ってくれた。父の職場の方が片付けに来てくれる。母の職場の方がドロドロの写真を整理してくれる。弟の野球仲間が力仕事をしてくれる。約一ヶ月もの間、入れ替わり立ち替わり沢山の人に助けられた。実家と祖父母の家と隣の家、あっという間に三軒片付いた。
大学の友達から食料や日用品が送られてくる。家電も貰った。愛媛から車で洗濯機と冷蔵庫を持ってきてくれた。こんな時はご飯が大事!と新品の炊飯器をくれた。西原先生から食器を村井先生から服を頂いた。昔習い事をしていた時の先生が作業していた時に梅ドリンクをくれた。神戸の先生から水が届いた。沢山の愛を貰った。
久しぶりに学校に来たとき、沢山の生徒に励まされた。生徒の顔を見るだけで元気が出る。まだまだ頑張ろう!そう思えた。
多くの方に支えられ、私は前に進む。この経験を絶対に忘れない。冷たい雨も、支えて下さった沢山の人の温かさも、家族で支え合ったあの日々も。
ピアサポート活動報告
今年も保健委員を中心にピアサポート活動をし、のべ90人の人達が活動に取り組んでくれました。1年間の活動を終えての感想を書いてもらいましたので、そのほんの一部を紹介します。
ピアサポートってなんだろう?知らない人と一緒に話し合ったり活動したりするのって面倒だな・・・。初めはそんな風に思っていたが、トレーニングを通じて、人間関係の難しさとともに、他人と話すことの大切さを学ぶことができたと思う。相手の話の聴き方によってその人に対する印象が変わったり、対立を解決するためにお互いの意思を尊重して合意を目指すなど、今後の生活で役立つことを学べた。インターネットやSNSのために、人と人が顔と顔を合わす機会が減り、またSNS上のいじめなどが増えていると言われている。このような問題がある現代だからこそ、人と人のつながりが大切になってくると思う。ピアサポートはその手助けになってくれると思う。(1年生女子)
私は2年間活動に参加しました。1年生のときも2年生のときも活動が終わった時には先輩、後輩関係なく、話しやすい雰囲気になっているようなとても良い活動ができていて、充実した時間が過ごせました。またこの活動で学んだことは普段の生活に生かせることが多かったと思います。私自身、「話の聴き方」を学べたことが最も貴重な体験でした。友達から相談を受けた時など、相手の目を見たり、距離感を大切にしたり、マイナス言葉をプラス言葉に置き換えて伝えたりすることで、相手も話しやすくなり、落ち着いて話すことができました。今後も様々な場面でこの活動を通して学んだことを生かしていきたいと思います。(2年生女子)
相談されることがあっても、多くを言い過ぎて相手を逆に不安にさせたり、ただ聞くことしかできず、それで良かったのか心配になることが多かった。そんな中ピアサポート活動に参加し、様々な活動や臨床心理士の方のお話を聞くなかで、様々な知識を得ることができた。ただ、すぐにうまく相談を受けられるわけではなく、トレーニング後も友達から相談を受けた時、あまりにも後ろ向きな姿に自分自身も気持ちが重くなって、その焦りからか、言葉をぶつけて不安をかき立ててしまった感じがした。やはり相談を受けることと、誰かを元気にすることは容易にできることではないと感じ、もっと成長しなければと感じた。一方でそれほど深刻ではない相談に対しては、断片的にではあるが、トレーニングで学んだことを思い出し、やってみるとうまくいったこともあった。少しずつでも成長できていると思うので、しっかり周りに気を配って学んだことを生かせるようにしたい。(2年生男子)
長くサポート活動をするために、また周りの人をうまくサポートするためには理論を学び、実践することが大切だと考え、トレーニングを行っていますが、本校には仲間を思いやる「隠れサポーター」もたくさんいます。教室移動の時、教室で最後になってしまった人に、「おーい、行くぞ」と声をかけたり、さりげなく近くに座ってお弁当を食べたり、プリントを後の人に回す時ににっこりとしてみたり。なんでもないように見えて、でもそれでふっと心が軽くなる人もいるのです。4月には希望と不安が入り混ざった新しい仲間が加わります。来年度も多くのピアサポーターとたくさんの「隠れサポーター」が育ってくれるのを願っています。