『相談課便り』第34号

「リラクセーションとイメージトレーニング」

内田 康晴

10年以上前のことだが、勤務していた高校で行われた「リラクセーションとイメージトレーニング」という研修会に参加したことがある。リラクセーションというのは、ストレスから心と体を解き放つためのもので、ゆったりと安定した座り方に、ゆっくりとした腹式呼吸のしかたの丁寧な指導を受け、静かで落ち着いた雰囲気の部屋で実際にそれをやってみるというものだった。また、イメージトレーニングというのは、自分の力を100%発揮するためのもので、リラクセーションの後、楽な姿勢で目を閉じたまま、自分の最高のパフォーマンスをイメージしてみるといったものであった。この講習会自体の中では、まあ久しぶりにゆっくりとして、気持ちを落ち着かせることが出来たかなあと何となく感じた程度であった。だが、私はその後、この「リラクセーションとイメージトレーニング」の威力を思い知ることになった。

その日の夜、たまたま、同僚たちとの親睦ボウリング大会が企画されていた。わたしは、ボウリングというのは滅多にやらず、スコアも70点かせいぜい90点くらいでしかなかった。ボウリングというのは、私よりさらに上の世代の人たちが若者だった頃最初のブームが起こっており、先輩の先生たちのレベルは高く、200点近く出す人はざらにいた。そんな中で、好成績は望むべくもなかったのだが、この日ふと思いついて、昼間やったリラクセーションとイメージトレーニングをやってみようという気になった。ボウリング場のベンチに腰掛けて、静かに目を閉じ、その日教わった腹式呼吸を、ゆっくりと実行してみた。ゆったりとリラックスした後、ボールを手に取ったのである。

すると、どうしたことか、いつもと違って投球は常にねらい通り転がり、スペアとストライクの連続であった。外すことの多い1番ピンに確実に当たり、ぱたぱたと全部倒れてストライクになったり、2、3本残っても確実にスペアをとることが出来た。かつて経験したことのないペースで得点は増加してゆき、ついに、最後のフレームで、パンチアウト(最後に3回連続ストライクが出ること)すると、200点の大台に乗るという状況になってしまった。だが、もともとスペアもおぼつかないものが、3回連続ストライクなどとうてい不可能と思われた。まして、「ボウリングで200点出すなど生涯これが唯一のチャンスに違いない。何とかこのチャンスを活かしたい。」などと考えて余分なプレッシャーを自分にかけては、失敗は目に見えていた。しかし、ここで私は、もう一度、リラクセーションとイメージトレーニングを行ってみた。腹式呼吸で体の余分な力を抜き、静かに目を閉じて一番いい投球をする自分を思い浮かべた。そして、おもむろに、投球に入った。ストライク。もう一球。これもストライク。そして最後の一球。ストライク。何と200点を達成してしまった。夢のような好スコアである。私は、大変うれしかった。しかし、このとき同時に私は勘違いをした。「俺は、実はボウリングがうまかったのだ。」そう思った。浮かれた私は、無性にボウリングがやりたくなり、次の週末友人を無理に誘ってボウリングに行った。「俺の腕を見せてやるよ。」リラクセーションなどすっかり忘れ、さあ、200点出してやるぞ!と勇んで投球した。ところが、おかしい。この前と違って、ボールは全く思うように転がらない。ストライクはおろかスペアも全くとれない。こんなはずじゃないと頑張ろうとするのだが、ますます余計な力が入って、ボールは右に左にぶれまくる。結果は惨憺たるもので、70点台や90点台の連続。最低の出来、いや本来の出来に、すっかり戻ってしまっていた。

このどたばたで私は、あの200点が、残念ながら「実は私がボウリングがうまい」ことを示すのではなく、「リラクセーションとイメージトレーニング」が、いかに絶大な効果を示すことがあるかを証明するものであると思い知った。このことに限らず、過去の成功体験というものが、その後の自信になってよい作用をしてくれる一方で、ときに自分を縛るものになってしまうことはよくある。さらに、うまくいかないところを、こんなはずじゃないとあせると、ますます深みにはまってしまうものである。そんなとき、腹式呼吸などによるリラクセーションは、確かに本来の自分を取り戻させてくれる効果があるようである。そもそも人間は、生まれたばかりの赤ちゃんの頃は、腹式呼吸が得意で自然と深い安らぎを感じているのだそうだ。ところが、その後成長するにつれて様々なストレスにさらされるうち、それをすっかり忘れてしまうのだそうである。 

ボウリング200点事件以後も私は、事に当たり時々思い出したようにこの種のリラクセーションを実行し、その効果の恩恵を受ける経験をしている。そして、いつの間にか勘違いした妙な自信を持って痛い目に遭うこともまた懲りずに繰り返している。

参考文献:学校で使える5つのリラクセーション技法 藤原忠雄著 ほんの森出版 2006

「凡事徹底」

永田 宏子

みなさんは、「イエローハット」という会社を知っていますか? 岡山にも数店舗ありますが、カー用品の店ですからみなさんには馴染みが薄いかもしれませんね。「凡事徹底」とは、この会社を一代で起業し東証一部上場の会社に育て上げた鍵山秀三郎氏の言葉です。

はじめてこの言葉を耳にしたのは昨年のことでした。今ではもうその時のことは思い出せないのですが、「聞いたことのない四字熟語だなあ。でも、いい言葉だな」と思ったに過ぎませんでした。ところが、3月にあったキャリア教育講演会で私が担当した加藤聡税理士のお話の中に、またこの言葉が出てきたのです。それで気になって調べてみたところ、これがイエローハットの鍵山氏の言葉だとわかりました。

早速、著書『凡事徹底』を購入してみました。本の帯には「微差の積み重ねが絶対差となる!」とあります。「ん?これは受験参考書か?」と一瞬思いましたが、表紙の絵はピカピカのトイレ。「何だろう?」と思ってページをめくりました。

読み始めてしばらく、「この人は自己評価が低いなあ」と何度も思いました。それは本文中に「私はもともとが愚鈍で、何の才能もなく、背景もなかった」「私は東京に出てきましたが、お金もないし、何もない」と自分を過小評価した表現がしばしば出てくるからです。しかし鍵山氏はそこでうつむくのではなく、「そんな自分に何ができるか」と考えました。そして取り組んだのが「平凡なことを非凡に努める」ということでした。

鍵山氏はその実践の一つとして、掃除をおこなっています。鍵山氏自身が社長時代に毎朝6時に出社して、会社から駅の方に向かって掃除をしていたそうです(現在は退職)。創業したばかりの零細企業のころから、一人で黙々とはじめました。当初はきれいにしなければと思うような施設ではなかったそうですが、汚いものを汚いままにしておいたら心がすさむと考えたのです。社員に強制したわけではなかったのですが、だんだんと鍵山氏といっしょに掃除をする社員が増えていきました。

鍵山氏が最も力を入れたのはトイレ掃除です。たわしと少しの洗剤を使って素手でトイレ掃除をしていきます。これを来る日も来る日も徹底して行いました。零細企業時代、社員は外へ仕事に出ると、それは屈辱的な思いをして帰ってくる。辛い思いをして帰ってきた社員が汚いトイレを見たら、もっと怒りがこみ上げてくる。社員にそんな思いをさせたくない、と思ったそうです。鍵山氏は「少々お金を犠牲にしようが何をしようが、心のすさまない会社にしようと思って今日までやってきました。」と言います。そして、「いい社風がいい仕事をつくる」とも。今やイエローハットは売上高800億円を超す大企業になりました。

「すさんだ心の集団、会社ほど悲惨なものはありません。いくら経常利益を上げて、新聞紙上でどれだけもてはやされても、私はそんな会社は決していい会社だとは思いません。それよりも、郵便を届けてくださる方、出前を持ってくる人、商品を届けに来る人、運送会社の運転手さんといった人に思いやりがもてるような会社でありたいと思います。」

鍵山氏の言葉にはハッとさせられるものがあります。脱ぎ散らかされたスリッパをそろえるとか、洗面台に落ちた髪の毛を拾うとか、自転車をまっすぐに止めるとか、日常の簡単なことや単純なことを私たちは黙々とやれているでしょうか。その小さな積み重ねがやがて大きな差となり、人を喜ばせようと思う気持ちが他の人からの信頼を生んでいくのだと「凡事徹底」の4字は教えてくれます。

鍵山氏に興味を持った人は、本校図書館の蔵書にありますので、ぜひ『凡事徹底』を読んでみてください。(大人の方にも、いえ、大人の方にこそおすすめです。)

「後悔のない選択を」

石賀 成典

朝日高校に勤務をして早4ヶ月が経とうとしている。朝日高校で生活していると、なぜか自分の高校時代をしばしば思い出す。おそらく、授業・宿題・部活などに忙しく生活している生徒を見ていると、高校生活の自分と重なるからだと思う。

私は中学校からバスケットボールをしていた。中学校では仲間に恵まれたこともあり、県大会で優勝するなど充実した部活動をおくっていた。もちろん、高校でもバスケットボールを続けるつもりで、部活と勉強ができる高校に進学した。

高校では、大学進学を目標に授業が進み、やはり日々の課題はたくさんあり、大変な毎日を送っていた。そのような中でも部活動がすべての活力になり、毎日バスケットボールに打ち込んでいた。あのころはまだ隔週で土曜日に授業があり、土日どちらも部活が当たり前だった。1年間で休みはお盆と正月ぐらいだった。勉強との両立(できていたかはわからないが)は本当にきつかったが、いい環境の中、いい仲間とともに切磋琢磨し練習に明け暮れていた。まさに青春だった。

しかし、高校生活でもっとも後悔したことはその部活動である。高校2年生の冬休み、部活動に行かなかった時期がある。中学からよい結果がついてきていたことで、腕に自信を持っていた。試合に出たいという強い気持ちと、自分こそが試合に出られる選手だという自意識過剰な部分があった。しかし、思い通りには試合に出られないことが続いた。「なんで自分を使わないのか。」「なんであいつが先に試合に出られるのか。」あせりや不安から、戦術を批判してみたり、今までのように気持ちのこもった練習ができなかったりした。そのような日々が続き、ついに練習に行かなくなった。練習に行かなかった時期は、何をしたか記憶に残っていないくらいの無意味な毎日を送っていた。もちろん勉強に打ち込んだわけではない。その後、監督と話をして練習に戻ることができたが、自分の決断や練習に行かなかった期間が埋まることはなく、どこかに違和感をもって部活を続けた。

今、本当に後悔している。なぜ、あの場面で「練習に行かない」という選択肢を選んだのか。辛く、焦る気持ちはあったとしても我慢しながら次のチャンスを待てなかったのか。

高校生活は辛いこと、苦しいことの連続だと思う。自分の思う通りに行かない(思い通りの結果が得られない)ことも多々ある。今やっていることが本当に正しいかどうかは、そのときには分からない。不安な中で一生懸命続けていくと、過去を振り返ったときに努力したことが正解だったと気づけるはずである。自分の高校生の経験で1つ言えることは、「やめる・逃げる」という選択を簡単にした先には後悔が待っている。なにか試練にぶつかったときは、簡単にその場から逃げ出さない人間でありたい。

「友人U」

大世戸麻衣

友人U。彼女とは高校で出会い、同じ大学へ進み、そして現在は同じ養護教諭の職についている。かれこれ付き合いは10年弱になるが、私にとって彼女は高校時代から良き友人であり、そしてライバルでもあった。

振り返ってみれば、いつも私の一歩前を歩いている彼女の背中を私は常に必死で追い続けていたような気がする。大学入試、AO入試で合格した彼女に遅れること1ヶ月、一般入試でなんとか合格。入学後うらじゃサークルに入ったが、理由は「彼女が入るから」。彼ができるタイミングもなぜかいつも彼女の少し後に私だった。そして教員採用試験も、現役で合格した彼女に遅れること1年、やっとの思いで合格できた。そして今でも彼女は私の前を行く存在だ。

学生時代、彼女とは電車の行き帰りも一緒、授業も一緒、サークルも一緒…私はどこへ行くのも常に彼女と一緒で、周りから「二人いつも一緒だね」と言われるほどに、完全に「金魚のフン」状態だった。どうしてこんなにも彼女と一緒にいるのかと言えば、もちろん気が合い、笑いのツボが似ていて一緒にいて楽しいということはもちろんなのだが、似ているようで個人としては全く似ていない私たちは、自分にないものを持っているもの同士、違う考え方や価値観に触れ刺激を得たり発見することが多かったように思う。だからこそ私は彼女を尊敬し、憧れていた。

まず第一に、彼女には行動力がある。あれこれ心配して考えてから動く私と違い、思い立ったことはなんでもすぐにやってみせるパワーとエネルギーを持ち、彼女はいつも輝いていた。そして、いつでもポジティブな発想を持つ。マイナスな出来事もプラスに転換して自分の力にしてしまう。たとえば、私が「テスト全然時間なくてできなかった」と言うと、「それだけ考えられる力がついているんだ」と。「へぇ~そんなふうに考えるのか!」といつも目からウロコ。そんな彼女といると、いつの間にか元気が出て前向きな気持ちになっている自分に気付く。さらに、自分の意見をしっかり持ち、芯がぶれない。私はあまり「自分で考える」ということをせずに過ごしてきた。人が言っていることに「そうしよう」とのっかることがほとんどだったため、いざ自分の意見を問われたり自分で行動するとなると戸惑う。(朝日高校の「自主自律」という校風、これは本当に大切。今になって自分で考え自分で行動することの積み重ねが大事であると痛感する。)一方彼女はいつでも「自分ならこうする」という意見をもち、自分自身に筋が通っていた。最後に、苦手なことにこそ挑んでいく姿勢。苦手で避けたいことにこそ果敢に挑戦していき、失敗することがあっても失敗すら自分の糧にしてまた挑む。そうすることで自分自身を成長させていく彼女の成長はめざましかった。

彼女と一緒に過ごした学生時代、様々な試練を共に乗り越える中で彼女の良いところをたくさん知り様々なことを学ばせてもらった。自分と違った価値観の人に出会うことで大きな刺激を受けた。今思うと彼女がいなければ私の人生はまったく違った人生になっていたであろうと感じる。今年の3月、彼女から来た誕生日メールにはこう書いてあった。「麻衣ちゃんは私にないところをたくさん持っているから良い刺激もらっています。もし高1のとき麻衣ちゃんと出会っていなかったら私の人生はまったく違うものになってただろうと影響の大きさを実感してる。」彼女がそんなふうに思っていてくれたとは知らなかったが、違いを認め合い、敬意を払い、お互いに切磋琢磨しながら、刺激を受け高めあっていける友人に出会えたことは私の人生の宝だと思う。朝日高校にも様々な人がいる。それぞれの人にとっての「友人U」はきっと身近にいるだろう。

同じ県内に勤めてはいるが、毎日一緒にいた学生時代とは違い、会う回数はめっきり減った。それでも月1回くらいは会い、お互いのことを話している。特に仕事の話をしているときの彼女の話には、本当に感心する。他の人では考え付かない視点を持ち、向上心に溢れている。教員としてのスタートラインは同じなはずなのに(私は1年講師時代があるが)、気づけばどんどん前を進んでいるような気がする。考えてみれば、これまでずっと彼女に導かれるようにして歩んできた人生だった。実は私の人生はそういうふうになっているのではないかとすら思い、次はひそかに彼女の結婚報告を心待ちにしている。彼女には一生かなわないと思うが、少しでも近づきたい思いは常にある。これからも背中を追い続けていきたい大切な友人。そんな友人に恵まれたことに感謝しながら、足元に置いていかれないように自分自身を成長させていきたいと思う。

「野菜あれこれ」

高祖 幸男

毎年、ホームセンターで夏野菜の苗を買ってきては、プランターで栽培している。今年も5月初旬にトマト、キュウリ、ナスビ、トウモロコシ、ゴーヤ、スイカなどを植えつけた。小さかった苗が梅雨の頃にかけてどんどん成長して、今ではトマト、キュウリなど収穫した新鮮なものが味わえる。

トマトは熟れてくると赤くなって食べ頃サインが出る。ミニトマトは鈴なり状態でいくつでもできる。朝食では、トマトの酸味で心地よく目が覚める。梅雨の時期には雨に濡れると浸透圧の関係で、実が割れてしまうから要注意。上に伸びるというよりも横に枝を張るので、枝が折れないように支柱が必要である。夏の暑い日におやつ代わりによく冷やしたトマトを丸ごとかじったものだ。

キュウリは成長が早く、毎日といってよいくらい収穫できる。取り立てのものは、シャキシャキと噛み心地がとても爽快で気持ちよい。豆腐よりも多くの水分を含んでいるらしい。収穫の時期をのがすと、太くなって種が多くなる。

トマトとキュウリは黄色の花、ナスビは上品なうす紫で実のガクの部分にはトゲがあるから収穫時には要注意。輪切りにして天ぷらにしたり、焼きナスビなどにするととても美味しい。花が咲けば必ず実がなるときいたことがあるが、たくさん実をつける。お盆の頃には祖先の霊が馬に乗り、牛に荷を引かせて帰るということから、キュウリやナスビにハシを4本突き刺して牛や馬をつくったものだ。

ゴーヤはよくグリーンカーテンとして用いられ、独特のにおいがある。気をつけていないといつの間にか実が熟してオレンジ色になり、はじけて中から赤い種が出てしまう。こうなると柔らかすぎて食べ応えがなくなる。ゴーヤチャンプルーにすると、あの独特の苦みがなかなかの美味であるが、家族はあの苦味が苦手で誰も食べない。

トウモロコシはC4植物に分類され効率的に二酸化炭素や光を取り入れ、光合成速度が大きいらしい。「ジャックと豆の木」ではないが、苗を植えるといつの間にか背丈ほどにどんどん成長する。実からヒゲが出ているが、ヒゲの数だけ実がつくらしい。

スイカは市販されているように大きくはならないが、日々成長していくのが楽しみだ。小ぶりでも冷蔵庫で冷やすととても甘い。実家には井戸があり、暑い日には井戸水で冷やして、よく家族で食べたものだ。

野菜栽培の楽しみの一つは、日々どんどん成長していくのが身近に観察できることだ。気がつけば、いつの間にか大きくなって花や実をつけている-そのときの「発見」と「驚き」はなかなかの感動ものである。肥料や有機石灰を土に混ぜての野菜用の土づくり、毎日の水やりがたいへん-水やりはほとんどわが家の“山の神”任せのことが多いが、夏の日差しを浴びてトマトはトマト、キュウリはキュウリ、ナスビはナスビ・・・・、それぞれ自分の花を咲かせ自分の実をつけ、個性を発揮しつつ精一杯成長する。「みんなちがって、みんないい。」